第12話「愛情は平等ではない」

「じゃあ行くよ、お姉様!」

「ほ、本当に大丈夫かしら」

「私達がついてるから、安心して!」

 現在屋敷の食堂前にて、二の足を踏むリリアンナの両脇を抱えるようにして、愛されぽっちゃり双子のルシフォードとケイティベルが彼女を励ましていた。

 ミントグリーンの装いは三人でお揃いで、女子二人は髪型も束髪崩しに統一した。こんなことをして可愛い弟妹の評判に傷が付いたらどうしよう……と、気が気ではないリリアンナ。けれど双子は、ちっとも気にしていない。長年恐れていた姉の本心を知り、こうして仲良く出来るのが嬉しくて仕方ないからだ。

 ルシフォードがこくんと頷くと、扉前に待機していた侍従がゆっくりとそれを押し開く。緊張を隠しきれないリリアンナは、無意識のうちに二人のふっくらとした手をぎゅうっと握った。

 いつだって完璧で好きのない彼女から頼られて、ルシフォードとケイティベルは噛み締めるように頬をぷくっと膨らませる。心配要らないという思いを込め、冷たい姉の手をしっかりと握り返した。

「お父様、お母様、おはようございます」

「「おはようございます!」」

 長女に倣い、弟妹もふわりと頭を下げる。三人揃って姿を見せたのは初めてのことで、両親のみならずその場にいた全員が目を丸くして驚いていた。

「わぁ、いい匂い。今日は私の好きなデニッシュだわ」

「やった、僕の好きなさくらんぼもある」

 朝から可愛らしくはしゃぐ双子はいつもの光景だが、その側で柔らかな笑みを浮かべるリリアンナは前代未聞。一体何が起こったのかと食堂内はどよめきに包まれるが、それを破ったのは母であるベルシアだった。

「おはよう。ルシフォード、ケイティベル。今日は爽やかな朝ね」

「お母様、お姉様もいらっしゃるわ」

「えっ?ええ、そうね」

 唐突な指摘に、ベルシアは戸惑う。たった昨日まではあんなに姉を怖がっていたのに、どういう心境の変化なのだろう。もしかしたら、脅されて嫌々したがっているだけかもしれないと、リリアンナに憤りさえ感じる。

「とりあえず席に着きなさい。朝食にしよう」

 アーノルドの一声には、誰も逆らえない。声を荒げることは決してしない男だが、家父長制を重んじる根っからの貴族気質なのだ。幸福と繁栄の象徴たる双子には甘いが、女であるベルシアやリリアンナには厳しかった。

「それでね、その時お姉様ったら転んで尻餅をついたのよ!とっても痛そうだったわ」

「僕はちょっと笑っちゃった。だって、お姉様のあんな顔は初めて見たから」

 食事中のお喋りは珍しくないが、話す内容はほとんどリリアンナのことばかり。これは事前に「両親を試そう」と二人が画策したせいである。リリアンナの汚名を晴らす為、今後は自分達が暗躍するしかないという使命感に燃えていた。

「ねぇルシフォード、ケイティベル。今日はお母様と一緒に街へ出掛けない?最近王都に出来たパティスリーが評判らしいの」

「ごめんなさいお母様、今日は先約があるの」

「あらそう、残念ね……」

 ベルシアは呟きながら、じろりとリリアンナを睨めつけた。彼女との約束とは言っていないが、どうせそうなのだろうと決めつけている。


「お姉様って、なんの食べ物が好きなの?」

 何気ない質問に、彼女は微かに眉を下げる。

「分からないわ」

 それは正直な答えだった。これまでずっと言われるがままの人生を生きてきた彼女は、自身から何かを選択したことなどなかった。

「まぁ、自分の好物が分からないですって?適当なことを言って、弟妹を困らせているのね」

 さすが悪役令嬢とでも言いたげなベルシアだが、今の二人にその攻撃は通用しない。姉がどれだけ自分達を大切に思っているのかを、ちゃんと理解しているから。


「それって、なんでも食べられるってこと?」

「まぁ、そうなるかしら」

「凄いや、僕とは大違いだ!」

 好き嫌いの多いルシフォードは、きらきらとした尊敬の眼差しをリリアンナに向ける。正面からまともに食らった彼女は、思わず「うっ、眩しい!」と掌をかざした。

「これから一緒に探していけばいいわよ、ね!」

「え、ええ」

 口の端にパンのカスを付けながらにこっと笑うケイティベルに、リリアンナは内心「リスみたいで可愛すぎる」と悶絶する。普段ならそれを隠す為についきつい口調で注意してしまうのだけれど、これからはもう怖がらせたくない。

