龍神様に早く食べられたいのに溺愛される話 / 生贄乙女の婚礼

唐澤和希

第一部

第1話プロローグ1

(神様に食べられるって、どんな気持ちなのかしら)


 神の住まう山間の屋敷にて、井草の匂いのする真新しい畳に額づきながら白無垢姿の如月千代はそんなことを思った。


 十八歳となった千代は、誰もが恐れる『荒御魂の神』の生贄花嫁に選ばれた。


 『荒御魂の神』の生贄に選ばれた者は、生贄として捧げられたその場で神の糧として食べられる。


 千代が捧げられる神は、千代も暮らしている荒川流域一帯を治める龍神であり、荒御魂の神。千代はこれから食われて死ぬ運命が決まっていた。


(とうとう、来た……龍神様だ)


 どのくらい待ったのか、しばらくして微かに足音が聞こえてきた。


 気づけば床についた手が震えていた。

 それは余寒の厳しさからくる震えだけでない。


 一歩一歩確実に近づいているこの足音が目の前に響いた時、おそらく千代はこの世にいないだろう。

 バリバリと食べられているはずだから。


 千代は、震える手で花嫁衣装である白無垢の帯に触れる。

 ここには、神の力を封じる毒薬を隠している。


 これだけが、千代の唯一の希望。


 すーっと戸が開く音がした。


 すると、誰かの、おそらく龍神の息をのむような音が微かに聞こえる。


 そして、ばたばたと慌ただしい足音が響いた。

 千代という餌を見つけて、龍神がたまらず駆けだしたのだろうか。


 千代は、恐怖できゅっと口を引き結んだ。


「……何故、顔を伏せている?」


 想像以上に若い男の声が聞こえてきた。あまり抑揚はないが、その声に戸惑いの響きが聞き取れた。


 しかし、千代にはどうして龍神らしき人が戸惑っているのか、よく分からない。

 顔を伏せたまま何と答えればいいか迷っていると、目の前にいる何者かが焦れたように、千代の肩にふれ、無理やりに顔を上げさせた。


「大丈夫か? どこか苦しいところがあるのか?」


 美しいがどこか冷たい印象を受ける男の声に、切羽詰まったような焦りがのる。

 顔をあげさせられた千代は、その声の主と強制的に目が合った。


 人の姿をしていた。


 龍神は、黒い鱗を持つ大蛇が本来の姿であるが、人に化けることもできるという話を聞いていたので、それについてはそれほど驚かなかった。


 だが、あまりにも美しすぎた。


 薄明かりの中でも輝きを放つ銀の髪。

 涼しげな目元には、宝石のような黄緑色の瞳が輝いている。

 すっと整った鼻梁に、流麗な眉毛。まるで芸術品のような顔。


 そして屈んでいてもわかる身長の高さ。

 亀甲柄の藍色の着物を光沢のある白い帯で締め、着物と同じ柄の羽織をスラリと着こなしていた。


「……風邪でもひいているのか? それとも怪我を……?」


 何も答えられない千代に、冷静そうに見えた龍神の顔にどんどん焦りの色が出てくる。


 あまりにも必死に聞いてくるので、千代は混乱した。


 何故龍神が、千代の体調を気遣うそぶりをするのだろうか。

 人がいたらすぐに喰らいつくのではなかったのか。


(もしかして、私が生贄花嫁だと気づいていないのかしら?)


 そうだとしたら非常に困る。


 千代は、龍神の力を封じるための特別な毒を持ってこの場にやってきていた。

 千代とともにその毒を食らわせることで、龍神の力を封じるのだ。

 力を封じられた龍神は、ただの蛇にとって代わるだろう。


(龍神様には申し訳ないけれど、力を失って神の座を退いていただかなくては。そうしなければ、弟も五年後には私の同じように生贄花嫁としてささげられてしまう)


 神の生贄に選ばれるのは、霊力を持つ『神仕族』の人間で、十八歳以上の者と契約で決められており、性別問わず神に捧げられた者は『生贄花嫁』と呼ばれる。


 今年、十八歳になったばかりの千代は、叔父一家から売られるようにして生贄花嫁に選ばれたのだ。


 そして弟も、十八になったら同じように龍神の生贄花嫁になることがすでに決まっている。


 両親を早くに亡くし、千代の家族と言えるのはこの弟・柊だけだ。柊だけはどうしても守りたかった。


「あの……私は、如月千代と申します。生贄に選ばれた花嫁です」

「ああ、そうだな。それより体調は大丈夫なのか?」

「体調は、別に……それよりも、私、生贄花嫁なんですけども?」


 焦りながらももう一度生贄花嫁であることを主張しみてみる。


 しかし龍神ときたら、ああ知っていると答えるだけで食べようとしてくれない上に、「風邪か? 病か?」などとしつこいくらいに体調を心配してくる。


(な、なんで食べてくれないの? 私なんかの体調のことばかり気にして……)


 ここまで考えて、千代はハッと気づいた。


(もしかして体調不良の人間なんて食べたくないから……!?)


