第33話

 夏休みが終わってもまだまだ暑い日が続く憂鬱な平日の朝。


 朝食を終え登校の準備をしていると、キッチンから心の声が聞こえた。


「とぅくん。こんばんは何食べたい? わたし? それともわたし?」


 ……残念ながら彼女で満たされるのはこころだけであり、食欲は満たしてくれない。それに俺たちはまだ清い関係である。


「はいはい。わたしメインで、そうだな……暑いしサッパリしたものがいいかな?」


 この手の心の冗談は流すよりも軽く受け止めてあげる方が反応がかわいい。


「うん! ちなみにとぅくんはかわいい系とセクシー系のどっちが好み?」


 ……前言撤回。


 恋人になった心は躊躇なく距離をつめてくる。


「えっと心? 今日は夜、練習もあるからあまり時間ないぞ?」


 ナイター練習の場合、終わるのは21時になる。

 帰宅して晩飯を食べ終わるともう心は帰らなければいけない時間だ。


「時間? 大丈夫だよ。今日からわたしもここで暮らすから。ほらっ、荷物も持ってきてるし」


 玄関に移動した心が大きな旅行鞄とキャリーケースを指差した。


「はい? 待って待って聞いてないんだけど?」


「大丈夫。ウチの両親にもとぅくんのご両親にもOKもらってるから。お母さんから2人暮らしにはこの部屋じゃ狭いから隣のメゾネットに引越しなさいって。必要なものだけこっちに持ってきたから残りは向こうに持っていったよ。ここの荷物も少しずつ持っていくからね」


 いやいや。


 俺を無視して話進みすぎじゃない?


 色々と問題しかない———


「ひょっとして、とぅくんはわたしと一緒じゃ嫌?」


 俺の服を引っ張りながら涙目で聞いてくる心。


「嫌じゃないけど色々問題ありだよ? そもそも俺聞いてないし、高校生で同棲はまずいでしょ?」


「問題? わたしたち、もう家族だよ? 家族が一緒にいるのに年なんて関係ないよね?」


「いやいや。思春期真っ只中の高校生だから色々まずいんじゃない。何かあったらすぐには責任とれないし」


 心は信用してくれてるようだが、俺だって健全な高校生だよ? 


「えっちなこと? 正直に言ってわたしはいつでもいいんだけどね? とぅくんはみんなのことを思ってしないんだよね? お泊まりしてなくても今までだって家で2人っきりなんてしょっ中だったんだよ? 今更の心配でしょ」


 暗にヘタレと言われているようでグサっと胸に突き刺さるが彼女は大事なことを忘れている。


「今はもう恋人同士でしょ? だから今までとは訳が違うよ」


 力なく項垂れていた心の顔がガバッと上がる。


「恋人同士! そうだよ! 恋人同士なんだから何も遠慮はいらないよ? とぅくん、今すぐにお風呂に———」

「ストップ! ストップ! 色々すっ飛ばし過ぎだから。百歩譲って同棲は許しても妊娠は許されないでしょ!」


「大丈夫! 準備はバッチリだよ? 確かに大学行って社会人を最低でも3年は経験して欲しいって言われてるけど、お姉ちゃんだって卒業してすぐにお義兄さんのところに嫁いでから働き出したんだから。わたしだって———」

「待って待って! その時兄貴はもう働いてたでしょ? 俺も結婚は収入が安定してからにしたいし」


 いまさら結婚を否定できる要素はどこにもない。外堀? 内堀だって天守閣だってガチガチに固められてるんじゃない?


「む〜、とぅくんは現実的だね」


「女性の方が結婚に理想を描きがちなのかもね」


「……はっ! わたしもアルバイトをすれば———コーチの奥さんにモデルの話を詳しく———」

「はいはい。暴走しないで。2人でアルバイトしても自立した生活は無理だから。とりあえず結婚とか妊娠から離れようか。……まあ、それは未来のお楽しみにとっておいてよ」


 自分の世界に行ったままの心を呼び寄せるように控えめに頭をぽんぽんと叩く。


「……約束だよ? 浮気なんてしたら承知しないんだからね」


 ぎゅっと抱きついてきながら上目遣いで呟く。

 この子以外の誰を見ると言うのか。


「心以上に魅力的な女の子はいないよ」


 気持ちが伝わるようにギュと抱きしめて答える。


「ほんとに? とぅくん無自覚さんだから自分がモテてることに気づいてないよね?」


「モテないって。心の勘違いだよ。それに、もし俺に好意を持ってる人がいても隣にいる心を見れば考え直すよ」


「……はぁ、うれしい言葉なんですけどぉ、わたしから見てもとっっってもかわいい子が全く諦める気配がないんですけどね? でも、とぅくんのこと信じてるから。わたしだって負けるつもりないもん」


「う〜ん? よくわからないけど。それを言うなら心の方がモテてるけど?」


「あれ? ひょっとして嫉妬くれてるの? ねぇねぇ?」


「なんでそんなにうれしそうなの?」


「だってだって。こういうの恋人っぽいでしょ? なんか、すっごくうれしいの」


 俺の胸にぐりぐりと頭を押し付けてうれしさを表現しているらしい。

 こういう甘えたな心を見ていると、やっぱりしんちゃんなんだって実感する。


 

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