第12話食べられたいので好みを知りたい4
「あの……なんだか、周りの人達が私たちの存在に気づいていないような、気がするのですが……」
とうとう気になって銀嶺に尋ねた。
「ああ、結界を張り、気配を薄くしている。注意して見ようとしなければ私達の存在を感知できない」
なんともなしに答えられて、千代は目を丸くした。だが言われてみれば、もともと空から町に直接降り立ったというのに誰も気づいていなかった時点でおかしかったのだ。言われてみると納得だった。
その後も、たくさんのものを食べた。羊羹、ケーキ、氷菓子。
今のところ分かっているのは、千代が美味しそうに物を食べていると銀嶺が幸せそうだということ。おそらく銀嶺は、肥えた餌が好きなのだろう。
しかし流石に食べ過ぎた。
どこかで少し休憩をしたい、と思った時にふととある洋館が目に留まった。たくさんの人が入っていく。
洋風の建物の外壁には、手書きのポスターが貼っていて、そこが芝居小屋という演劇などを観覧する場所であることに気づいた。
「あそこが気になるのか?」
銀嶺に話しかけられて、ハッと顔を上げる。顎の下に手をやって何やら考えている様子の銀嶺がいた。
「観に行ってみるか?」
「えっと……銀嶺様は観劇されたいのでしょうか?」
千代は恐る恐る、少し期待をこめて尋ねる。
観劇は幼い頃に親に連れられてみたことがあるが、それきり。劇の内容もほとんど覚えていない。それでも両親と揃って遠出しての出来事だったからか、漠然と楽しかったという記憶がある。
正直に言うと、千代はとても興味があった。だが、この外出はあくまで銀嶺のためのもので、千代の意向は関係ない。
そんな千代の下心に気づいているのかいないのか、銀嶺はくすりと笑って口を開いた。
「そうだな。観てみたい。行こうか」
そう言って、遠慮がちな千代の背中を押すようにして芝居小屋の中へと入ることになった。
中は広々としていた。三人掛けほどの長椅子がステージに向かい合うように何脚も並べられている。ちょうどステージから見て左の方に空いている席を見つけると、千代と銀嶺は腰を下ろした。
観劇の演目についてはあまり気にしていなかったため、中に入ってから渡されたパンフレットを見て、今から見る観劇が神と人の恋物語だと知る。
(神と、人……?)
思わず、隣の席に座る銀嶺の顔を覗き見る。
ただぼうっと前を見ているように思えた銀嶺だったが、千代の視線に気づいたようでこちらを向いた。
「どうかしたか?」
優しく心地の良い低音の声に、柔らかく微笑む眼差し。迂闊にもまたドギマギとしてしまい千代は慌てて視線を逸らした。
「えと、いえ……楽しみだな、と思いまして」
当たり障りのないことを言う。これから見る観劇が、「人と神の恋」に関するものだったから気になってしまったなどとは口が裂けても言えそうになかった。
誤魔化す千代に気づくこともなく、銀嶺はそうだなと鷹揚に答える。
(なんだか、私ばかりドギマギしている気がする……)
最初こそ、銀嶺の好みを知るためだと意気込んで臨んだはずが、純粋に楽しんでしまっている気がする。
なんとも言えない居た堪れなさを感じていると、観劇が始まるブザー音が鳴った。
あたりが暗くなり、観劇の幕が上がる。
見初めた時は、人と神の恋愛ということにドギマギして落ち着かなかったが、すぐに話にのめりこめた。
舞台は天神契約が行われる前の時代、平安時代の話のようだった。
ヒロインは稀血という特別な血をもつ少女。稀血というのは、妖にとって特別な血で、妖が稀血を一口飲めば、莫大な妖力を得られるという。
天神契約が行われる前は、人の住む里にも雑多な妖達が平気で足を踏み入れることができるため、古今東西の妖達が少女を狙って襲いかかってきていた。
そんな少女をいつも幼馴染の少年が守っていた。彼は狐の妖と人の間に生まれた半妖だった。もともとそこまで強くはなかったが、少女が毎日少しずつ稀血を飲ませることで、大きな力を手に入れていた。
その力で少年は妖を退治しながらいつしか麗しい青年へ、少女も美しい女性へと成長していく。
だがある日、妖達は稀血を飲むために大群をなして襲ってきた。
稀血のヒロインを守るために半妖の青年は戦うも、四肢をもがれて倒れた。今にも死にそうな青年に、ヒロインは涙を流して生きてと願い、自らの体を傷つけて絞り出せる限りの血を飲ませた。
青年が目を覚ました時には、ヒロインは死んでいた。血を流しすぎたのだ。一方青年の傷は全て癒え、今までにないほどの妖力に溢れていた。その力でもってヒロインを喰らおうとした妖達を全て滅した。
しかし最愛の人を失った青年の心は癒えることなく、行き場のない思いを抱えて山に籠った。
後に天神契約を結び、今は西のとある大地を守りながら、いつか生まれ変わるだろう最愛の人を待っているのだという。
劇はそこで幕を閉じた。拍手が沸き起こる。そして拍手の中に、鼻を啜るような音もする。悲しい結末に涙を流した観客は少なくないようだった。
千代も気づけば涙が溢れていた。そのことが意外で、自分のことなのに自分で驚いてしまう。
(どうして、涙が……人前で泣くことなんてずっとなかったのに)
千代は叔父に引き取られてからというもの、人前で涙することがなくなっていた。
いつもいつも、誰にも泣いているところを見られたくなくて我慢していた。千代が泣くことができるのは……。
両親が亡くなってから出会った白蛇のことを思い出した。
小さな白蛇。ハクちゃんと呼んで可愛がっていて、あの白蛇の前でだけ、千代は泣くことができた。
「千代、泣いているのか?」
隣から声が聞こえて視線を向けると、銀嶺が心配そうに千代の顔を見つめていた。
ハッとして慌てて涙を拭うために両手で擦ろうとしたが、手首を掴まれて止められた。
掴んだのは銀嶺だ。
「そんな乱暴にしては目が腫れてしまう」
銀嶺はそう言うと、当たり前のように千代に顔を寄せた。そして目の下辺りにぬるりと濡れた感触がして、何をされたのか遅れて気づく。
千代の目からこぼれた涙を、銀嶺が舐め取っている。
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