十五 泰和殿(五)

 肩のあたりまであるとおぼしき黒髪をうなじでひとつに結び、季節感のない喪服のような薄墨色の袍に身を包んだ男は、装飾品などで身を飾っていないにもかかわらず、華やかさを纏っていた。顔には気品と落ち着きと教養を感じさせるものがあったが、哀愁と疲労を漂わせている。

 年の頃は二十代半ばだろう。

 いかにも育ちの良い貴族という風采だが、供はそばにおらず、ひとりでふらふらと王宮内を散策してここに辿り着いたという態度を装っている。

 しかし、王妃が一日に一度は参拝する御廟のそばでれんが現れるのを待ち伏せていたことは間違いない。


(この人がゆうかいけい? なんかいろいろと胡散臭い感じの男ね)


 游会稽を一瞥した蓮花の第一印象はかなり悪いものとなった。

 忍び寄るようにして話しかけてきたことがそもそも気に入らなかったが、まるで蓮花を試すような口ぶりがなりより不愉快だった。


りょうの従兄というよりは、ゆうじゅんの息子として見た方が良さそうね。この男がを知っているかどうかはわからないけれど、わたしに近づいてきたということはまったく知らないというわけでもないのでしょう。游隼暉が息子にどこまで話していたかは知らないけれど、は游隼暉が王になる前の出来事だから……)


 じっくりと游会稽を見つめた蓮花は、冷ややかな表情を崩さず口を開いた。


「手紙は受け取りました」


 蓮花が答えると、游会稽は顔をほころばせた。


「お読みいただけましたか?」

「読みました。そのあと、陛下がお読みになりました」

「王が? あなた宛ての手紙を?」

「えぇ。なにか不都合でも?」


 列侯に名を連ねていない游会稽は、游一族とはいえ本来は王宮を自由に歩き回れる立場ではない。まして、王妃に気軽に話しかけられる者でもない。彼は、暴君として討たれた游隼暉の息子であり、敗者の立場のはずだ。いくら彼自身はこの内乱に関わらなかったとはいえ、稜雅が捕縛を命じれば游隼暉の血縁者として捕らえられ追放か死刑の憂き目に遭っても不思議ではない。


「いえ――」


 会稽の返事は歯切れが悪かった。


「あなたは、陛下への口添えを望まれていたのでしょう?」

「はい」

「あなたの希望は、わたしの口から伝えるよりも、あなたの手紙を直接陛下に読んでいただいた方があなたの気持ちが陛下に伝わると思いましたの」


 実際は稜雅に手紙を奪われたのだが、蓮花はもっともらしく説明した。


かん妃様。あなた様は私の父を憎んでいらっしゃいますか?」


 会稽は衛士ときんに阻まれながらも蓮花に話しかけることを止めなかった。


「わたしは前王を憎むほど存じ上げません。お目にかかったことはありませんし、前王はわたしにとっては雲上人でしたもの」

「しかし、父はあなたを自分の後宮に入れようとしていた。それは、ご存じのはず」

「えぇ、知っております。しかし、だからといって前王を憎んだり恨んだりする理由にはなりません」


 事実、蓮花は隼暉王が好きではないが、彼を憎悪したことはない。そのような感情を抱くほど、前王については知らなかった。


「なるほど。あなたはこれまでずっと桓家で大切にされて暮らしてきたのですね」


 どこか皮肉げな口ぶりの会稽は、わずかに唇を歪めて笑った。


(わたしを挑発しようとしているのかしら? 一体なぜ?)


 面倒な男に絡まれた、と蓮花は内心ため息をつく。


「あなただって亡くなった父君を大切にされているからこそ、ご遺体を引き取りたいと陛下に願い出ていらっしゃるのでしょう?」

「大切? あの父が? まさか!」


 空笑いをして会稽は蓮花を見つめた。


「私はただ、父がなにかしでかす前に王宮から連れ出したいだけです」

「なにかしでかす? 前王は、陛下に討たれて亡くなっていますよね?」


 隼暉が死んだことを会稽が正しく理解していないのだろうか、といぶかしみながら蓮花は確認した。


「父が死んだことは紛れもない事実です。しかし、父のむくろが王宮にある限り、おとなしくしているはずがないのです」

「それは……幽鬼になって王宮をさまよい、自分を殺した陛下に恨みを晴らそうとするということですか?」


 いくさで敗者の亡霊が死んだ場所に留まるという話はよく聞く。

 隼暉がどのような理由で王になることを熱望し、きょうだいを殺してまで王位を得ようとしたのかは不明だが、ようやく手に入れた王座をたった三年で明け渡すはめになったことは無念に感じているはずだ。


「そんな可愛らしいものではありませんよ。賢王と名高かった祖父亡き後に王となった父は、私がかつて敬愛していた父ではありませんでした。父に取り憑いていたものに操られるだけの生きるしかばねでした。いまは魂が抜けたきがらとなっているはずですが、取り憑かれたままのはずです」

