二十四 赤鴉宮-薄暮(一)

「――なんでとうがここにいるんだ?」


 れんの部屋に入ってきたりょうは連日の政務で疲労が溜まっているのか、かなり苛立った様子だ。


「なんでと言われましても、慣れない王宮暮らしで戸惑っていらっしゃるに違いない王妃様の御機嫌伺いですよ。陛下」


 しれっとした表情で針と糸を動かしながら透が答える。

 王妃の居室だというのに、まるで自分の部屋のような大きな顔をして居座っていたことは隠さないが、口先だけは丁寧だ。


「こんばんは、陛下」


 あくびをしかけていた蓮花は、襦の袖で口元を隠して微笑みながら稜雅に挨拶をする。

 大柄な稜雅が部屋に入ってくると、途端に広い部屋が狭く感じる。

 昼間も四阿ですこしだけ話をしたが、昨日蓮花が王宮に入ってからゆっくりと話はできていない。

 透が椅子に座ったままで立ち上がって王に挨拶をする気配がないため、蓮花も椅子に腰を下ろしたまま声を掛ける。王に対して不敬ではないのだろうかと一瞬考えたものの、王宮のしきたりについては透の方が稜雅や蓮花よりも詳しいはずだ。その透が稜雅をないがしろにしているとは考えにくかったので、このような私的な場ではわざわざ椅子から立って礼をする必要はないのだろう、と蓮花は判断した。


「政務がお忙しいと伺いました。お疲れ様ですわ」


 蓮花が笑顔で労うと、稜雅は一呼吸置いてから「……うん」とだけ答えて、蓮花の隣の椅子に座った。

 すぐさまようが茶を入れて稜雅の前の円卓に置く。

 目の前に座る稜雅に視線を向けた蓮花は、記憶の中の少年だった稜雅と、王になった稜雅を比べてみた。


(この八年くらいで、子供の頃の面影がなくなってしまったように感じるわ)


 いまの蓮花と比べても頭二つ半ほど身長が伸び、日々の鍛練で逞しくなった稜雅は、少年の頃のような不安定さをはらんだ雰囲気はない。

 反乱軍を統率しただけあり、芯の強さと人を惹きつける容貌、それに逆境をはねのける意志と実行力に溢れているように見える。それでいて、王として政務を執るという初めての経験に、数日ですっかり疲れているような様子でもある。

 この目の前の彼が、本当に子供の頃にかん邸で一緒に遊んだ游稜雅だろうか、と蓮花は首を傾げたくなった。

 父も兄も彼を游稜雅と呼ぶのだから間違いないのだろうが、蓮花の記憶の中の彼とはまったく違っている。


「なに? 俺の顔になにか付いているのか?」


 蓮花があまりにもじっと稜雅を見つめているのが気になったのか、稜雅は手で自分の頬を撫でながら尋ねた。


「いいえ」


 首を横に振りながらも急に視線をそらすのは不自然だろうと思い、蓮花はそのまま稜雅を見続けた。


「わたしが覚えている陛下とかなり面差しが変わっているなと思いまして」

「まぁ、確かにそうだな」


 刺繍道具を片付けながら透が頷く。さすがに稜雅の前で刺繍を続けるつもりはないらしい。別に彼は自分の趣味を隠すつもりはないが、王妃の部屋を自分の趣味部屋として利用していることに気づかれると、この部屋への出入りが禁止されるのではないかと心配しているのだろう。

 また、稜雅は武人だ。男の透が刺繍を好むことを良しとしないことも考えられる。


「うちで暮らしていた頃はもっとかわいげがあった」


 透は自分より頭ひとつ分稜雅の方が身長が高いことを気にしているらしい。透は子供の頃から運動よりも座学を得意としており、背丈は成人男性の平均ていどはあるが、あまり筋肉は発達していない。日頃から馬車に乗って移動することが多く、ひとりで馬に乗ることはほとんどない。

 桓家のきょうだいは活発に身体を動かすということをあまりしないので、子供の頃の稜雅が庭で木刀を持って素振りしているのを透たちは縁側に座って眺めたり、稜雅が木刀を振った数を数えたり、姿勢が悪いだの腰が入っていないだのと好き勝手に批評しているだけだった。次男のばくは剣術指南書を読み込み、それを稜雅に説明するという真似ごとをしていたので、桓家のきょうだいは剣術に詳しいものの実践はからっきしという状態だ。


「お兄様は、ひとめで陛下がわかりましたの?」

「いいや」


 蓮花の質問に透が即答すると、稜雅が苦笑いを浮かべた。

 透は言い訳のように説明する。


「父上は、游碇仆ていふ殿にそっくりな男がいるからすぐわかった、とおっしゃっていたが、私は陛下の父君とお目にかかったことがないからな。そもそも、皆が似たような鎧を着ているから、誰が誰だか区別がつかなかった。国軍の兵士から奪った鎧を着ている者もいたし、反乱軍が王宮に攻め入ったときは敵味方の区別なく斬りかかってくる奴もいたしな。陛下だって反乱軍の大将だとわかるような格好ではなかったぞ」

「鎧は市井で手に入る物をかき集めただけだからな」


 稜雅は軽い口調で答えた。

 国王軍は色の鎧を纏っていたが、反乱軍は胴鎧だけの者も多く、国軍のような装備は用意できなかった。武具はどれも古い物、錆びた物などを手入れして使っていたので、刀は折れれば敵の物でも拾って使ったし、鎧だって敵から奪った物も多い。死体から武具を剥ぎ取る者もいたが、戦場は死んだらすべて奪われるものだという意識が兵士たちに根付いただけだった。

 ほんの十日ほど前まで、稜雅は戦場で血と腐臭にまみれていた。

 いま、香炉から芳しい薫りが漂い、白磁に注がれた茶を供され、着飾って微笑む妃と、仕事を抜け出して悠長に刺繍に興じる男がいる部屋で、政務に神経をすり減らして苛立っている自分の状況が稜雅には信じられないくらいだった。


「陛下は父君に似ていらっしゃるのですか?」


 蓮花が無邪気に尋ねてきたので、稜雅は首を傾げて正直に答えた。


「どうだろう。俺は父の顔はほとんど覚えていないんだ」

「そうだったのですね」

「蓮花の顔はちゃんと覚えていたぞ」

「あら、それは嬉しいですわ」

「子供の頃は可愛いと思っていたが、昨日に到着した蓮花がとても綺麗になっていて驚いた」

「まぁ……お上手ですこと」


 稜雅からお世辞を言われたと思った蓮花が軽く受け流す。


「本当にそう思ったんだぞ」


 真剣な表情になった稜雅は、蓮花に向き直ると念押しするように繰り返した。


「仙女が来たのかと思ったくらいだ」


 さすがにそれは褒めすぎだろう、と蓮花が恥ずかしさのあまり頬を赤く染めるのと、ぷぷっと透が吹き出すのが同時だった。


「いくらなんでもそれはないだろう!」


 腹を抱えて笑い転げそうな透の態度に、稜雅はむっと顔をしかめる。


「うるさい。俺はそう思ったんだ。というか、いい加減出て行け!」


 いつまでも部屋に居座る透の存在が邪魔になった稜雅が、透を追い払うような素振りで手を払う。


「はいはい。邪魔者は退散しますよ」


 片付けた刺繍道具を入れた箱をきんに預けると、透は椅子から立ち上がった。

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