五十一 仮王宮(一)

 地震による王宮の被害はれんの予想を超えていた。

 まず、西にしよんぐうだけではなく、こう殿でんがほぼ全壊だった。

 それまでりょうや蓮花が寝起きしていたせきぐうも八割近くが壊れており、殿舎の倒壊の恐れがあると工部省が判断した。

 外廷であるたい殿でんも被害を受けていたが、こちらは半壊ということでなんとか修繕しながら政務をすることになった。

 泰和殿では、先日西四宮から移動したばかりの御廟だけが粉々に壊れており、中に祀ってあった神仙の像などすべてが粉砕した状態だったという。廟の屋根から柱、壁のすべてが爆発したように木端微塵になっていたのに、その周囲の木々は傾いただけだったらしい。

 内廷がほぼ生活空間として使えない状態であることから、蓮花はいったんかん家に戻ることになった。


「出て行って五日で戻ってくるとはねぇ」


 里帰りするなり母に笑われた蓮花は憮然とするしかなかった。

 とはいえ、他に住む場所はない。

 稜雅も一緒に桓邸で暮らすことになった。

 倒壊した赤鴉宮からひとまず衣類だけ桓邸に運び込んだ蓮花と稜雅だが、荷物の量が極端に違っていた。

 なにしろ稜雅の衣類は葛籠つづらひとつにすべて収まるだけしかなく、蓮花のようにひつを荷車三台に乗せて運んでもまだ半分という状態ではない。

 稜雅の服が少なすぎると思うのだけれど、と蓮花が母に告げると、すぐさま仕立屋が桓邸に呼ばれ、稜雅は半刻近く採寸に時間を奪われる羽目になった。


「倖和殿はいったん瓦礫を取り除いて建て直すしかないらしい。ただ、そのための資金がない、そうだ」

「…………でしょうねぇ」


 蓮花はきんに軟膏を塗ってもらいながら、稜雅の説明に頷いた。

 ちょうしゅんぐうの瓦礫の中から助け出された蓮花は、大きな怪我こそしていなかったが、打撲と擦り傷が全身にある。ただ、これでも軽傷の部類だと言われた。

 倖和殿で働いている内官たちの中には、大怪我をした者もいるらしい。

 市中の被害は揺れが少なかったこともありほぼなく、古い建物の中には土塀が崩れたり屋根瓦が落ちたりしたところもあるらしいが、死者や重傷者は出ていないとのことだった。

 王宮も、そんまつようが地震による死者として処理された。

 ゆうじゅんの骸は地震の際に西四宮の瓦礫の中に埋もれてしまった、ということになっている。

 どこかで遺体が見つかったのかと蓮花が稜雅に尋ねたところ、長春宮の中にそれらしきものがあったらしい。損傷が酷いので顔などの確認はできなかったが、衣類や装身具から本人たちだろうと判断したそうだ。

 の呪いに飲み込まれてしまったものだと蓮花は思っていたがどうやら肉体の一部は此の世に残っていたようだ。

 とはいえ、三人の遺体が出たことは間違いないので、地震の翌日には蓮花は長春宮に小さな祭壇を設えてもらい、稜雅と一緒に線香を上げた。

 また蓮花は、本物の游かいけいであり現在は『ごう』と名乗っている青年に煙管を返した。彼は「いつの間にか失くしていたんだ」と礼を言って懐にしまったので、蓮花もどこで拾ったかは特に説明はしなかった。


