第38話「成長した愛されぽっちゃり双子」
──ゆっくりと穏やかに、けれど矢継ぎ早に時は流れ六年。エトワナ公爵家の愛され双子は、魅惑的なぽっちゃりボディを見事に維持したまま成長した。
本日めでたく成婚の運びとなったのは、セントラ王国第二王子であるレオニル・ダ・ウェントワース。お相手はもちろん、ケイティベル・エトワナである。
「……死にそうだ」
六年経っても全員が相変わらずで、純白のドレスに身を包んだケイティベルを目の当たりにしたレオニルは、うっかり自身の正装を汚してしまわぬよう両手で鼻を覆う。可哀想に手袋は犠牲となってしまったが、そのおかげでなんとか鼻血をまき散らさずに済んだ。
「もうレオったら!先に言っておきますけど、今日白目を剥いて倒れたら承知しないからね!」
滑らかで艶のある金髪を結い上げ、そこにいくつも小さな宝石を散りばめている。領地に宝石鉱山を所有するエトワナ家ならではの髪飾りで、今後は大々的に売り出す算段らしい。
ちなみに発案者はルシフォードで、この結婚式は最高のお披露目会。その為にケイティベルはレオニルに頼み込んで、数日間のパレードまで催す予定なのだから。
「しかしだな、ケイティベル。君があまりにも美し過ぎて、とても正気を保っていられそうにないんだ」
「貴方は大体正気じゃないから平気よ」
けろりと言ってのける彼女は、この六年で完全に婚約者の手綱を握っている。普段公務中は氷の麗人などと呼ばれるレオニルだが、ことケイティベルの前ではそれもどろどろに溶けて跡形もなく消えていた。
レオニルは言わずもがな、そんな彼の隣に立つケイティベルも、姉のような絶世の美女とはまた違う実に愛らしい風貌の女性へと成長を遂げている。
真っ白な肌によく映える金髪と、特に魅力的な空色の瞳。紅をささずとも頬はほんのり桃色で、小さな唇はぽってりして艶々と光っている。
白パンのようなもちもち体型は健在で、良く食べ良く眠る快活な性格もそのまま。素直で明るく、言い出したら聞かない少々頑固な面も相変わらず。ケイティベルが笑うと纏う空気までもがぱっと華やかに色付いて、まるでおいしいものをお腹いっぱい食べた後のように、満ちたりた気分になる。
たまにどこぞの令嬢達から「不釣り合いですわ!」と言われても、当の本人はどこ吹く風。敵意を向けてくる意地悪な人達は、相手にしないでいるといつの間にか姿を見なくなっている。幼い頃から、大体そうだった。
「それに素敵なのは、わたしだけじゃなくて貴方もでしょう?ただでさえ女性の憧れの的なのに、ますます騒がれてしまうわね」
「君以外にはまったく興味がない」
ばっさりと言い切るレオニルの心には、まったく付け入る隙がない。彼のケイティベルへの溺愛具合は年々、いや毎分毎秒更新されており、毎朝顔をたびにまるで運命の出会いを果たしたかのような面持ちで、顔を赤らめながら手に触れる。
レオニルの方が十一も歳上であるのに、恋愛経験値は同じか彼の方が低いくらい。愛されに愛され過ぎて、ケイティベルは自分がいつどのタイミングでレオニルを好きになったのかも、よく思い出せなかった。
「ねぇ、レオ」
「うん?」
「今日こそ、キスをしてくれるわよね?」
近しい親族以外に愛称で呼ぶことを許されている女性は、彼女ただ一人。二人きりの時だけはくだけた物言いで、距離もぐっと近付いている。普段の快活で優しいケイティベルトは違う、どこか色香を含んだ妖しげな微笑み。
ウェディングドレス姿を目の前で拝めただけでも天に昇る気持ちだというのに、まさか彼女の口から「キス」などという単語が紡がれるとは、レオニルはすでに白旗を上げつつある。
「だって貴方、私を愛してるっていうくせにまだキスすらしてくれないじゃない!」
「そ、それは。たとえ婚約者といえども節度は守らねば……」
「結婚したら、良いって言ったわ」
誰がどう見てもレオニルがベタ惚れであるが、ケイティベルだってちゃんと彼を愛している。少しずつ歩み寄り、人となりを知り、じっくりと時間をかけてレオニルという一人の男性に惹かれていった。まだ十六の若輩者かもしれないが、彼の妻となる覚悟はとうに出来ている。
