悪の組織の女幹部に恋をする余裕はない

中村朱里

第1章 悪の組織の女幹部は退職したい

第1章①

 某月某日。本日晴天なり。

 悲鳴を上げながら逃げ惑う一般ピーポー達を見回しつつ、私はパシーン‼ と手に持っていた鞭を地面に打ち据えた。某巨大通販サイトで評価が3.1という微妙な評価だったわりにはなかなか刺激的な音がした。

 なるほど、これはいいお買い物だったかもしれない。いくらキャラ付けのためとはいえ、「経費で落ちるからって何が悲しくてSM用の鞭を……」と愚痴りながらポチッた甲斐があったというものだ。あっそういえば検索履歴消してない。やば、帰ったら速攻消そう。


「おーほほほ。このレディ・エスメラルダの前にひれ伏しなさい、愚民ども」


 我ながらびっくりするくらいの棒読みである。けれど一般ピーポーの皆様方はそんなことに構っている暇はないらしい。そりゃそうだ。昨今話題の悪の組織、カオティックジュエラー略してカオジュラの女幹部、このレディ・エスメラルダが、鞭をバッシンバッシンと地面に打ち据えながら、あまたの名もなきモブ構成員達、通称ストーンズに襲わせているのだから。そりゃ逃げるってもんである。

 そうでなくたって、こんなアホみたいな……おっと本音が、うん、そう、とにかくこんな、なんて言うの? セクシーと言えば聞こえはいいけど実際こんな格好で白昼堂々歩いていたら見事痴女認定、下手したらわいせつ物陳列罪で警察にしょっぴかれるような女がバッシンバッシン鞭をしならせてたら、繰り返すけどそりゃ逃げるでしょ。私だって自分じゃなかったら逃げる。っていうか逃げたい。

 初めてこの衣装を渡された時は流石に「就職先間違えた……」と、本気で思ったものである。これで顔にハーフマスクが許されてなかったらキレてたわ。十代でなくたってキレる時はキレるということをあの上司はそろそろ理解してくれてもいい頃ではないだろうか。私とは比べ物にならないくらいに上等な頭をお持ちのはずなんだけどな。それ私の勘違いでしたかね?

 そうでなくたって、春先にこの恰好は普通につらい。めちゃくちゃ寒い。上着申請したら通るかな。

 ぶるぶる震えそうになる身体を叱咤し、二、三歩歩いただけですっころびそうになるトンデモピンヒールでイライラと地面を蹴りつけていると、「見つけたぞ!」という威勢のいい声が割り込んできた。

 

「やめるんだ、レディ・エスメラルダ! それ以上の悪行は、この俺達が許さない!」

「あーら、来たわね、ジャスティスオーダーズ。随分のんびりとした登場だこと。待ちくたびれちゃったわ」

「えっそれはすまない」

「謝ってる場合じゃないでしょレッド!」

「えっあっそう、そうだな、すまないピンク!」

 

 私の前に現れたのは、それぞれ目に痛いドきつい原色のヒーロー専用パワースーツに身を包んだ五人組。いわゆる正義の味方、その名もジャスティスオーダーズ略してジャスオダ。

 登場時のレッドのボケとピンクのツッコミはもはや様式美。そのやりとりを微笑ましげに見つめるブルー、イエロー、ブラックまでがワンセット。

 私がカオジュラに所属するよりもちょっと前から、カオジュラに対抗する組織として政府に公認された、れっきとした公務員の五人組。そう、うらやましいことにあちらは公務員、そして私は派遣社員。

 アッだめ、これ以上考えたら闇落ちしそう。もともと悪の組織の女幹部なんだからこれ以上闇落ちしようがないんだけど、そういう問題じゃないのである。

 

「下僕たち! やっておしまい!」

 

 八つ当たりと解っていながらバシコーン! と鞭をしならせると、ストーンズ達が奇声を発しながら一斉にジャスオダ達に襲いかかった。よーしよし、がんばれがんばれ……って言ってる側からストーンズ達はばったばったとなぎ倒されていく。

 レッドは剣で、ブルーは槍で、イエローはトンファーで、ブラックは二丁拳銃で、ピンクはナックルをつけた拳で、そりゃもう情け容赦なくストーンズ達をぶちのめす。わあ強い。あの人たち元は一般人だって聞いてんだけどなんであんな強いの。そりゃ確かにストーンズは人間ではないけれど、それにしてもなんであんなためらいないの。一周回って怖いんだけど。

 そうこうしているうちに、元々意志のない、なんかよく解んないエネルギー? みたいなので動いているだけの人形でしかないストーンズ達は、どんどん地面に積み上がっていく。

 ストーンズ一体調達すんのにいくらかかってると思ってくれてるんだろうかあの人達は。全部私の給料から天引きされてる上に、ちゃんと一体ずつ始末書だって書かなくちゃならないのに、まあそんなこっちの切実な事情などジャスオダが知る由もない。

