三十六 長春宮(四)

 自分の襟元を押さえたごうは、きんねいねいばくの視線を一身に浴びた。


「普通は、知らないものだ」

「そうでしょうね」


 かつてゆうていの遺児がかんきょうに匿われていたことは轟も知っていたはずだが、まさかれんが赤鉄鉱の首飾りの意味を教えられているとは考えなかったらしい。


「で、あなたは誰?」

「…………そこの化け猫に聞いたのではないのか」

「甯々は喋れないわ。それは、あなただって知っているでしょう?」


 にこやかに蓮花は告げた。


「あなたはずっと以前から方士をしていたわけではないわよね。いくら王族の数が多くて、国からの年金支給額が少ないから自活しなければいけない王族もいたとはいえ、方士のような胡散臭い仕事で生計を立てていたわけではないわよね?」

「方士で生計を立てていた奴の前で言うことか」

「芹那の父が言ったのよ。方士は胡散臭い仕事だから、自分の娘は方士だけには絶対嫁がせない、絶対駄目だってね。わたし、あなたと初めて会ったときに思ったの。なぜ赤鉄鉱の首飾りをしている人が方士のふりをしているんだろうって。それに、甯々を見たあなたは生きていることには驚いた様子だったけれど、甯々の姿には驚いた様子ではなかった。なのに、あなたはじゅん様のお屋敷で起きた事件以外については芹那の父を語らなかった」


 椅子に座り直した蓮花は、小さく息を吐いた。


「芹那の父とは長い付き合いではないのよね? だから、思い出話ができなかったのよね。芹那の父の相棒というのは、あなたではないのでしょう?」


 目の前の轟は、わざと老けて見えるような格好をしているが、二十代と言われればそれくらいに見えるし、四十代と言われればそのように見える。


「でも、あなたは隼暉様のお屋敷であの事件を目撃したのよね。游一族が必ず身につける首飾りを提げているあなたが」


 蓮花の指摘に、轟は目を伏せる。


「三年前、あなたが語った状況の中で、なぜか隼暉様のご子息のことが一切出てこなかったのが不思議だったの。隼暉様のご子息はお屋敷にいらっしゃらなかったのか、それともいらしたのか。隼暉様の奥方が亡くなられた後、ご子息はどうなさったのか。あなたはまったく話さなかった。だからわたしは、ご子息はその当時はお屋敷にいらっしゃらなかったんだろうと思っていたの。でも、それならそれですこし不自然なのよね。だって、隼暉様が狙われて、ご子息がまったく標的にされないってことはあるかしら? もし隼暉様に取り憑くことに失敗したなら、ご子息を狙うはずでしょうに」


 蓮花に凝視された轟はため息をついた。


「あなたは三年前、いずれ自分を王宮に連れて行って欲しいと言っていたわ。でも、自分からは王宮には入れないような口ぶりだった。それは、隼暉様が王になってしまったから? かく国へ留学したかいけい殿は、本当に隼暉様のご子息なの?」

「塙国へ留学したのは……俺の異母弟だ。会稽の名で留学させた。どうせ弟の名は誰も知らないから、俺の名前で留学させた方が向こうの学館での待遇が良くなると思ったんだ。父は弟のことはほとんど気に掛けていなかったし、俺の母が死んでからは父の素行がおかしくなる一方だったし、弟が会稽を名乗っても別人であることを指摘する者はいなかった」


 ぽつぽつと轟は語り出した。


「赤鉄鉱の首飾りが呪いを避けることを、父は信じていなかった。母は、呪いとは関係なくこれは王家の血を引く証しだとして俺に付けさせた。母は、俺が王族として重用されることを願い、たくさん勉強させた。父はたくさんいる公子の中でも冷遇されている方だったから、母はなんとかして俺を出世させたかったらしい。母は父に代わって王宮へ頻繁に顔を出し、王宮で息子がいかに優秀であるかを後宮の妃たちに吹聴し、いずれ息子が次の王に取り立てられるよう布石を打っているつもりだったらしい。だが、それが仇となって母を疎ましく感じていた妃のひとりが母に後宮内の呪物を渡した。妃の狙いは父ではなく、俺だった」

「そのお妃様は、どうなったの?」

「多分、死んでいる。呪物に触れて何事もなかった者などいない。方士ならともかく、普通の者なら身体が蝕まれる。游一族の血をまったく引いていなくても、無事ではいられない」