 龍神が仕切りに千代の体調を気にするのは、病を持った人間を食べたくないからではなかろうか。

 どうせ食べるのなら、元気で健康的な餌のほうがいいに決まっている。


「あ、もう、体調についてはすこぶる元気です! 風邪なんてひいておりません! 健康そのものです!」


 千代は、胸を張って健康的であることを伝えると、龍神は破顔した。


「そうか……それは良かった」

 一見すればどこか冷たい印象を持つ美貌が、優しく笑みで崩れる。


(良かった。龍神様ったら、健康な餌だと解ってあんなに安堵した笑みを浮かべていらっしゃる。よし、あとは食べられるだけだわ)


 最初はどうなることかと思ったが、どうにか軌道修正できたようだ。千代が目を瞑って、終わりの時を待っていると……。


「目を瞑ってどうしたのだ? 眠いのか?」


 いや、眠いわけではない。


 千代は思わず肩からずるりと崩れ落ちそうになった。


「眠くなるのも分かる。ここまで来るのは大変だったろう。そなたのために新しい寝床を用意しているから疲れたならばいつでも言ってくれ」


 千代がいぶかしんでいる間にも、龍神はどこかずれた話を続けている。


 ちょっと我慢ならなくなった千代は、バッと顔を上げた。


「あの私、先ほども申しましたが、生贄に選ばれた者です!」

「知っている。千代と、ずっとこうやって会いたかったのだ」


 龍神はそう言うとふっと蕩けたような笑みを浮かべた。

 思わず息が詰まった。その美しさ故か、それともただの戸惑いか、千代には分からない。


 ただ分かることはこのまま彼の笑顔を見ていたら、千代のなかの決心が鈍ってしまいそうだということ。


 千代は、どうにか目を逸らした。


(だめ。龍神様の力を封じて、それで、弟を助けないと……)


 千代が心の中で言い聞かせていると、冷たい手が頬に添えられそのまま真正面をむかされた。

 先ほどどうにかして目を逸らすことに成功した龍神様の美しい顔が、先ほどよりも近い距離で目の前にあった。


「どうしたのだ? 顔色が悪いぞ。やはりどこか不調があるのではないか?」

「ありません!」

 

 もう限界だった。

 

 乱暴に胸元に両手を押し当てて、距離をとった。

 これ以上彼と接していたら確実に千代の決心が鈍る。


 龍神に対してあまりにも無礼な振る舞いだとは思うが、別に怒らせたところでなんだというのだ。

 怒らせても怒らせなくても、食べられるということに変わりはないはずだ。


 改めて龍神の様子を見ると、千代に距離をとられたことに傷ついたのか、どことなく悲しそうな顔をしている。


(なんで……そんな顔を……)


 龍神の傷ついたような顔を見て、千代の胸が小さく痛む。

 しかしその痛みを誤魔化すように、己の拳を強く握った。


「あ、あの、私、とっても健康な、生贄花嫁……なんです! ですから、その……食べないのですか? 私のこと」

「食べる……?」


 困惑したような顔をする龍神。困惑しているのは私の方だと千代は叫びたくなった。


 しばらく怪訝そうな顔をしていた龍神だったが、何故か途中で顔を真っ赤にさせた。そして消え入りそうな声を出す。


「ま、まさか、その、食べると言うのは、せ、性的な意味でということ、だろうか?」


 吃りながらそう尋ねる龍神に、焦ったのは千代だ。

 思ってもみなかった方向に話が運んでいて、慌てて首を振る。


「違います! 食事的な意味です!」


 食べられる覚悟はしてきていたが、そういう覚悟はしていない。


「違ったのか……」


 どこか意気消沈している様子の龍神に、千代の戸惑いがますます大きくなっていく。


(なんだか、思っていたのと違う……)

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