十七 獄舎-黄昏(二)
「
「…………え?」
男は、危険だとわかっているものを王妃に渡すように勧めた。
そのことに、
游隼暉の息子であれば、游王家に害をなすような真似は忌避するはずではなかったのか。
「
男の声はなぜか王家滅亡を期待しているように、巽茉梨には聞こえた。
「もし、あなたの取り調べの場に王妃が現れなければ、あなたが持っている
この男は本当に游隼暉の息子――
まるで父親の死は游王家に生まれた者として当然の報いだと言わんばかりだ。
新たな王である
「あなたには
穏やかな口調で男は告げた。
しかし、すべてにおいて『あれ』とだけ呼び、その存在の名を口にすることを避けているような様子だ。
名を知っているということは、その存在を支配できるということだ。にも拘わらず、彼は『あれ』の名を呼んで所有しようとはしない。
「そして、あなたが
「し、しかし、あの王妃のそばには妙な精魅がいるのですよ!?」
思わず巽茉梨は声を上げた。
「あぁ、あの不格好な獣のことですか? それなら、心配無用です。すでに手は打ってあります。あなたはただ、
最初は丁寧だった男の口調が、次第に巽茉梨に言い聞かせるようなものに変わっていた。
「すでに妃の任を解かれ、後宮から出されたあなたが所有し続けることは許されないものです」
「こ、これは、わたくしがご主人様から選ばれた証しです! ご主人様がわたくしを選んでくださったのは、わたくしに力を与えてくださったのは、わたくしがご主人様のご期待に応えられるからであって……」
「あなたが利用価値のある妃だったから、贄として選ばれただけです。妃でなくなったあなたは、すでに存在価値がなくなっています」
男が言い放った一言に、ひゅっと巽茉梨は息をのんだ。
「わかりますか? 妃の地位を失ったあなたは、価値がないのです。巽家でも、すでにあなたは厄介者となっていたようですが、
「そ、そんなことはありません……わたくしは……
自分には価値があるのだ、と巽茉梨は主張したかった。
巽邸に戻った際、家族は優しかったが腫れ物を扱うような態度をとり、使用人たちは痛ましいものでも見るような目で自分を見た。
近所の人々の、前王の妃に対する
巽妃だから憎まれる、暴言を吐かれる、石を投げられる方が、彼女の矜持を満たしていた。
いまだってそうだ。
巽妃だから、危険人物として獄舎に囚われている。
いずれ稜雅王は、自分を巽妃として取り調べる。前王の後宮で生き残った数少ない妃として、隼暉王の暴政の内幕を知る重要人物として、稜雅王は自分を処罰するのだ。
美しい衣を身に纏い、華やかな装飾品で飾り立てなくとも、自分には妃という位がある。これは入れ墨のように自分の身体に刻まれたものであり、死後も自分が巽妃であるという事実は消えないのだ。
「本気で游一族を滅ぼしたいのであれば、游稜雅を殺したいのであれば、あなたが選ぶべき行動はただひとつのはずです」
男は淡々と告げた。
「あなたが
「わ、わたくしは……」
「あなたひとりでは達成できない目的を成功させるためには、その手段を実現可能な人物に譲る決断をすることもまた重要なのです。さもなくば、長年の計画は破綻し、あなたは喰われて無駄死にするだけです」
あえて男は容赦ない事実だけを突きつけた。
「あなたの役目は終わったのです」
最終通告のように男は言い放つと、ふつりと声は途絶えた。
かすかに石畳の上で響いた履音もすぐに消えた。
床の上に座り込んでいた巽茉梨は、ぼんやりと壁を凝視した。
(あれは、何者?)
游隼暉を操っていた存在を把握し、それでも放置していたような口ぶりだった。
実の息子が、そのような真似をするものだろうか。
しかも、游王家が滅ぶということは、游隼暉の血を引く游会稽も死ぬ運命にあるというのに。
「ご主人様……あの男の言葉を信用すべきなのでしょうか。それとも、あの男はわたくしを騙そうとしているのでしょうか」
自分の味方をしているように見せかけて、
それなのになぜ、あの男があのような言葉を残していったのか、理解できなかった。
「ご主人様……どうか、お答えください……わたくしに、正しい道をお示しくださいませ」
巽茉梨は懇願するように声を上げた。
しかし、独房の中で彼女の問いに答えるような物音ひとつ立たず、静まりかえるだけだった。
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