 蓮花の質問に対して、轟は淡々と答えた。


「弟は母が死んだ後に屋敷に引き取った。父は弟の存在を知ってはいたが、母には隠していたこともありずっと放っていた。でも、母が死んだ後の父はおかしくなっていたから、俺が弟を屋敷に呼び寄せたことに関して特に反対はされなかった。俺は、弟が呪いの影響を受けることがないよう、弟にも赤鉄鉱の首飾りを付けさせた。それが、その似顔絵にある公子だ」


 楪が似顔絵の紙の端に『公子』とだけ書いたのは、『会稽』と書くべき人物ではないことを示すためだろう。楪は留学してきた『公子』と親しくなり、なにか事情を聞いたのかもしれない。しかし、隼暉の息子であり王族ではあるので、『公子』としたのだ。


「あなたが本物の游会稽殿?」

「その名は異母弟にやった」

「隼暉様のご子息?」

「…………そういうことになるな」

「あなたは一昨日や昨日、王宮に来た? 陛下や宰相に謁見を申し込んだりしたかしら?」


 蓮花の問いに、轟は首を横に振った。


「俺は、王宮に出入りできる身分は持っていない。游会稽を名乗る男が都に入ったという噂は聞いているが、異母弟は塙国だ。留学して半年で学館から別の場所に移動している。先に塙国の学館に通っていた学生とふたりで支援者を頼って姿を隠すように指示してあったんだ。王になった父は日に日におかしくなり、いつ『会稽』を呼び戻そうとするかわからなかったから、外国で失踪したことにした方が都合が良いと思ったんだ。塙国に不利になるといけないから、いったん塙国を出て行方不明になるように細工はした。なぜか游会稽が消えたことは王の耳には入らなかったようだが、それならそれで良いと思っていた」

「なるほど。つまり、わたしが昨日会った人物はこの似顔絵ともまったく似ていないことから、轟の弟君ではなく、まったくの別人ということね」


 隼暉の息子は王宮に顔を出したことがなかったので、誰も『游会稽』を名乗る男が本物か偽物かがわからなかった。

 またりょうも、游会稽として現れた男が赤鉄鉱の首飾りを身につけているかどうかで判断しなかった。多分、袍で首元が見えなかったからだろう。もしくは、隼暉が赤鉄鉱の首飾りを着けていなかったので、息子も同じように身につけていなかったとしてもそれほど重要だとは考えなかったのかもしれない。


「なぜあなたは三年前に我が家に現れたの?」

「なにかあったら、宰相の屋敷に行くように俺に指示したのは方士たちだ。ふたりとも死にかけていたが、宰相の娘のところに行けと俺に言った。俺の目の前で死んだ男の名前を貰って『轟』と名乗ることにしたのはその場しのぎのことだ」


 芹那の父の相棒が『轟』という名であることは間違いではなかったらしい。

 ただ、すでに死んでいたのだ。


「方士の遺品を俺の部屋にこっそり隠し、母や方士、使用人たちの死体に囲まれているしかなかった。あの日、屋敷の中で生き残ったのは父と俺だけだった。夜になってやってきた怪しげな連中が、死体を運び出して行った。全部仕組まれていたのだと気づいたのは、父の言動がおかしくなってからだ」


 すべてはやはり芹那の父と相棒が隼暉の屋敷を訪ねるすこし前から始まっていたのだ、と蓮花は納得した。

 轟は明言を避けたが、暝天衆が関わったことはほぼ間違いない。

 そして、隼暉が死んだいまもまだなにひとつ終わっていない。


「轟。あなたは方士として精魅や幽鬼を退治できるの?」

「真似ごとしかできない。この三年間、なにものかと問われたら方士だと名乗っていたが、実際に退治したり祓ったりできるわけじゃない」

「そう――――」


 目を細めた蓮花は、唇に手を当ててしばらく考え込んだ。


「でもまぁ、方士として振る舞ってもらいましょうか。実際に精魅や幽鬼を退治するのは、甯々に任せましょう」

「……できるのか? その姿で」


 化け猫となった甯々に視線を向けて轟が尋ねる。


「全部食べちゃうから大丈夫よ」


 さらりと蓮花は答える。

 甯々は得意げに口を開けて歯を剥き出しにして見せた。どうやら、笑顔を作ったつもりらしい。

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