第22話「ある助産婦の懺悔」

♢♢♢

 助産婦エマーニーにとって、その夜は生涯忘れられない。煌々と輝く満月と、エトワナ侯爵家に響き渡る元気な男女の産声。屋敷中が静かな歓声と幸福に包まれ、またひとつこの国に幸せが訪れたと、彼女自身も達成感に満ちていた。

 屋敷の前で待ち伏せていた、一人の少女に声を掛けられるまでは。

「お願いします、どうか……!どうか私の母を、生まれてくる弟妹を助けてください!」

 月明かりに照らされたその少女はくたびれたドレスを身に纏い、顔のあちこちに痣があった。それだけでも息を呑んだエマーニーだが、彼女はお構いなしに地面に頭を擦り付けた。

「どうか……、どうか……っ!」

 風貌からして、末席の貴族かそこそこの商家の娘だろうか。いや、そんなことは今考えるべきではない。エマーニーはしゃがみ込み、その少女に目線を合わせた。

「私に何を手伝えというの?」

「母が産気づき、今にも赤ん坊が産まれそうなんです!」

「掛かりつけのお医者様がいらっしゃるはずでしょう?」

「それが……」

 掠れたようなブルーの瞳に、悲しみの色が浮かぶ。

「誰にも診てもらうことが出来ないのです」

「それはなぜ?」

 スラム街の悪人でもない限り、そんなことはあり得ないというのに。こんな寒空の下で子供が土下座までして、よほどの事情があるのだと娘を憐れに思った。

 彼女は言いづらそうに口籠もっていたが、やがてぽつりと真実を明かす。

「……双子だろうって、母が」

「双子?それならなおさら大切にされるでしょうに」

「母も双子だけど、痣持ちで……」

 そこで、エマーニーはすべてを悟る。この国では、男女の双生児は繁栄と幸福の啓示。けれどその裏には、たったひとつ例外が存在していた。

 

――全身に痣を持つ男女の双生児は、災難と衰退の凶兆である。


 その昔、セントラ王国で疫病や干ばつ、害虫などの凶事が続いた頃、当時の国王が言い訳のように流した言伝え。何かしらの要因を作らねば、国民の不満を抑えることが出来なかった。

 おそらく病の類だったのだろうが、全身に痣や斑点を持って産まれる子が多く、国王はこれ幸いとそこに目を付けた。そして男女の双生児という縛りを設け、それに該当する赤子を災いをもたらす忌み子として、一家もろとも迫害した。

 そうして鬱憤の発散場所を設け、同時に救いも与えた。同じ男女の双生児でも、満月の夜に産まれた健康な子は祝福の啓示として国王直々に祝辞を送った。

 この時代はそもそも、双子や三子が全員無事に出生する確率が極端に低く、それも好都合だった。

 側から見れば鬼畜の策略だが、飢餓と混乱に陥った国民同士があちこちで殺し合いをしていた為、何かを犠牲にしなければ国自体が滅びかねない事態まで迫っていのだ。

 エマーニーが助産婦となる随分前に国は安定し、痣持ちの双子が生まれることはなくなった。が、今思えばたとえそういった子が誕生したとしても、親が必死に隠していたのかもしれない。

 彼女がこの話を聞いたのも、師である祖母から「絶対に他言するな」と念を押された上で、教訓として教えられただけ。まさか自分が実際に遭遇することになるとは、想像もしていなかった。

 この時すでに助産婦長を担っていた彼女は、他の見習い達を先に返し、医師にさえ告げずその娘についていった。おそらく、その場で忌み子の言伝えを知っているのはエマーニーだけだっただろう。

 先ほどまで光り輝いていた満月はいつの間にか分厚い雲に覆われ、今は一筋の明かりさえ溢れていない。エマーニーは胸騒ぎに襲われながらも、黙って娘の後を追った。


 典型的な没落貴族の屋敷の、さらにその地下。通常であれば使用人が使うであろう部屋の一室に案内されたエマーニーは、出産の準備がまったく整っていないベッドに横たわっている女性を見て、思わず息を呑んだ。

「お母さん、もう大丈夫だよ……っ」

 母と呼ばれたその女は全身汗まみれで、強い痛みに耐える為唇を噛んでいる。そのせいで口元は血だらけで、瞳孔は開き顔からは血の気が失せていた。

 悲鳴を上げてもおかしくない状況であるのに、彼女は唸るだけ。まるで、絶対に気付かれてはならないと怯えているかのように。

 腹は異常に大きく膨れ、破水をしているようだが上手くいきむことが出来ていない様子。娘が言っていた通り、母親は全身痣だらけで栄養失調気味のようだ。

 確かにこれではほとんどの町医者は嫌がるだろうと思うと、心が痛む。

「誰……、誰なの……?」

 息も絶え絶えで、目の焦点は合っていない。エマーニーはすぐさま処置にかかる為、持参したバッグから清潔な白衣や手袋を取り出し彼女に近付く。

「もう大丈夫。貴女の赤ん坊は、助産師である私が責任を持って助けますからね」

 なんの因果か、エマーニーは先ほどエトワナ家の双生児を取り上げたばかり。これは神が与えた試練に違いないと、彼女は気を引き締めた。

「や、やめ、やめて……っ!こ、来ないで、近付かないで……!」

 エマーニーの存在に気付いた母親は、今にも失神しそうに顔を歪めながら必死に抵抗する。そうしている間にも、股からは血の混じった胎水があふれているというのに。

「このままでは、貴女も子どもも死んでしまう!」

「構わない、それでいいのよ!」

 どこにそんな力が残っているのか、母親はエマーニーを必死に押し退けながら拒絶をした。

「このもま産まれても、私のように酷い目に遭うだけ……!」

「そんなことは分からないわ!男女の双生児なら、きっと啓示を受けられるはずよ!」

「まさか、あり得ない!それにこの子達は……っ」

 激しい口論が引き金となり、彼女は激しい痛みに襲われる。それは陣痛と呼ぶにはあまりにも荒々しく、思わずのたうち回りそうになるのを必死に堪えている。

「ごめんなさい、辛いのは貴女なのに。けれど私には、このまま見なかったことにして見捨てるなんて出来ないの」

「はぁ……、はぁ……っ、だめ、だめよ……」

 今にも意識が飛びそうなのか、母親の語気が徐々に弱くなっていく。 本来ならば医師が必要になるほどの重体だが、この場に呼ぶ余裕はない。エマーニーは己の持つ知識を総動員して、彼女の股に手を差し込んだ。

「お母さん……、お母さん……っ!」

「お願い、手伝ってくれる?」

「は、はい……っ!」

 娘の体も、母親と負けず劣らず細く弱々しい。けれど彼女のブルーの瞳には、強い意志が宿っていた。

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