1−2 逃亡、または旅立ち
「遅いぞ、キール。」
キールが荷物をまとめて北門に行くと、既に準備を終えた兄達が待っていた。
兄達は侍従を数人づつ連れており、その中にはクルエルの執事フラムの姿もあった。
「すいません。遅くなりました。」
キールは素直に謝り、兄達に続いて馬にまたがる。
密かに用意した食料と水分が入った革袋を背負い、キールは手綱を締めるのだった。
「それでは、出発だ。北に向かうぞ。」
リチャードがそう言って先頭を進む。
王宮の窓からはクルエルが総勢11名の隊列が北へと向かっていくのを眺めていた。
「さようなら、メリナの子。貴方の青い瞳が怖かった。メリナ、貴女の受けた寵愛が憎かった。」
クルエルはそう小さく呟くのだった。
▽ △ ▽
王宮を出発してから約4時間後。
休憩を挟んで40kmほど移動したキール達は、北に広がる草原で狩りをしていた。
「ふっ!!」
キールの放った矢が野ウサギを捉える。
矢を温存しつつキールは効率よく獲物を狩っていた。
「いいぞ!! キール!!」
コールマンが馬上で声をかけ、キールの肩を叩く。
「ありがとうございます。」
普段は気弱な兄の気遣いに少し驚きつつキールも兄に応じる。
コールマンは微かに微笑むと、少しだけキールに顔を近づける。
「キール、このまま逃げろ。」
兄が囁いた言葉にキールはバッと顔を上げる。
「母上と兄上は、今日お前と父上を殺すつもりだ。狼煙が上がったら逃げろ。」
コールマンはそれだけ言うと、さっとその場を離れていく。
キールは兄に感謝しつつ逃げる準備をしたことが間違いではなかったことを確信する。
遠くに見える櫓で狼煙が上がった刹那、キールは北へと一直線に馬を駆けさせる。
狼煙の意味は分かっていた。偉大なる1人の皇帝が死んだのだ。
後ろから次々と魔法や弓矢が飛んでくる。
魔法がキールに届くことはなかったが何本かの矢がキールを掠めて飛んでいく。
「ぐっ、、、!!」
飛んできた矢の1本が右肩に突き刺さり、キールは小さく呻く。
矢は
「追え!! 絶対に逃がすな!!」
フラムは部下たちに叫びキールを殺せなかった悔しさに唇を噛む。
侍従達は狼煙に注目し、キールの咄嗟の逃走に反応できなかった。
「クソッ!!」
フラムは憎々しげに遠ざかるキールの背中を見る。
侍従の中で馬に乗っているものは4人しかおらず、もはや弓も届かない。
皇太子であるリチャードとコールマンに弟殺しの責を追わせることもできないため、フラム達は身動きが取れなかった。
ドドドド…
その時、遠くから騎兵達がこちらに向かってくるのが見えた。
おそらく、皇帝の死を伝えるために使わされた兵士達である。
「奴を追え!! キール様が皇帝陛下を毒殺されたのだ!!」
フラムは騎兵が到着するやいなや、そう叫ぶ。
騎兵達は一瞬うろたえるが、リチャードがフラムに同意する。
「そのとおりだ。現に奴が逃げている事がその証左。必ずキールを捕えろ。」
リチャードの言葉で騎兵達が馬を走らせる。
この瞬間、キールは父殺しの汚名を着せられ祖国から追われる立場となった。
右肩に刺さった矢を引き抜き、キールは馬上で後ろを振り返る。
いつの間にか追手は増え、騎兵達がこちらへ向かっているのが見える。
「多いな。」
キールは苦し気に呟き、もう後戻りができないことを実感する。
もう振り返らない、その思いでキールは馬を駆けさせる。
「ハアッ、ハアッ!!」
キールの呼吸が荒くなる。
既に陽は沈みかけているが騎兵達はキールに追いすがっていた。
やがて夜が訪れ後方の確認ができなくなるが、キールは馬を駆けさせ続けた。
翌朝。
キールの馬はもはや歩けない程に疲弊していた。
「、、まだ生きている。まだ死んでない。」
明るくなった草原には追手の姿はなく、キールはまだ自分が生きていることを実感する。
目の前にはラグクラフト公領に続く森の中の1本道。
「歩くしかない。」
キールは重い
切り裂いた服の破片で右肩の傷口を塞ぐと、キールは最低限の食料を持って歩き出すのだった。
「進め!! 絶対に奴を捕らえろ!!」
その頃、フラムは血痕を辿ってキールを追っていた。
皇太子2人を王宮に返したフラムは帝国軍を動員してキール追跡を始めていた。
「馬の1匹の移動には限界がある。必ず追いつけるぞ。」
フラムはそう呟いて、草原を進む。
帝国軍は各所で馬を交換し、驚異的な速度でキールに迫る。
キール捕獲はもはや時間の問題だった。
▽ △ ▽
昼頃にはフラム率いる帝国軍はラグクラフト公領に続く1本道の前に辿り着いていた。
血痕はそこで途切れており、フラムは脱ぎ捨てられた楔帷子と置き去りにされた馬を見つける。
「ラグクラフト公領か。また厄介な。」
フラムは舌打ちをして呟く。
現ラグクラフト公は故ウィリアヌス帝と仲が良かったことは有名であり、残された食料などから、キールの逃走が計画的なものであったことは自明だった。そして、キールがラグクラフト公の
「行くぞ。必ず追いつく。」
帝国軍は一本道を馬で駆け抜けていく。
確認したところ最後の血痕は比較的新しかった。
追いつける、その確信はフラムの中で徐々に大きくなっていくのだった。
その時、キールは発見されやすい一本道を逸れて、森の中を進んでいた。
地図に示された最短距離を信じてキールは森の中へと入っていた。
右肩を抑えて進むキールの足取りは重かった。
応急処置では出血は止まり切らず布に血が滲む。
大量の出血と痛みはキールの体力を擦り減らしていき、もはや水分すら重すぎて手放してしまった。肩で息をして歩き続けるキールの意識は、既に朦朧としていた。
「ぐっ、、、」
木の幹に肩がぶつかりキールは倒れ込む。
木にもたれて何とか上半身を起こすが、キールの視界は定まらずグラグラと揺れる。
揺れる視界が不思議な光景を捉える。
屋根の付いた朱色の盃が目の前の岩の上に置いてある。
キールはそれをかつて見たことがあるような感覚に襲われる。
遥か昔の、今は忘れてしまっている何か。
ドドド…
その時、遠くで馬が駆ける音が聞こえる。
キールは吸い寄せられるようにその盃へと手を伸ばすのだった。
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