二十六 赤鴉宮-薄暮(三)
「そういえば、獄舎に捕らえてある
指に包帯を巻かれてげんなりしている
甯々は稜雅が気に入らないらしく、まだ歯茎を剥き出しにして唸っている。どうやら稜雅を敵として認定したようだ。
「取り調べをしたのですか?」
「いや、まだだ」
蓮花が丁寧な口調を崩さないことが不満そうな稜雅だったが、また甯々に噛みつかれて今度は部屋から追い出されてはかなわないと思ったのか、おとなしく椅子に座って蓮花とほどよく距離を置いたまま答える。
さきほど蓮花が大騒ぎした際は、部屋の窓から稜雅の侍従が様子を窺うように覗き込んでいた。いくら王が怪我をしたと言っても許可なく妃の部屋に踏み込むことは侍従としては許されるものではなかったし、室内の様子からかすり傷ていどだろうと侍従は判断したらしい。戦場でいくつもの切り傷を作ってきた王が、化け猫に噛まれたくらいで大怪我をするはずがないとも思ったのだろう。
またろくでもない噂が王宮に流れては困る、と考えた稜雅は、ひとまず甯々には近づかないことにした。
「獄卒の話では、彼女は今日は一日中おとなしく独房の中で過ごしていたそうだ。数日中に形だけでも取り調べをおこなうつもりだが、その後彼女をどう扱うかは
「そうですか」
現在稜雅は政務のすべてについて宰相の
「西四宮の小火について、
「彼女が西四宮に放火しても、隠れ住む場所がなくなっただけで得することはなにもないように思いますけどね」
蓮花は甯々を抱きしめながら首を傾げた。
現在のところ、西四宮が消失して困っているのは妃である蓮花だけだ。
稜雅は後宮がなくても
つまり、妃という立場にある蓮花や、元妃である巽茉梨以外は、ほとんど西四宮を重視していないということになる。
一方で
游隼暉の終焉の場所は後宮だった。彼は西四宮に貴族の娘達を妃という名目で集めて、人質として住まわせていたが、彼はそれだけ西四宮という区域の重要性を認識していたことになる。
游
(
巽茉梨がそのことを知っているかどうかは不明だ。
彼女は自分が実家で不遇な生活を送っているからといって王宮に戻ってきたようだが、人の血がたくさん流れ、精魅や幽鬼が集まっていると噂される西四宮に好んで住むなど、普通ではあり得ない。
(いくら精魅や幽鬼を見物したいわたしでも、廃墟で生活するのはごめんだわ)
生まれてからこれまで不自由な生活をしたことがない蓮花は、屋根があっても雨風がしのげるとは言いがたい朽ち果てた殿舎で、食事もろくに摂れず、着の身着のままで過ごすような真似はできない。どうしてもしなければならなくなったらするだろうが、耐えられるかどうかはわからない。
「巽妃の取り調べをする際に、隼暉様がなにかに取り憑かれていたのかを彼女に確認してみるべきかもしれませんね」
「そうだな。……彼女はなにかを知っている可能性があるからな」
ぼそりと呟いた稜雅の態度から、彼は巽茉梨についてなにか別の情報を持っているようだと蓮花は判断した。
(これは、後で透お兄様を呼び戻して尋ねてみるべきかもしれないわ)
透を呼び戻すのは簡単だ。なにしろ、彼の大事な刺繍道具一式は蓮花の部屋にある。これを桓邸に送り返すと言えば、仕事を放り出してでもすぐさま飛んでくるはずだ。
昨日から透は桓邸に戻っていないようだし、しばらくは王宮に泊まり込んで仕事をするようだから、王宮の事情に精通している透を使わない手はない。
「蓮花。君はしばらくは
即位したばかりの王にそんな暇などないだろう、と蓮花は思ったが、黙って頷いた。
「游会稽は倖和殿には入れないよう、衛士たちには厳しく指示を出しておく。王宮への出入りを禁止することは難しいだろうが、前王の遺体を引き取る話だけであれば
よほど游会稽の存在が気に入らないのか、稜雅の指示は細かかった。
「游会稽が、前王がなにかに取り憑かれているなどという話を俺ではなく君にするということからして、怪しい。なにか企んでいる可能性がある」
従兄弟とはいえ、稜雅と会稽ではいまや大きく立場が変わっている。
新王と、暴君である父を討たれた息子。
ふたりが親しくなることはないように思われた。
「会稽殿は、陛下には事情をお話にはならなかったのですね」
「まったく聞いていない。聞いたところで、信じたりしなかっただろうが」
「そうでしょうね」
窓の外に視線を向ければ、軒下の釣り灯籠の明かりがくっきりと闇夜に浮かんでいる。
精魅や幽鬼も溶けてしまいそうなほどの暗闇だ。
「君に話したということは、君なら信じると思ったのだろうか」
「……どうでしょうか」
なぜ游会稽は自分に近づこうとするのか、それが蓮花はわからなかった。
王の妃だからという理由だけで、彼が蓮花に目を付けたとは考えにくかった。しかも蓮花は数日前に妃として指名され、昨日王宮に入ったばかりの妃だ。
「陛下は、子供の頃に会稽殿と会われたことはないのですよね」
「ない」
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