欲望のフィレル

欲望のフィレル


 彼の最後は笑顔だった。もともとの生活から、彼の笑顔以外の表情をあまり見たことはなかったけれど、死ぬ時でさえも笑顔だったというのは、どうにも目に焼き付いて消えることはなかった。


 その事実は、それほどまでに彼が傲慢だったという話でもあるかもしれないし、それほどまでに彼が人生というものを楽しんでいたのかもしれない、という憶測につながる。


 彼は幸運だったわけではない。幼い頃の彼の写真は残っていない。でも、知っている限りの彼のそのすべては凄惨と言えるようなものであり、彼自身はその生活の一部さえも語ろうとはしなかった。それを笑顔で覆い隠していたのだろう。

 私にはわからない。でも、彼はいつだって幸せであろうとした。


 人の死について、勝手な解釈で物事を語ることは嫌いだけれど、見知らぬ他人が彼の死を見たのなら、きっと彼こそが世界で一番幸せだったのだろうと推測するかもしれない。死の状況を考えれば、そんな推測は明らかに誤っていることは理解できるだろうが、でも、それを思わせるほどに彼は幸せだったと思わせる表情で死んでいた。





 私は彼が嫌いだった。笑っている顔が嫌いでしょうがなかった。

 取り繕っていると思っていた。自身の素を見せることのできない臆病者だと思っていた。せめて、彼が友人と呼んだ私のことを信用すればいいのに、それでも彼は他人に対して、それも私に対して平等であり続けた。本質的な欲望というものを見たことがなかった。


 唯一、欲望らしいものを見たのは、煙草を吸うときくらいだったろう。


 でも、彼の喫煙はあまりにも下手すぎた。

 ライターの火で煙草に火をつけることが苦手らしく、一度目の点火で煙草に煙が灯った姿を見たことがない。また、火をつけることができたとしても、そうして呼吸をして吐き出す煙は白すぎた。

 彼は煙を吸っていなかった。口にためるだけためてふかしていた。


 なぜ、彼がそうしていたのかはわからない。


 今となっては知る由もない。





 彼の本当の顔を知っている人はいない。きっと、誰も彼の本質をわかってあげることはできず、私も彼のことを知らないまま死んでいくことになる。


 遺言のひとつも残せばいいのに、彼はただ無に死んだ。だから、こうして私が、もしくは誰かである他人が、その死を語ることでしか記録には残らない。


 生前に言った言葉も特にはなく、やはりその振舞いには取り繕いが見え、そうして誰かを心配するような行動だけが見え、結局笑顔で死んでいく。彼はどう考えても傲慢でしかなかった。


 彼が笑顔であり続ける理由を私は知らない。彼が本当に楽しんでいるうえで口角を上げていたのなら、きっとそれはすごく幸せな話だろうと思う。

 でも、そういうわけではないだろう。


 そういうわけではない、という仮定を私はしたい。仮定をしなければ私は彼を信用することができないまま、生きて、死んでいくことになる。

 

 私は彼を信じたいのだ。信じたいからこそ、彼の裏を見ておきたかった。





 彼のことを死んでもなお疑っているのはどうしてなのだろう。

 どうして私は彼のことを信用することができないのだろう。

 彼は真としてその振舞を続けていたのかもしれないのに、どうしてそれを信じることができないのだろう。

 もしそれが嘘だとしても、その嘘を呑み込めずにいるのだろう。

 別に嘘が嫌いというわけじゃないのに、私は彼のどこが気に入らないのだろう。


 疑いを抱くことは悪いことだ。それも死人に対して疑念を抱くなんて、悪そのものだ。

 嘘を呑み込めないことも悪いことだ。もしかしたら相応の理由があるかもしれない。その理由も知らずに勝手な想像をすることは、悪そのものだ。


 私は彼の生だったものに対して、不義理に接し続けている。

 それを許されたい自分がいる。

 それを許してくれるだろう彼を、勝手に思い込む。

 そんな解釈を死んでもなお彼に抱いているのは、ひどく傲慢だという話だ。



 彼の死因は窒息だった。

 窒息の由来は紛れもない自殺であり、天井にぶら下げた縄で、その命を全うしていた。

 だから、疑っても仕方がないだろう。

 私が傲慢であっても許されるだろう。

 彼がそうしてくれることを、私は心のどこかで想像できる。





 いつも彼がペンを持つ手は震えていた。力がこもり過ぎていたというわけでもない、ただ、彼がペンを持って、その先を走らせると必ず蚯蚓がのたくったような形になる。


 唯一と言っていいかもしれない。彼はそんなときに表情を歪ませていたのは。

 しかし、苦しそうな歪みは一瞬で消えていて、あとは何事もなかったかのように笑顔を振舞う。


 きっと、私以外は誰も知らない。私以外は、誰も知ることはない。





 私が彼にとっての他人であればよかった。他人であれば、それだけで彼は幸せな生を、死を迎えることができたのだと、そう思うことができたはずなのだから。

 でも、私は彼の友人だ。友人であり続ける、彼の唯一の人間として。


 私は彼の姿を知っている。


 煙草を吸う姿、無理に吸い込んで咳き込む姿、背が小さくて本棚に手が届かない姿、通りがかる犬を見つめる姿、野良の猫を撫でようとする姿、ペン先が震える姿、店を冷やかして申し訳なさそうな言葉を吐く姿、古着屋で楽しそうに笑っている姿、想定よりも大きく出てきた料理に慌てる言葉を出す姿、本を読む姿、ペンを持てば機械のようにぎくしゃくとする姿、人前では取り繕おうとする偽物の姿、思ったよりも服が小さくなって苦笑するような姿。


 私は、彼にとっての唯一の友人だから、それを知っている。

 それを知ることができている。





 彼への最後の贈り物は煙草にした。


 火をつければいいだろうけれど、きっと彼はそれを望まないだろう。


 だって、きっと彼は煙草が嫌いだろうから。


 箱に入ったまま開封もされていない煙草を棺桶の中に入れる。


 夢の中で勝手にしてくれればいい。


 これが友人としてできる、最後の手向けだ。

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欲望のフィレル @Hisagi1037

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