第37話

 太郎は眉間のしわを深くしつつ、反町に詰問する。

「初めてできた、のはいいんだけどさ。するときみは、初対面のぼくに、全力でその発勁とやらをかましてくれたってこと? ど素人で、発勁も『気』の何たるかも知らないぼくに?」

「あ……いや。それは……」

「しかも、自分にダメージが来るのを防ぐため? 自己防衛のためならぼくがどうなっても構わなかったってこと言ってるわけ?」

「えっと、あの……」

「おかげでぼくは、とんでもない威力の発勁ってやつを喰らうことになったんだけど?」

冗談ではなく、死ぬかと思った。実際には、セーフモードのときでもなければそう簡単には殺せない身体であり、今回も問題なく回復はできているものの、ナノマシン体の太郎を殺せそうになること自体が、とうてい尋常ではないと言えた。

「いや、軽率だったのは認めるよ。悪かったと思ってる。だからおれ何度も謝ったでしょ? でもあのまま放置したら、おれたぶん死ぬかそれに近い大怪我してたはずなんだ。なんならもう一回、いやそっちの気が済むまで土下座するけど……?」

反町がほんとうにベンチからまた地べたへ下りそうになったので、太郎はやむなく「それはやめて」と止めた。

「……それに、あの発勁はおれの力じゃないよ」

「それどういう意味?」

反町の力でないとしたら、何なのか? 太郎が問い返す。

「あれの威力は、あくまできみの『気』の強さと大きさによるものだよ。発勁ったって、別に不思議な力をどっかから持ってくるわけじゃない。あくまで技を仕掛けた側の『気』の量で威力が決まるものだ。だから、本来なら未熟なおれの発勁なんて、たいした威力は出せないはずなんだよ」

太郎はまだ疑り深そうな目で反町を見た。

「いやほんとなんだって。必死になってきみから流れ込んできた『気』を戻しただけで、その量に比べたらこっちの『気』の力はぜんぜんゴミみたいだったよ。だから威力のほとんどは、きみ自身の『気』によるもので間違いない。たまたまおれは『気』を練ることができて、きみにはそれがなかったから押し戻せたけど、もし技量が同等だったら、あれを喰らってたのはおれのほうだったと思う」

「ええ……?」

そう聞くと、もしも反町があの衝撃のダメージを受ける側だったら、そのときはほんとうに死んでしまっていたかもしれない。相手が仕掛けたことによる自業自得だとはいえ、もし目の前で死人が出たら……太郎の背筋がぞっと震える。

「うーん」

太郎は頭を抱えた。目の前の男が軽率で考えなしな点は非難できるが、それでもこれは結果オーライであったと言えるのか。とりあえず、いまは誰も怪我していないし、まして死んでもいないのだ。

 納得したくないけど納得せざるを得ない。そんなややこしい表情の太郎を見て、反町はつと立ち上がる。

「……ちょっと見ててもらえる?」

反町はベンチから離れ、すぐそばの桜の木の幹に右手を当てた。桜は幹の胴回りが二メートル以上ありそうな、なかなかの巨木である。反町が目を閉じた。数秒間、そのままじっとして動かない。その直後である。

「……ふっ!」

息を吐き出すとともに、桜の梢が、ざわっと……揺れたような音がした。揺れのせいなのかどうか、上から葉っぱが一枚、ひらひらと落ちて来る。

「……うん」

目を開けた反町が、満足そうに頷くのが見えた。

「いま……桜に向かって発勁を使ったってこと?」

太郎が尋ねると、反町は太郎の方を向いてにっと笑う。

「おかげで、コツを掴んだみたいだ。『気』を相手に送り込む感覚がわかったよ。まだ、うんと準備してからでないとダメだけどね。これはお礼をしないといけないかな」

いや、要らないと太郎は反射的に思う。お礼というなら、むしろ今後は関わらないで欲しい。

「ただ、おれの『気』の力では発勁といったって、この程度だよ。見ただろう? たった葉っぱ一枚だ。力いっぱい蹴っ飛ばしたほうが、よっぽどたくさん落とせると思うよ」

「……もし、さっきの発勁の威力があったら?」

「いやわかんないな、それは。でも、無事じゃ済まなかっただろうね。この木の葉っぱが全部散ってしまうとか……もしかしたら幹が木っ端みじんになっててもおかしくなかったかも」