 あーあーあーあー始末書、始末書がどんどん増えていく。今夜は徹夜だ。ぽいずんぽいずん。

 

「エスメラルダ! 覚悟!」

「えっ」

 

 あ、しまった。気付けばストーンズの包囲網をかいくぐって、レッドがすぐ側まで駆け寄ってきていた。

 振りかぶられた剣を、鞭の柄でギリギリ受け止める。百均で買った一番太い針金でぐるぐる巻きにしておいてよかった。やはり百均は正義。

 

「どうしてこんなひどいことをするんだ……! お前達も俺達も、手を取り合えるはずだろう!」

 

 え〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰。そんなこと言われましても〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰。

 言いたいことは解らんでもないけど、思いっきり私に剣を突き付けながら言われてもまったく説得力ないぞレッド。


「私はレディ・エスメラルダ。お前達と敵対するために存在する者よ」


 一旦背後に飛びずさってから、持っていた鞭をしならせる。当てるつもりはなくて威嚇のつもりだったんだけど、まあキャラ付けのためのオプションでしかない鞭の扱いなんて知らないから、うっかりレッドの顔に思いっきりスパーン‼ とぶち当たってしまった。私がやっといてなんだけどめちゃくちゃ痛そう。

「「「「レッド‼」」」」と他のジャスオダが悲鳴を上げる。なんかすみません。

 相当痛かっただろうに、それでもレッドは私の方へとまだ剣を構えて駆け寄ってくる。しつこい男は嫌われるとお母様に教わらなかったのだろうか。正直めんどくさい。

 まあもうそれなりにカオスエナジーは集まったし、そろそろ撤退しよっかな。胸の谷間までばっちり見える、大きく開いた胸元を飾るのは、なかなかどころではなく滅多にお目にかかれないような大粒のエメラルド。幾度となく「これ売って海外に逃げたらだめかな」と私を誘惑してくるそれは、人々が混乱する時あふれるエネルギー、私達カオジュラが『カオスエナジー』と呼んでいる何かであやしく輝いている。

 今日の取れ高オッケー。よーし帰ろ。

 胸の谷間から空間移転装置を取り出して、ボタンを確認。そのままさっさとこの場をおさらばしようとした、その時だ。

 

「逃がすか!」

「ひゃっ⁉」

 

 レッドの手が伸びて、あろうことかその手は、私の胸の谷間にそのまま突っ込んできた。

 ――――――――――うん。

 いや解る。解りますとも。私がいつもここに空間移転装置入れてること、流石に学習してますもんね。そりゃ逃がさないためにはまずその装置を奪おうとしますよね。

 解る、解るよ。でも。でもである。


「きゃあああああああああああっ‼」


 私がここで絹を裂くような悲鳴を上げてうずくまってしまったのも、致し方のないことであると言えよう。

 

「す、すまない! わざ、わざとではなくて、その勢いで、いきおいでその……っ!」

「信じられない! ばか! えっち! すけべ!」

「す、すけ……っ⁉」

 

 ガーン! とショックを受けた様子でレッドは固まったが、ショックを受けているのは私の方だ。なんつー真似をしてくれやがるのだこの男。

 いくらこんなアホみたいな恰好をしているとはいえ、私は別にそっち方面を目指しているわけではない。仕事の制服だから来ているだけ、ビジネスセクシーなのである。だ、男性経験だってなくて、当然誰かに触らせたことがあるどころか、む、胸の谷間に、手を突っ込ませるなんてそんな、そんな真似、誰にも許したことなんてないのに……!

 うずくまって胸を両手で隠し、涙目になってレッドを睨み上げる。

 

「お、おぼえてにゃさ、んっ、おぼえて、なさ、い、よ!」

「っ‼」

 

 うっかり噛んでしまったのがまた悔しくてならない。

 カオジュラに所属してからというもの、まあこんな格好をしているせいでネットではさんざんオカズにされたり叩かれたりしてきたけれど、こんな直接的な辱めは初めてだ。しかも相手が正義の味方。世も末、ここに極まれり。

 何やらレッドは、マスク越しでもそうと解るほど顔を真っ赤にしているらしく、「すまない」だとか「大丈夫か」とそれはもう先ほどでの戦闘以上に一生懸命になっている。これが大丈夫に見えるならこいつは正義の味方をやめた方がいい。いい加減こっちを見るのやめろこの変態。

 気付けばレッドの向こうの他のジャスオダ達も、どうしていいのか解らないらしくおろおろとこちらを見守っている。まさか同僚が敵にセクハラかまして泣かせるとは思わなかったのだろう。

 特に紅一点であるピンクが、ものすっごい気遣わしげにこっちを見てくるのが余計につらかった。あんたら監督不行き届きだぞ、公務員のセクハラに世間は今うるさいんだからな!

 

「〰〰〰〰これで勝ったと思わないことね!」

 

 幸いなことにも胸の谷間の深いところに落ちていただけだった空間移転装置のボタンを押し、私は半泣きのままその場を撤退するのだった。

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