第1章②

 ところ変わって、こちらカオティックジュエラー略してカオジュラのアジトである。

 悪の組織の秘密のアジトにあるまじき、大都会のど真ん中の高層ビルの最上階。世間的には高級宝飾店、その名も『NEWBORN』として名高い建物の、トップに立つ存在のための執務室。

 そこで私は、もともと敏く賢く頭がいいはずなのに、肝心なところで部下の気持ちを解ってくれない、有能だけれど色んな意味で恐ろしい上司の前に、一人で立たされていた。


やなぎみどり子……いいや、レディ・エスメラルダ。最近たるんでいるんじゃないかな?」


 にっこり笑顔でぐっさり刺してくるのは、我らが社長にしてカオジュラの総帥、マスター・ディアマン。

 どっかのお国のハーフ? クォーター? らしく、全体的に色素が薄い彼は、背後のバカでかい窓から差し込む日の光を浴びてそのプラチナブロンドをきらっきらと輝かせながら、ことりと首を傾げた。

 私、柳みどり子、コードネーム=レディ・エスメラルダは、粛々と頭を下げるしかない。

 

「マスターの仰る通りで……申し訳ないです……」

「いやだな、僕は怒ってなどいないよ。それに謝るだけなら猿でもできるだろう?」

「仰る通りで……」

 

 いちいち嫌味な上司である。やわらかい声と甘い美貌で痛烈な台詞を吐き出してくれるものだから、こっちは一瞬「アレ? 褒められてる?」とか勘違いしちゃいそうになるのが怖いところだ。

 あ――――――、先日のアレだよね、絶対アレでしょ。一週間前の、私がレッドにむにゃむにゃ(思い出したくないので割愛)されたあの時に持ち帰ったカオスエナジー、あれが想定外に足りなかったのがいけなかった。

 十分カオスエナジーを集めていたはずだったのに、レッドのむにゃむにゃのせいで私が動揺して、その一部をエメラルドから放出させてしまい、そのせいでノルマに届かなかったという、アレ。

 つくづくレッド憎しというやつである。次会ったら今度こそ遠慮なく鞭でぶんなぐりたいけど、もう一度会いたいのかと言われると「心の底から遠慮したい」というのも本音である。

 ……話がずれた。

 とにもかくにもその辺について、マスター・ディアマンはお怒りというわけである。彼とて仕事なのだからそりゃ怒るだろう。

 ここまで言ったらもうお解りだろうが、そう、カオジュラはビジネス悪の組織である。

 実はお国の方から、「エネルギー不足の時代に向けて! 新たなエネルギーの調達を‼」という密命が下り、白羽の矢が当たったのが目の前の社長サマだ。

 なんやかんやで『カオスエナジー』というエネルギーを発見、それを集める手段までこぎつけたこの人は本当に優秀なのだと思う。

 ただ問題が、そのカオスエナジーが、人々の混乱を必要とするものだったということだ。

 普通に集めようとしても、あくまでもカオスエナジーは人々の混乱の上に得られるエネルギーであり、しかもそれは生半可な混乱ではない。

 そういうわけで、「エネルギーのために世間に混乱を! 混沌を!」なーんてどこの悪の組織が企てたのか、という話になり、それがここだ。カオジュラだ。ということである。

 これは極秘事項だが、カオジュラも立派な政府公認の悪の組織なのだ。とはいえそんなものを政府が認めていると知られるわけにはいかないから繰り返すが極秘事項である。

 そして、カオジュラのことを放置していたら国民が納得しないので、国が公式に対抗組織として用意したのがジャスオダである。

 こういう訳であっちは公務員で、こっちはしがない一企業、そして私は派遣社員というわけだ。せちがらすぎて涙が出そう。

 目の前で薄く微笑んでいらっしゃる社長、ではなく今はマスター・ディアマンと呼ぶべき彼のその微笑みをそのまま信じるわけにはいかないことは解っていた。なにせ長い付き合いだ。彼がとっても不機嫌でいらっしゃることはもう見るからに明らかだった。

 

「最近の私のノルマが、お恥ずかしながら情けないものであることは自覚しております……! 次、次こそ必ずや! ですからクビだけはご勘弁を!」

「違うよ」

「え」

「僕が言っているのは、こっち」

「え?」

 

 パチン、とマスター・ディアマンが指を鳴らすと、私の背後の白い壁に、天井のプロジェクターから映像が投影される。え、なに。どういうつもりだろう。

 想定外の流れに、とにもかくにも背後を振り返った私は、すぐに後悔した。


 ――きゃあああああああああああっ‼

 ――す、すまない! わざ、わざとではなくて、その勢いで、いきおいでその……っ!

 ――信じられない! ばか! えっち! すけべ!

 ――す、すけ……っ⁉


「きゃああああああっ⁉」

 

 いつぞやのような悲鳴を上げて、私は壁にびたんっと張り付いた。な、なんであのレッドとのむにゃむにゃの一件がこんなところで⁉

 涙目になって振り返ると、気付けば驚くほど近くにいたマスター・ディアマンの笑顔がそこにあった。め、目が、目がぜんぜん笑ってない……!

 

「この一件を録画していた一般市民がいたらしくてね。SNSで拡散されていたよ。いやあ、僕の部下が大人気で何よりだ」

 

 はいこれ、と渡されたタブレットには、某有名SNSが表示されていた。そのタイムラインはレディ・エスメラルダでハッシュタグがつけられている画像や動画であふれかえっており、そのほとんどが私の泣き顔だった。

 いくらハーフマスクを着けているとはいえ、泣いていることは明らかだ。それに対して「ギャップ萌え」「エスメちゃんぺろぺろ」「エスメラルダは女王様ではなくょぅじょだった……?」などという不穏なレスポンスがついている。

 立っていられなくなって、がくりとその場に崩れ落ちる。な、なんてことだ。ハーフマスクをつけていてよかったとか言ってる場合じゃない。ハーフマスクをつけていても意味がない。ここまで拡散されていたら、一つ一つ通報したとしてももはや手遅れだろう。っていうか、悪の組織の女幹部が自ら通報ってどうなの。普通に認められない気がする。

 

「ああああああああ…………」

 

 詰んだ。次にカオスエナジー集める時、どんな顔で外に出ればいいのだろう。これはいよいよ退職する日が来てしまったということだろうか。そんな馬鹿な。

 

「エスメラルダ、反省したかい?」

「は、い……」

 

 うかつだった。ちょっとした油断が大惨事である。反省してもしきれない。もういっそ次回からフルマスクで出陣するしかないだろうか。夏場は地獄だろうけれどこの際構っていられない。またポチろ。

 ああお財布が……と床でうずくまっていると、ぽんぽん、と頭を優しく叩かれる。気付けば涙目になっていた顔を上げると、そこでは麗しの美貌が苦笑を浮かべていた。

 

「反省しているならいいよ。この件についてはうちの法務部に任せよう。時間をかけずに叩き潰すね」

「ま、マスター……! ありがとうございま」

「次はないよ」

「はいすみません‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」

 

 土下座せんばかりにうずくまったまま頭を下げると、くつくつとマスター・ディアマンは優雅に喉を鳴らした。

 その響きについまた顔を上げると、彼はふんわりとやわらかく微笑んでいた。


「みどり子ちゃんを泣かせていいのは僕だけだからね」


 小さい頃からの幼馴染の、昔から変わらないその笑顔に、私は「その台詞は安心していいのだろうか」と内心で首をひねりつつ、とりあえず「ありがとう、しろくん」と涙ぐみつつ笑い返すことしかできなかった。

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