「西四宮でさえ再建が厳しい状態だったのに、倖和殿のほとんどの殿舎が壊れたとなってはねぇ」


 まずは半壊状態の泰和殿を修復するしかない。

 外廷は行政機関として常に動いていなければならないため、内廷よりも先に元の状態に戻す必要がある。

 泰和殿の各省庁の殿舎は飾る必要がないので、柱を漆塗りにしたり屋根瓦の色にこだわったりはせず、とにかくすぐに手に入る資材で修復するらしい。

 一方の倖和殿は、建っていれば良いというものではない。

 なんといっても王と妃の住居だ。

 内廷の殿舎が粗末な建物では国の威信を傷つけることになるらしい。とはいえ王と王妃もどこかに住む場所を探さなければならない。


「ひとまず王宮に近い空いている屋敷を借りて、仮王宮としようと思う」

「仮王宮?」

「いつまでも桓邸に居候しているわけにはいかないからな」


 王と妃が宰相の屋敷に数日避難しているだけならいいが、倖和殿が再建されるまで居座るのは外聞が悪いらしい。

 いまのところふたりの身の回りの世話は芹那と桓邸の使用人がしているが、本来は内官たちの仕事だ。その内官たちも倖和殿が全壊してしまい寝泊まりする場所がないということで、帰れる家がある者はいったん帰っている。


「あまり大きな屋敷は借りられないが、使用人の数や警備のことを考えるとこの屋敷の半分くらいの広さの物件を探す予定だ」

「まぁ、そうなの」


 王宮で暮らす分には妃として蓮花が殿舎の差配をする必要はなかったが、邸宅で暮らすとなるとそうもいかないだろうと考えた。

 面倒臭い、と思ったが、蓮花は口を閉じておいた。

 倖和殿が全壊した原因の半分は、蓮花が封印を解いたせいだ。

 いくら砥を滅ぼした王と方士が封印と称して仕掛けていたものとはいえ、実行したのは蓮花なので文句は言えない。まさかあんなに壊れるとは思わなかった、とぼやきたかったが、倖和殿が壊れただけで済んだのだからまだましな方かもしれない。

 一体あれはどういう仕組みだったのか、と聞こうにも、すでに事情を詳しく説明してくれる人物は周囲にはいない。

 いまだに、長春宮の薬玉を壊すことで封印が解けて砥の呪いが閉じ込められていた場所から這い出してきた途端に狭間に放り込まれた構造が理解できなかった。

 現在のところ、西四宮を震源として地震が発生した原因が自分であることを、蓮花は稜雅に告白できていない。

 稜雅は、赤鴉宮にいたはずの蓮花が西四宮で見つかったことについてなにか言いたげな顔をすることはあるが、些末な事だと考えているのか忙しいのか、詳しい説明はいまのところ求められていない。

 蓮花もいまのところ上手く説明できる自信がないため、黙っている。

 なにしろ、倖和殿を全壊させてしまったことについて釈明するにしても、まずは稜雅の先祖がそくの豪族である砥氏を滅ぼしたところから始めなければならないので、ややこしい。


「王が王宮の外から泰和殿に通うなどろう国が始まって以来だと言われたが、倖和殿が使えない以上は仕方がない。別に俺は泰和殿の適当に空いている部屋で寝起きしても構わないと言ったんだが、王妃をそんなところに住まわせるわけにはいかないときょうに反対された」

「わたしもさすがにみんなが働いているところで寝起きするのはちょっと……」

「うん、まぁ、そうだな」


 赤鴉宮で暮らしている数日間だけでも、とうばくが蓮花の部屋に出入りしていたので、さすがに稜雅も泰和殿で暮らすことはすぐに諦めたらしい。


「四、五日で借りる屋敷の目処は立ちそうだから、もう少し待って欲しい」

「わたしは別に構わないわ」


 実家での生活に戻っただけなので、蓮花は特に急いで新居に移りたいとは思っていなかった。

 桓邸での稜雅のための部屋はすこし離れた客間に用意されているが、彼はそこでは着替えをしているくらいで、寝食は蓮花の部屋でしている。

 もともと蓮花の部屋は幼い頃から使っている部屋なのでそう広くはないのだが、稜雅は「この部屋の方が落ち着く」と言って過ごしている。

 蓮花は帰宅後すぐに自分の部屋の前に『後宮』と書いた紙を貼った。

 透は爆笑し、博は黙り込み、稜雅は「まぁ、好きにしたらいいんじゃないかな」と言ったが、母親が笑顔で張り紙を剥がしてかまどの中に放り込んでしまった。

 もっとも、『後宮』と書いて貼っても男子禁制にはなっておらず、透や博は勝手に部屋に入ってきていたので、後宮宣言は失敗に終わった。

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