「げ、厳密に言えば式はこれからだ」
「ちょっとくらいおまけして!」
「い、いや……」
「貴方のペースに合わせていたら、おばあちゃんになっても今のままよ!」
耳まで赤く染めてもじもじと指を合わせるその姿は、とても二十七の男とは思えない。かつて婚約者だったリリアンナとの間にも、男女のあれこれはなかった。つまりレオニルの体は、正真正銘清らかなまま。初めての口付けもまだという、見た目からは想像も付かない初心さである。
歳を重ねたケイティベルがどれだけ迫ろうとも、彼は頑として首を縦に振らなかった。そういうことは結婚してからだと口にしながら、いつも満足げに頭を撫でるだけ。
「私から逃げないで、レオ!」
「べ、別に逃げているわけでは……」
「何よ、嫌なの!?だったらそうって言ってよ!」
彼の答えなど分かりきっているが、つい卑屈になってしまうのが女心というものだ。ふにふにの頬をぷくうっと膨らませて、腰元に手を当てている。本人は威嚇のつもりだが、ただ可愛らしく拗ねているようにしか見えない。
レオニルは唇を噛みながら、おそらくこれまでの人生で最も頭を悩ませた。ケイティベルは世界一愛する女性であり、彼女を幸せにする為ならばどんなことでもすると誓っている。けれど唯一、レオニル自身からは守ることが出来ないのだ。
大切に思うあまりに神格化し過ぎてしまい、自身が触れると汚してしまうのではないだろうかと本気でそう思っていた。タガが外れてしまった時の自分がどうなるのか、想像もつかないから怖いと。
「僕は、君に触れる資格がないのかもしれない」
「どうして?だって貴方は私の旦那様でしょう?」
その響きはレオニルの心臓のど真ん中を撃ち抜き、ぐう……っと悶えさせる。それでも頑なに顔を背ける彼に、空色の瞳はたちまちうるうると潤み始めた。
「私は今よりもっとレオに近付きたいのに、レオは違うのね」
「ケイティベル……」
「もう知らない」
控室を出ていこうとしたケイティベルの手を、レオニルがぱっと掴む。彼女の表情は暗く沈んでいて、不甲斐ない己に何発か拳を打ち込みたくなったが、それはただの自己満足にしか過ぎない。この先の長い時間を預けてくれたケイティベルには、いつだって笑顔でいてほしい。
「すまない、ケイティベル。僕に度胸がないせいで、君を傷付けてしまった。いつの間にか、側にいるのが当たり前だと傲慢になっていたのかもしれない。寄り添う努力を怠った僕を、どうか許してほしい」
「別に、そんなに大きな話ではないんだけど……」
ただ普通の恋人のように、触れ合ってキスを交わして、お互いに愛を伝えたいだけ。好きな人に触れたいと思う気持ちはごく自然なことだと、いい加減レオニルにも分かってほしい。だって自分は、天使でもなんでもない普通の女の子なのだから。
「しよう、キス。いや、僕がしたいからさせてくれ」
ケイティベルの腕をふわりと引き寄せ、正面から見つめ合う。澄んだ空色の瞳に映るのは、初恋の相手。
「愛している、この先も永遠に」
「レオ、私も」
「ベルに出会えて、僕は幸せだ」
罪悪感も背徳感もすべて取り払って、残ったのは純粋な愛情だけ。そっと瞼を閉じるケイティベルの睫毛が微かに震えていることに気付いたレオニルは、なぜだか涙が溢れそうな衝動に襲われた。
柔らかな頬にそっと手を添え、優しく口づけを交わす。とても言葉には表せないほどの多幸感に包まれ、息をすることさえ忘れてしまいそう。
「ふふっ、レオの手が震えてる」
「……情けないな」
「そんなところも好き」
度胸があるのは、いつだって彼女の方。もう一度ねだるように唇を尖らせるケイティベルに、このまま時が止まれば良いと思いながら、瞳が潤んでいるのを気取られないうちにと、レオニルもそっと目を伏せたのだった。
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