反町が答えると、あらためて太郎の眉間に縦皺が刻まれる。

「え、ぼくそんなの喰らったの? それってつまり殺人未遂?」

途端に、反町の顔が情けなくゆがむ。太郎の指摘が正しいとわかっているからだ。

「……やっぱり、もういっぺん土下座したほうが良かった?」

「いややめて」

太郎は反町の額の傷を見ながら首を振る。

「だけど」

「いや土下座はいいから」

「いやそうじゃなくて」

「?」

気づけば反町が、この日最も真剣な目で太郎を見つめている。

「それできみは、なぜいま動けるのかな。やっぱり、きみって何者?」

「む……」

太郎は、一瞬ぎくりとしたのを押し隠して思案する。殺人未遂レベルのダメージを受けたはずなのだ。怪我どころかどこもおかしな様子がなかったとしたら、その方が不思議である。太郎は反町の視線を受け止めて、一呼吸おいてから、おもむろに言葉を選ぶ。

「……ぼくには発勁なんてできないし、自分の『気』だってどんなものだか知らない。なぜ大丈夫かだなんてわかるわけがないよ。発勁で受けたのがきみのじゃなく自分の『気』だから平気だったとかではないの? そういうのはむしろきみの方が詳しいでしょう」

追求したつもりが切り返されて、反町は返答に詰まる。

「え、いやぁ……そ、そうなのかな。……うーん、そいつはおれにもわからない」

「……だったら、話はここまでだね」

太郎はベンチから立ち上がった。

「あ、ちょ、ちょっと待ってよ」

太郎に立ち去る気配を感じて、反町が慌てる。

「まだ何かあるの?」

露骨に迷惑そうな顔で太郎が答えた。

「あの……さ、一度おれのじいちゃんと会ってみないか?」

「……は?」

太郎は唐突な反町の申し出に首をひねる。

「きみの……おじいさん? なんで?」

「うん、おれのじいちゃんは、おれの拳法の師匠でもある達人だ。発勁や『気』に関する知識や経験、技術も、おれなんかとは比べものにならない。きっときみの『気』について、おれよりちゃんと見られるし、ちゃんとした話ができると思う」

「……そんなの、ぼくに必要ないって言ったら?」

にべもない太郎の反応に、う……と反町が言葉に詰まる。ただ、いったんは怯んだものの、反町は簡単にあきらめる気はないようで、言葉を継いできた。

「うまく言えないけれど……きみの『気』は……大きすぎるし強すぎる。それはきみ自身にとってもリスクになるんじゃないかと思うんだ」

「リスク?」

「そう。それだけの『気』を、きみが認識もコントロールもできていないことに、危うさみたいなものがあると思う。そんなに多くはないとしても、世の中にはおれみたいに『気』を感じられる人間はいる。そういう人にとっては、きみはきっと注目の的だよ。その中に、きみ自身が気づいていない、きみの『気』を悪用しようとしたり、悪意や敵意を持って近づいてくるやつが、いないとは限らないだろう?」

そう言われると……たしかにそれはそうかも、と太郎は考え始めた。

 実際にいま、自分にとって未知の発勁という技術で、きわめて重大なダメージを受けたばかりである。まさかナノマシン体の自分の身体に対して、これほどの威力を発揮する素手の攻撃があるだなんて、想像もしていなかった。太郎自身の『気』を使って太郎にダメージを与える。この方法であれば、相手が大きな力や『気』を持っていなくとも、十分に太郎へ対抗しうることになる。さいわいにして反町は、悪意から攻撃してきたものではない。しかし、敵としてこの技を使ってくる相手がいたとしたら。