 手元にあったナプキンを手に取ると、無言で彼女に差し出す。そして自身の口元をとんとんと指で指した。

「ああ!ありがとう!」

 きちんと意味を理解したケイティベルは、素直にそれを受け取る。

「淑女たるもの、マナーは守らなければならないわ」

「分かったわ、お姉様」

 こくりと頷く様子を見て、ベルシアは顔を顰めた。なぜ怯えもせず、姉の言うことを聞いているのだろうかと。どこか負けたような気分になり、不快感を隠しきれない。

 母親ながら実の娘に対抗心と劣等感を強く抱き、自分が夫から辛く当たられるのも第一子が女児だったせいだと、ベルシアは思っている。リリアンナに責任転嫁しなければ、彼女も心の平穏が保てなかったのだ。

 無意識に感じている親としての罪悪感は、双子を可愛がることで昇華していた。自分は間違っていない、可愛げのないあの子が悪いと、年々娘に対する嫌悪は増している。

 一方のリリアンナは、どれだけ強くただ当たられようとも、母親を愛していた。自身のせいで母が肩身の狭い思いをしたと申し訳なさすら感じ、これまで逆らうことなく従順に生きてきた。

 悲しい顔は見せたくないと必死に堪えた結果、表情筋が死んでしまったのは少々辛い。けれどこれからは、もっと強くならなければと決意した。最愛の弟妹を守る為には、いつまでも怯えてばかりでは駄目だと。

 どんなに悪評を立てられても仕方ないと諦めていた弱い自分を、捨てる時がやって来たのだ。

「お父様、お母様」

 音も立てずカトラリーを置いたリリアンナは、ロイヤルブルーの澄んだ瞳を両親に向ける。いつものようなガラス細工ではなく、静かに炎を宿した意志のある視線。

「私はこれまで、環境に甘えて胡座をかいていました。どうせ見てもらえないのだから、行動を起こしても無意味だと。保身に走った結果、大切な弟妹を傷付けてしまった。今後は同じ過ちを繰り返さないよう、自分を変える努力をしていこうと決めました」

 初めて見る娘の表情に二人は戸惑い、そして次第に腹を立て始める。彼女の意思表示を反抗と捉えて、どんな風に考えているのだろうと慮ることもしない。

 長い間向き合ってこなかった代償は大きく、一朝一夕でどうにかなる問題ではなかった。

「お前は、我がエトワナ家の利となるように生きるのだ。それが長女としての勤めであり、逆らうことなど許されない」

「何不自由なく育ててあげた恩も忘れて、よくもそんな生意気が言えるものだわ」

 アーノルドもベルシアも、リリアンナを認めようとはしない。幼い双子は悲しくなって、立ち上がり意を唱えた。


「お姉様は、何も間違ったことを言ってないわ!」

「そうだよ!もっとちゃんと話し合おうよ!」

 普段甘い父が、ぎろりと鋭い視線で二人を制す。びくりと肩を震わせた弟妹を見て、リリアンナも庇うように席を立った。

「どう思われようと仕方ないですが、ルシフォードとケイティベルに一切の非はありません。こんなどうしようもない私を庇ってくれる、本当に優しい子達です」

 その言葉を聞いたベルシアが、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「どうせそのうち、すぐ元に戻るわ。十歳の誕生日が来れば正式に婚約が発表されて、ケイティベルも貴女と同じく王族の婚約者となるのよ。調子に乗っていられるのも今だけね」

 当事者でもないのに、ベルシアは鼻高々に宣言する。リリアンナがレオニルとの婚約を自慢したことなど、ただの一度もない。

「お母様!どうしてそんな酷いことを言うの!?」

「貴方達だってそうだったでしょう?ずっとリリアンナを嫌っていたのに、なぜ今日は庇うの?無理矢理従わされているのなら、お母様に話してご覧なさい」

 思えば、ケイティベルの婚約話の時もそうだった。一度こうだと思ったら、ベルシアは聞く耳を持たない。すべてを歪曲して捉え、最終的には悲劇のヒロインのようにしくしくと泣き始めるのだ。

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