第20話「行動の末に、掴んだ偶然」
その後、レオニルに許可を得て早々に屋敷へ帰ることにした三人。リリアンナは、この件について婚約者に話すべきかどうかを、ここ最近ずっと悩んでいた。
冷静沈着、完璧な王子として謳われている彼に、まさかあんなにも意外な一面があったとは今でも信じがたいが、ケイティベルをとても大切に思っているレオニルならば、事情を打ち明ければきっと二人を守ってくれるはずだ。
王家の力を借りれば、自分一人で行動するよりもずっと安全なのではないか、と。両親には信じてもらいたくないだろうから言いたくないと、悲しそうにしていた弟妹を思い出すと今でも胸が締め付けられる。
味方が増えるのは心強いが、どうしても信用してもらえなかった場合を考えてしまい、彼女は二の足を踏んでいた。
「リリアンナお姉様、どうしたの?」
長い廊下を歩く道すがら、ケイティベルに声をかけられた彼女ははっと顔を上げる。
「僕が変なことを言ったから?」
案じるようなルシフォードの声を聞いて、それは違うと首を横に振る。二人を不安にさせてはならないと、リリアンナはきりりと眉を吊り上げ気合いを入れ直す。
そして穏やかに微笑みながら、両脇を歩く弟妹のふかふかとした手を優しく握った。
「あら?リリアンナ様ではないですか。それに、ルシフォード様とケイティベル様も」
不意に後ろから聞こえてきた台詞に、ほとんど同時に振り向く。かつてベルシアの出産時に立ち会った助産婦のエマーニーが、にこにこと嬉しそうに笑いながら三人に近付いてきた。
「お三方とも本当に立派になられて!こうして久しぶりにお姿を拝見出来て、とっても嬉しいですわ」
「エマーニーも、元気そうで何よりです。こちらには、サマンサ王子妃殿下のご出産に控えて?」
「ええ、そうです。きっと次の満月には、尊い嬰児の元気なお声がこの王宮中に響き渡ることでしょう」
エマーニーは目尻に皺を寄せながら、柔らかな笑みで空を見上げる。彼女は現在、レオニルの義姉の出産に向けて大忙しだ。次期国王の子を取り上げるということの重責は計り知れないだろうが、サマンサから名指しされるほど腕前を持つエマーニーならば心配いらないと、リリアンナも大きく頷いた。
因みに、サマンサの出産が無事終わり生誕祭を済ませた後に、レオニルとリリアンナの結婚式が執り行われる段取りとなっている。
「お姉様のお知り合い?」
「ええ、助産婦のエマーニーよ。私の時もそうだけれど、貴方達を取り上げたのもこの方なの」
「へえ、そうなんだ」
双子はもちろん覚えているはずもなく、きょとんと首を傾げる。エマーニーは慈愛に溢れた雰囲気で、ルシフォードもケイティベルもすぐに慣れた。
「実はお二人がお生まれになったあの夜、リリアンナ様がこっそりと泣いていらしたのを偶然見てしまって」
「ええ……っ、まさかそんな」
「ふふっ、今だから言える話ですけれど」
過去の恥ずかしい話を急に暴露されたリリアンナは恥ずかしさから眉根を寄せ、エマーニーはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
リリアンナにとってもエマーニーにとっても、あの夜は特別だった。この国で繁栄と幸福の啓示として崇拝されている男女の双生児であり、初めて出来た弟妹。
エマーニーがベルシアの目を盗んでこっそり触らせてくれた、あの時の温もりと柔らかさを彼女は今でも鮮明に覚えている。小さな小さな手でリリアンナの小指をきゅっと握る尊い存在に、自分のすべてを受け入れられた気がしたのだ。
――産まれてきてくれてありがとう、私の大切な弟と妹。
すでにこの頃から辛く当たられていたリリアンナは、双子の弟妹が産まれたことで今後さらにぞんざいな扱いを受けるようになる。実際、誕生の知らせを無表情で聞いている様子を見て、多くの人は彼女が妬んでいるのだと誤解した。
けれどこのエマーニーだけは、リリアンナが戸惑いながらも潤んだ瞳で弟妹に触れるのを、すぐ側で見ていた。妬んでいるなんてとんでもない。きっと将来、この方はとても素敵な姉となるに違いないと確信しながら。
「仲がよろしいようで、私も嬉しいです。リリアンナ様もそれはそれはお幸せそうで」
繋がれた手を見つめながら、再び彼女の目尻に皺が寄る。
「もう、からかわないで」
どこか素直で子供っぽい受け答えをする姉を見るのは新鮮で、双子も一緒になって笑った。
「そういえば、あの夜も満月だったわね」
ふと思い出すリリアンナに、エマーニーが頷く。
「昔から男女の双生児が誕生する夜は、満月のかかる清夜と決まっているそうですよ。まるで天からも祝福を受けているようだと」
「そうなんだ、凄いなぁ」
「ひとつも例外はないってこと?」
自分達の出生話を聞くのはなんだか新鮮で、ルシフォードとケイティベルは思わず前のめりになる。その様子が可愛くて、リリアンナの鼻の下が無意識に伸びた。
「……ええ、そうですね。私の知る限りでは」
たった一瞬、いつでも穏やかなエマーニーの表情が陰った気がする。些細な異変も決して見逃さないよう常に気を張っているリリアンナは、やはり根が真面目な逸材であった。
「あら、つい長話をしてしまったわ。ごめんなさい、嬉しくて」
「僕達もエマーニーさんに会えて嬉しかったです」
「また今度、お話聞かせてくださいね」
はしゃぐ二人を見ていると、今この場で指摘する気にはなれない。たおやかに手を振る彼女を見送りながら、リリアンナだけが心を騒つかせていた。
とてつもなく不吉な何かが、こちらを覗いている気がしてならなかった。
そして数日後。リリアンナは、レオニルにサマンサ王子妃殿下への見舞いの許可を得てから再び王宮へと足を運んだ。あの時、助産婦エマーニーが最後の会話で一瞬浮かべた表情がどうしても胸に引っかかっており、杞憂でも構わないからもう一度話を聞いてみようと考えたのだ。
余計な心配をさせたくないと、愛する弟妹は屋敷にてお留守番。二人が姉を案じてついていきたいと駄々をこねたので、リリアンナは道中の馬車で咽び泣いた。
可愛い、可愛い、愛らしくてたまらない。ずっと昔からそう思っていたが、やはり懐いてくれると余計に愛着が湧いてくる。
あんなにも可愛らしい二人を、たとえ夢であっても手にかけるような不届者は、今すぐに剣で叩き斬ってやりたいと思う。剣術の心得はないが、愛さえあればきっとなんとかなるはずだ。
「あらまぁ、リリアンナ様。こんなにすぐお会い出来るなんて」
エマーニーはいつものように目尻に皺を寄せ、慈しみの瞳をリリアンナに向ける。サマンサは臨月の割にあっけらかんとしており、なんとかなるわと豪快に笑っていた。そんな様子を見ていると、リリアンナの方が励まされるような気がした。
無事にサマンサへの謁見を終えた後、少し話がしたいとエマーニーに声を掛ける。突然のことであったのに、彼女は快く部屋へと入れてくれた。
「私が一人で過ごすには素敵過ぎて、少し落ち着かないのよ」
「それだけ、王子妃陛下からの信頼が厚いということでしょう」
肩をすくめるエマーニーの正面に座り、リリアンナは淡々と口にする。内心緊張しているせいもあり、普段以上に表情筋を動かす余裕もない。が、エマーニーはまったく気にしていない様子で彼女に紅茶とお菓子を勧めた。
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