8月の金魚
月波結
第1話 最初の花火
金魚はみんな、死んでしまった。
夏祭りからたった3日後のことだ。
◇
その日、わたしは哲太と祭りに行って、金魚を3匹も穫ってもらった。彼は小学生のように生意気な笑顔で「あげる」と、キラキラ水滴が光るビニール袋をわたしに寄越した。
わたしは「ありがとう」ともらったものの、どうやって飼ったものかと頭の中でぐるぐる考えてた。
その時、ちょうど7時半になって、花火の最初の一発がドーンと上がった。
わたしの目はついそっちを見てしまった。綺麗だった。
その短い間に哲太はわたしに短いキスをした。
まるで少女マンガみたいに、わたしは自分の口を両手で塞いだ。耳まで真っ赤なのが暗闇でバレないといいなと思った。
哲太はのん気に「今年はたくさん上がるな」と言った。
確かに花火は華やかで、そして繊細だった。
風もない暗い空の中、流れ星が糸を引くように光って、そしてすっと消えた。それは身震いする光景だった。花火が他人とは思えなかったからだ。
すきだった、哲太が、ずっと。
その哲太にあの日もらった金魚が3匹とも、白いお腹を見せて浮かんでいる。
きちんと飼ってあげようと思い、金魚鉢も買った。少しばかり水草も入れて、水はカルキ抜きもちゃんとしたし、なにがいけなかったんだろう?
ぷかーっと浮かぶ小さな鱗が光る体を見ていると、なぜか声も出ない。もちろん涙も。
ああ、こういうこともあるよなぁと、そう思って眺めていた。
◇
夏休み、8月の上旬、帰省してる人たちだけで集まろうよという話が持ち上がった。
高校の元同級生同士のグループでメッセージが回ってきた時、わたしは最初、「ダルいなぁ」と正直言うと思った。
高校の友だちとは今でもつき合いはあるし、メンバーに問題はなかった。ただ、なんとなく、めんどくさかった。よくあるヤツ。
誰が来るとか来ないとか、何日間か次々と回ってきて「
ただ本当に、夏の暑い日に汗で流れないように化粧をして、子供時代からよく知った街並みをオシャレをして歩くというのが既にダルかった。
暑ければダルいのは道理だろう。
その頃、わたしには大きな悩み事があり、そのせいで外に出る気分にはちっともならなかったとも言える。
彼が――1年の始めからつき合ってる彼が、2年になってから浮気をしていることが発覚したからだ。すぐに「サヨナラ」と言うには中途半端な長さ、つき合ってしまったし、今さらどうしろという感じだった。
彼はただ「気の迷いだよ」とか「たまたまだよ」とか「一度だけだよ」とか、耳障りな気持ちの悪いことしか言わなかった。
クラスで一番モテるんじゃないかと言われてた男に告られて、有頂天になってたうちに奪われたなんて。⋯⋯愚かすぎて涙も出ない。
それとも、
本心は自分にもまったくわからないまま、答えも出ず、彼も山口の実家に帰省してしまった。
「毎日連絡するよ」と言って――。
◇
「依里はさぁ、体質的にモテるんだよ」
「すみません、どこがですか?」
「だからぁ、特別かわいいとか身体がいいとかそういうのを通り越してなにかが男の子にはビビッと来るんじゃん? 男じゃないからわからんけど」
カルピスハイもうひとつ、と手を挙げて大きな声で
わたしはまだハタチにならなくて、目の前にオレンジジュースを置いていた。酔ってる人は酔っ払ってて、どうしようもなくぐだぐだになっていた。
「自信持て!」
痛っ、と前のめりになる。そんなに叩かなくても。
「依里はおとなしそうに見えるけど、実はぐるぐるいろんなこと考えてるじゃん? そこが良くない! モテるんだよ、わかる? その、なんたらもアンタを選んだんでしょう? よく知らんけどたくさんの女子の中でさ」
「⋯⋯そう?」