 太郎の身体には、自動防御力改善システムみたいなものがあるので、一度受けた攻撃に対しては、二度目以降のダメージを軽減することができる。したがって、おそらくだが反町から同じ技を受けたとしても、次からはもっと抑えたダメージで済むはずだ。ただし、それは相手が反町だった場合の話である。

 『気』を使った攻撃、あるいは発勁という技に対抗する防御力が、汎用的に上がっているのならいい。しかし、反町は自分で自分を未熟だと称していた。反町よりももっと高い技量を持つ相手、それこそ達人だという反町の祖父のような武術家が、太郎の『気』を利用した発勁を放ってきたらどうなるのか。そのときは、初撃で死んでしまうこともあり得るのではないだろうか。

 思わず、太郎は唸った。そうであるなら、ここは少なくともいまのところ敵意のなさそうな、反町の紹介で達人に会う機会を持っておくほうが、太郎にとって有益な話と言えるはずだ。

「わかった。会うよ」

太郎は意を決して、反町の提案を受け入れることに決めた。……と同時になんでまた、望んでもいないのに、自分にはこんなにも剣呑で暴力的な世界ばかりがどんどんと広がっていくのか、という諦念に、ため息しか出なかった。

「そ、そう? 良かった、じゃあじいちゃんにはおれから話しとくからさ! ぜひ近いうちに道場へおいでよ!」

嬉しそうに笑う反町と連絡先を交換したあと、太郎は自分の携帯端末をじっと見つめる。

「どうしたの? なんかエラーでも出た?」

太郎の様子を見て、反町が尋ねる。

「いや、なんでもない。大丈夫だよ」

太郎は首を振る。ついこの前まで、太郎の携帯端末のアドレス帳には、親と学校ぐらいしか載っていなかったのに、このところばんばん登録件数が増えている。ことりのような同世代ばかりではなく、なぜか警察署長の斉藤与一や、市長である世良武雄、その家族の多佳子や亜佳音の連絡先まで登録済みとなっていた。

 これは武雄に呼ばれて話をしたとき、斉藤が帰りがけに、まだ亜佳音の相手をしていた太郎を見て「連絡先を教えて欲しい」と言い出したためだ。断る理由もないので応じていたら、それを見ていた武雄が「では私も」となり、すると多佳子に亜佳音までが「じゃあこっちも」と言い出した。そんな成り行きもあって、元が少なかっただけに、いつの間にか登録件数が膨れあがったのである。そのことにちょっと驚きと感慨を覚えていたのだった。

 ただしそれは、自分の連絡先を知る相手も増えていることとイコールになる。それが良いことなのかどうか、太郎にはまだ判断ができなかった。

「じゃあ、おれはこれで行くよ。長いこと引き留めちゃってごめんね。……そういえばきみ、なんか体育館に用事があるんじゃなかったっけ?」

「体育館……あっ?」

反町の言葉に、太郎はようやくことりのことを思い出して青ざめた。


 いまの一幕で、いったいどれほどの時間を足留めされたのだろうか?

 あたりは夕暮れを過ぎ、すっかり陽が落ちてしまった。太郎は唇を噛みながら体育館へと走る。さすがにもうことりたちは帰ってしまったあとだろう。

 案の定、体育館は既に扉が閉められ、電気も消されていた。もう中を見ることはできないが、そうするまでもなく、誰も残っていないことは明らかだった。

(やっぱりダメか……残念)

