第35話

「本日よりお世話になります市が洞学院2年の小倉心です。よろしくお願いします」


 グラウンドに「うぉ〜!」と響き渡る声。


 市が洞学院の小倉心と言えば俺たちの同年代では知らないやつはいない? らしい有名人。うちの高校の美人マネージャーとしてもテレビやネットで騒がれていたまさにアイドル的存在の彼女。


「とりあえず彼女には事務的なことからサポートしてもらうから」


 ざわめきが大きすぎてコーチの説明を聞いている人はごく僅か。


「ちょっと、美少女がきて興奮するのはわかるけどちゃんと聞いて〜」


 手を叩きながら夏帆ちゃんが声を掛けるがどうやら効果は薄いらしい。


「ちょっと? 心がかわいいのはわかるけど、元々ここに美少女がいたじゃない」


 ドヤ顔で言う夏帆ちゃんのセリフで一瞬、静寂が訪れる。


「もうじゃねぇし」

「見慣れた美人?」

「残念美人?」


「あん?」


 辛辣なコメントに夏帆ちゃんのこめかみに血管が浮き出る。


「よし、いま言ったやつちゃんと覚えたから。それと、あわよくば心とお近づきになろうと考えてるなら残念。この子、とっても大好きな彼氏がいるから」


「「「なんだって〜!!!」」」


「ちくしょ〜! 少しくらい夢見させろや!」

「現実は無常だ!」

「まあ、これだけの美少女がフリーな訳ないか」


 初っ端から爆弾投下。


 まだ相手は誰かってこと———、心?


 みんなが頭を抱え悶える中、スススっと身を寄せて上目遣いでにっこり。


「わたしの自慢の彼氏です」


 キュッと左腕に抱きつくと高らかに宣言した。


「「「はぁぁぁ〜〜〜!!!」」」


「えへへへ。でも仕事はしっかりしますので、みなさんも困ったことがあれば声をかけてください」


 満面の笑顔を見せられたチームメイトは「くわっ!」と呻き声を上げ胸を押さえながら倒れた。


「はいは〜い。遊んでないで練習はじめるよ〜」


 しばらく地面に這いつくばっていたやつらが「へ〜い」と言いながら立ち上がり、何事もなかったかのように練習をはじめた。


「切り替えはやっ!」


「うん、まぁ実は事前に伝えてあったのさ『ジュニアの頃にいた子が美少女マネ(仮)で戻ってくる。斗真の彼女だから弁えるように』ってね。これまでも応援にきてくれてたし、ジュニアの頃からいる子も残ってるからなんとなく覚えてるらしくって『ああ、斗真と仲良かった子ね』って」


 すでに少数派となっているが小2の頃から在籍しているやつも確かにいる。でも正直覚えていたのは意外だ。その頃の心は名前が違ったのもあるが、今と違いおとなしくどちらかと言うと目立たない子だった。


「あの頃からかわいかったからねぇ。あんたは仲良かったからわからないかもしれないけど、他の子たちにとってはその頃から高嶺の華だよ? まあ、一つだけ言えることは……ナイターの帰り道は気をつけなさいよ」


 顔を寄せてきたと思ったら、最後は小声でシャレにならない一言。


「ねぇ、かほちゃん?」


 恐怖に身悶えていると、これまで聞いたことのないような低い声で名前を呼ばれた夏帆ちゃんの身体がビクッと震えた。


「な、なにかな心?」


 チームスタッフにあいさつをしていたはずの心が背後に般若の背景を背負いながら登場した。


「近くない?」


 その一言で磁石が弾かれるようにお互いに距離をとった。


「お、おっと。そろそろアップはじめなきゃ。じゃあ、心。頑張って」


 ヒクつく顔をなんとか笑顔に変えて心に声をかけると、ぱぁっと花が咲いたかのような笑顔で小さく手を振ってくれた。


「ナイス斗真」


 そう呟いてそそくさと逃げようとした夏帆ちゃんの手を、心はガシッと握りしめた。


「さあ、先輩? ちょっと2人でじっくりと話しましょうか?」


 哀れ。


 首根っこを掴まれた夏帆ちゃんは、グラウンドの隅にある用具入れまで引きづられて行った。



 


 


 

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