「そうでしょうよ。依里はとにかく黙って座ってればなんだかいい女の雰囲気があるし、意外と胸もあるし、右目の下の小さな泣きぼくろも目を引くと思うわ。うわっ、モテる女の隣に座っちゃった! おお、ちょうどいいところにピンチヒッターが」
そこに現れたのが哲太だった。
◇
哲太は男の子慣れしてないわたしに臆することなく、文化祭の準備の時に根気よく、大道具の釘の打ち方を教えてくれた偉大な、或いは奇特な男だった。
そういう意味でわたしは彼になんらかの好意を持っていたし、多分、その短い間にわたしたちの間にもなにかふわっとしたものが生まれたんだけど、それはすぐさま立ち消えとなった。
その頃、哲太にはずっとつき合ってる女の子がいて「哲ちゃんにこれ以上つきまとわないで」と失礼極まりない忠告を受けた。もちろんわたしは絶対に哲太にだけは手を出さないと決めた。
後日、不審に思った哲太から「ごめん、不愉快な思いさせちゃったみたいで」と謝罪があり、わたしは「覚えのないことを言われるのは堪らないから」というようなことを、目を反らせてブツブツと答えた。
哲太はなにも言わなくて、わたしたちの間には昼休みの喧騒しかなかった。
「じゃあ」とわたしは負け犬のような心持ちでその場を離れ、ずるずると上履きを引きずるように教室に戻った。
教室に戻ったわたしに容赦なく未恵ちゃんが「どうだったぁ?」と、女子特有のやさしさ匂わせの雰囲気で聞いてきて――わたしは泣いた。
情けなかった、自分が。
自分のことを守れなかった、主義主張を振るうこともしなかった自分が。
教室中の誰もがヒソヒソと、わたしが泣いてると話してるのがわかったのに、涙が止まらなかった。
机に突っ伏している間に、空気の読めない数学の教師が入ってきて黒板に今日の範囲の問題を書き始める、不愉快なチョークの音が響く。
⋯⋯哲太はいつ戻って来たんだろう?
どうでもいいや。
彼にとってわたしはどうでもいいように、わたしにとっても彼はどうでもいいんだから。
ただ、あの女の上から目線の言いっぷりに腹が立っただけだ。
そうだ、この涙は悲しみじゃなくて、尊厳を踏みにじられた悔しさと怒りの涙だ。――悲しいわけじゃない。
◇
「依里、久しぶり」
「そうだね、久しぶり」
「東京はどう?」
「部屋が狭い。車と電車がうるさい。人が多すぎる」
「『The東京』だね」
躊躇いもなくわたしの隣⋯⋯つまり、未恵ちゃんがさっきまでいた席に哲太は腰を下ろした。躊躇いもなく。
時間というのは、以前あった摩擦のようなものもどんどんすり減らしてくれるものなのか、アルコールの入ってない正常なはずのわたしの頭でもわからなかった。わかったのは、哲太があの頃と変わってないように見えることだけだ。
「あれ、依里、オレンジジュースじゃない?」
「わたし誕生日9月の終わり」
「オレ、2月。負けたわ」
「ダサ。成人式でも飲めないじゃん」
「そういうこと」
哲太は、と向こうから大きな声がかかって、コーラひとつ、と隣の男はやはり大きな声で答えた。
「なんだ、年上の女だったのか。どおりで――」
「なに?」
「いや、一筋縄では行かないなと」
「失敬な」とよくわからないことを返してしまって、ヤバい、顔が赤くなる。見られたくない。
「あ、お前、本当は少し飲んだな?」
「飲んでない、飲んでない」
「ほんとに? 顔、赤いから。場酔いするタイプ?」
「わかんない。こういうところ、あんまり来ないし」
「今日はよく来たね」
なんだその笑顔は? どんな裏がある?
わたしは――この日のお知らせが回ってきてからずっと、スマホとにらめっこしていた。ただただ、あの頃の思いが巡りめぐって。
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