肩を落として太郎が帰ろうとしたとき、ふと後ろから声が聞こえた。

「あれ? 太郎ちゃん?」

振り返ると、ことりがいた。体育館とは別棟にある、事務所棟から出てきたところだった。

「……世羅さん」

ジャージ姿に大きなスポーツバッグを抱えたことりは、にっこり笑って駆け寄ってきた。

「今日は応援ありがとう。来てくれて嬉しかった」

「あ、うん」

「もしかして、わざわざ待っててくれた?」

「え、まあ。そんなとこ……かな」

一度帰ったとは言いにくかった。

「太郎ちゃん、まだ時間大丈夫?」

「うん」

「じゃあ、ちょっとそのへん座ろっか。さすがに今日は疲れちゃったよ」

二人は並んで近くのベンチに腰掛ける。

「えっと。ほかの人はもう帰っちゃったの? 世羅さん一人?」

「あ、そうね。ちょっと大会運営委員の後片付けをお手伝いしてたら、思ったより長引いちゃって」

「あ、そうなんだ」

ことりらしい面倒見の良さだなぁ、と太郎は思う。

 そこで会話が途切れた。ことりはうつむいて、少し前へ伸ばした足のつま先のあたりをじっと見ている。太郎はどんな言葉をかけたらいいのか、まるで思いつかなかった。

「……終わっちゃった」

ぽつりとことりが言った。

「……うん」

「勝てなかったなぁ……」

惜しかったね。でも頑張ったよ。大活躍だった。太郎には言えなかった。何を言っても、その場限りの浅い慰めにしかならない気がした。

「勝ちたかった……」

ことりの声が震える。ちらりと見たことりの横顔に涙が光っていて、太郎は急いで目を逸らした。

「かっこつかないなぁ……。せっかく太郎ちゃん来てくれた……の……に」

ことりの声に嗚咽が混じる。そんなことない。すごくかっこよかった。そう言いたかった。でも言えない。言葉にしたらきっと軽すぎる。

「ごめん。ごめんね。せっかくの……応援……」

声を詰まらせることりに、太郎は思わず口を開きかけたが、それでも言葉は出てこない。自分の方こそ、もっとちゃんと応援すべきだった。自分の応援なんかと思わずに、最初から力いっぱい声を出せば良かった。謝りたいのは自分の方だ。そう思ったが、何も言い出せない。ただ、自分でも気づかないうちに、ほんの少しだけことりのほうに身体を寄せていた。触れない程度に、少しだけ近く。

 しばらくして、とん、と太郎の肩に当たるものがあった。ぎょっとして目を向けると、ことりの頭が太郎の肩に載ったのだとわかった。ことりは泣いていた。

「くやしい……よ」

「……うん」

ついにことりは声を上げ、肩をふるわせて泣き始めた。部員たちの前では懸命にこらえていたものが、堰を切ってあふれたようだった。太郎は肩を貸した姿勢で硬直したまま、動けなくなった。

 何か言ってあげたい。ちょっとでも気持ちを楽にしてあげたい。太郎は切にそう願った。これまで読んだ数え切れない本の中に、こんなときにジャストフィットするうまいセリフはなかったろうか? とっさに記憶の検索を行ったが、ダメだった。

 しゃれた男女の会話なら、記憶はそれこそ無数にある。しかし、言葉だけではダメなのだ。それを口にするにふさわしい背景があってこそ、その言葉はそこで生命を持つのである。どんな言葉であるかはもちろん重要だ。しかしそれ以上に、どんな人物が語るのかで、その重さや届き方はまるで変わってしまう。

 太郎がしびれるような粋なセリフ、惚れてしまいそうなかっこいい会話はたくさん覚えている。けれどそのどれもが、登場人物の持つ人生の重みがあって初めて、きちんと相手に響くものばかりであった。自分のような人生経験の乏しい中学生が口にしても、上滑りしてぽろりと落ちそうなものにしかならないと思えた。スポーツで負ける悔しさを知らない自分が、真剣に取り組んでなお届かなかったクラスメートを慰める特上のセリフなんて、いままで読んだことはないのだ。

(情けないなぁ……)

太郎は自分に失望した。

 本を読むことが無意味だなんて思わない。その価値は下がらない。でも、本だけでは足りないと思った。もっともっと、自分が積み重ねた経験の中から出てくる言葉が必要なのだ。そんな言葉が出てくるような生き方を、これから目指していくべきなのだ。いま、言葉が出てこないこの自分を、ちゃんと覚えていよう。太郎は思った。いつか、この経験から自分なりの言葉が紡ぎ出せるようにしよう。

 いまはただ、黙ってことりに肩を貸し続けた。


 * * * * *


 お読みいただきありがとうございます。

 週に1話ずつ更新します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る