「取り憑かれている? ?」

「えぇ、そうです。――桓妃様は、ご存じだったのではありませんか?」


 会稽は一瞬だけ芹那に視線を向け、すぐに蓮花へ視線を戻した。


「いいえ。そのようなお話は初めて聞きましたわ。死してなお取り憑かれているというのは少々荒唐無稽に聞こえますが」


 驚いた表情を作り、蓮花は答えた。


(この男、を知っているのかしら。芹那のことや、自分の母親の死因についても知っていて、わたしも知っているに違いないと臭わせているように見えないこともないわね。でも、この口ぶりだと、まるで游隼暉はが原因で自分のきょうだいを殺し、王位を手に入れたように聞こえるわ)


 素知らぬ表情を作ったまま、蓮花は思考を巡らせた。


「父に取り憑いたものは、屍さえも動かすと聞きます。ですから、できるだけすみやかに父の骸を火葬し、灰にしてしまいたいのです。さすがに遺灰となった父に取り憑き続けるということは難しいでしょうから。……あなた様への手紙には、いまお話しした事情を書くことをためってしまったのですが、やはり私が父の骸を引き取りたいと考えている事情がただの感傷ではないことを理解していただきたく、不躾とは存じましたがお声を掛けさせていただいた次第でございます。処罰は、父の火葬が済みましたら如何様にでも受けますゆえ、いまはご容赦くださいませ」


 哀れみを請うような顔で、会稽は告げた。


(なるほどね。この男は、稜雅や大臣たちは信じないであろう話を、わたしであれば信じるだろうと考えてここで待ち伏せていたのね。となると、芹那のことを知っていて、過去の出来事についても多少は知っていると思ってよさそうね)


 頭の中を整理しながら、蓮花は会稽を見つめた。


「伺ったお話は、陛下にお伝えいたします」


 自分の一存では答えられないということを蓮花は強調した。

 游会稽の事情を自分がどれくらい知っているか、相手に手の内を知らせるつもりは一切なかった。


「わたしにできるのはそれだけです」


 蓮花が告げると、会稽は深く頭を下げた。

 そのまま静かに去って行く会稽の姿を蓮花は見えなくなるまで凝視し続けた。

 游会稽の存在は謎だ。

 彼の父である游隼暉は、自分が王位に就いた際、息子を王太子にはせずかく国へ留学という名目で自分から遠ざけた。隼暉には他に子供はおらず、即位前に妻を亡くして以降は再婚していなかったので跡継ぎとなるのは会稽ひとりだった。

 にも拘わらず、なぜか隼暉は王になった途端、息子を冷遇した。


(親子でなんらかの確執があったとしても、父が王になってすぐに息子が国外追放というのは解せないわ。それまでにいろいろあってずいぶん前から留学が決まっていたというのならともかく、以前お兄様が世間話ていどに教えてくださった話だと、隼暉王が即位してすぐに塙国への留学が決まったとか。王太子になれる血筋の息子を国内の辺境に派遣するならともかく、国外に行かせるというのは勉学目的であっても普通ではないわ)


 游隼暉に妾との間の子供がいたというならともかく、そのような存在は隼暉王の時代の三年間で一度として現れなかった。

 だからこそ、世間では游会稽が隼暉王の実の息子ではないのかもしれない、と密かに噂した。


(游会稽が游隼暉と血の繋がりがなかったとしたら、反乱の熱がまだ冷めていないそくに危険を冒してまで戻ってきて父の遺骸を引き取ろうとするものかしら? もちろん、血が繋がっていなくても育ての親であったことに違いはないでしょうから、恩を感じてってこともあるでしょうけれど)


 游隼暉と会ったことがない蓮花は、さきほど見た游会稽が本当に游一族の血を引いているのかどうかは判断がつかなかった。

 稜雅と似ているところは特になく、容姿はいたって普通に黒髪黒眼だ。


(游隼暉がなにかに憑かれている、と彼は言っていたけれど、それを知っているということは彼は十年前の出来事を知っていると考えるべきでしょうね。そして、游隼暉の死によってひとまずすべてが終わったと彼は判断しているのかしら)


 蓮花が『はじまり』と考える出来事が隼暉によるきょうだい殺しと王に即位後の暴政に繋がっているのだとすれば、稜雅が隼暉を殺したことで一連の出来事は『終わった』と見なすことができる。


(終わったのかしら……本当に?)


 線香の匂いと一緒に、嗅ぎなれない薫香が漂っていた。

 会稽が自身の袍に焚きしめていたとおぼしき薫りは、異国のおもむきがあった。


(そもそも、発端となったあの出来事がいまに繋がったとしても、なにが目的だったのかが見えてこないわ。もしせいに関わることだとすれば、そもそも目的があったかどうかすら怪しいけれど、目的もなく隼暉王に国を乱されたとすればそれはそれで癪よね)


 肩巾ひれを強く握りしめながら、蓮花は思考を巡らせた。


(游隼暉の骸が、彼に取り憑いたなにものかの力で王宮を彷徨うというのであれば、それも一興かもしれないけれど)


 終わったと見なすのは早計だろう、と蓮花はひとまず自分に言い聞かせた。

 すべては游会稽の第一印象からの判断だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る