十二 泰和殿(二)


 れんが目を覚ましたのは正午をすこし過ぎた頃だった。


「おはようございます、王妃様。枕が変わってもよくお眠りになれたようで、よろしゅうございました」


 寝台の横に座っていたきんが呆れた顔で挨拶をする。


「えーっと、おはよう」


 上半身を起こして辺りを見回した蓮花は、自分の部屋と設えが異なることに首を傾げた。

 寝ぼけているのだろうか、と考えたところで、昨日王宮に上がったことを思い出す。

 ここは王宮のこう殿でん内にあるせきぐうだ。


「午前中、女官長殿がなんども王妃様はお目覚めかと確認しにいらしていましたが、まだお休みであることを告げると去っていかれました」

「そうだったの。それは悪いことをしたわね」


 蓮花は日頃から寝坊をしているわけではない。

 たまたま昨夜は小火騒ぎで就寝が遅くなったことと、入宮や華燭の儀式で気を張って疲れていたため、長く眠ってしまっていただけだ。


「女官長のお話では、どうやら王妃様には朝のお勤めがあるそうです」

「お勤め?」

「朝一番にこの王宮を護る神仙と祖霊を祀る廟をお参りし、国の安寧を祈り、そのあとで朝餉。さらに朝議から戻られた陛下にご挨拶。そして陛下とお茶をする、というところまでが日課なんだそうです。廟をお参りする際の襦裙と朝餉、陛下へのご挨拶時の襦裙はすべて替えなければいけないそうです」

「まぁ……それは朝から忙しいし、面倒臭いわね」

「後宮のしきたりだそうです」


 芹那が一言で片付けると、蓮花は大きなあくびをした。

 寝台の下で眠っていたねいねいはのそりと這い出すと、蓮花の枕元に上がってきた。


「いまはそもそもその後宮がないじゃないの。もちろん、廟に参拝するのは王宮で暮らす者として大切な役目だと思うけれど、それを妃の義務としてしまうと気持ちが籠もらないものになってしまうから、祀られている方は嬉しくないんじゃないかしら」

「寝坊をするためのご大層な屁理屈をこねていないで、さっさと起きてください。お着替えを済まされましたら、お食事をご用意いたします。お腹が空いていらっしゃるでしょう?」


 蓮花の扱いに慣れた芹那は、てきぱきと主人に指示を出す。

 居間ではようりんが自分たちの仕事を探しあぐねている様子だ。


「それにいまは御廟をたい殿でんに移しているそうです。西四宮が廃墟になったので、御廟だけ後宮の近くに置いておくわけにはいかなくなったそうで、礼部と殿中省と内侍省で協議をして移動を決めたそうです」

「御廟って数日でそんなに簡単に移動できるものなの? この王宮を建てた際に風水で最適な場所を選んで祀っていたはずの御廟でしょうに」

「詳しくは存じ上げませんが、とにかく御廟は移動したそうです。風水がどうこうよりも、廃墟に廟を残しておく方が神仙や祖霊に対して失礼だってことになったんじゃありませんか?」


 適当に答えながら芹那は蓮花から寝間着を脱がせると、衣桁に掛けてあった襦裙を手早く着せる。


「御廟といってもそれほど大きな物ではないようです。歴代の王それぞれの霊廟ではありませんから」

「ふうん。まぁ、大きければ数日で移動させるのは無理だったでしょうけどね」


 ろうこくの歴代国王の廟は、都であるそくの郊外に建てられている。

 廟といっても規模はまちまちで、七代目の王の廟は生前から貴族の邸宅なみの敷地に作られていたが、八代目じゅんの廟はない。隼暉は王位に就いた後、廟の建設に着手する前に死んだためだ。


「そういえば、先代はどこに葬られたのかしら」


 隼暉の所業を考えると、国として第八代国王の立派な霊廟を建てることはないはずだ。


「まだ葬られてはいないそうです。ただ、ご遺体はご子息が引き取られることになっているそうですよ」


 芹那は遺体がどこにあるとは答えずに告げた。


「ご子息?」


 隼暉は王位に就く前から妻帯していたが、王として即位したときには正妻はすでに亡くなっていた。彼は後宮に数多の妃を侍らせていたが、どの妃も正妃にはせず、また、隼暉の即位後に彼の子を産んだ妃はひとりもいなかった。誰も身籠もらなかったのか、身籠もったけれども生まれなかったかまでは蓮花の知るところではない。


ゆうかいけい様という方でかく国へ留学されていたそうですが、潦国で反乱が起きた知らせを受けて帰国されたのがほんの五日前のことだとか」


 塙国は船で海を渡って二十日ほどかかる距離にある島国だ。

 王太子という立場ではなかった会稽は、多分最初はすぐに反乱が落ち着くと考えて動かなかったのだろう。それに、武人ではない彼が戻ってきたところで、反乱軍と戦うすべはなく、父王の助けにはならない。

 もしかしたらもっと前から潦国内に戻っていたのかもしれないが、反乱軍優勢の状況を見て、自分の命を優先して束慧に入らなかったということも考えられる。


「そのご子息に芹那は会ったの?」

「…………いいえ」

「そう」


 自分の目の前で帯を締める芹那から視線をそらした蓮花は、窓の外を眺めた。

 美しく整えられた庭には、薄紅色のしゃくやくの花が咲き誇っている。

 反乱軍によって庭が踏み荒らされた形跡は、蓮花が見渡す限りは見当たらない。

 赤鴉宮で新王の妃を迎えるに当たって、前王の痕跡を消そうと官吏たちが躍起になったのだろう。西四宮を後宮として使わないのは、使える状態ではないことと、まだ前王の痕跡があちらこちらに残っているからに違いない。


「ご子息は、都に入ると同時に前王の遺骸を王宮から運び出すことを希望されたそうですが、まだ実現していないようです。役人の中には、前王の遺骸を民に晒すべきだと主張する者もいたそうで、陛下や宰相閣下がご子息へ引き渡すことを決めた際も反対意見が多かったとか」

「前王を恨んでいる者がそれだけいたということね」


 隼暉が死んだからといって、すべてが終わったと言えない人々も潦国にはたくさんいる。

 新王はそんな人々すべてに寄り添い、希望に添った対応ができるものではない。


「実は、游会稽様から王妃様宛に手紙が届いております」


 蓮花と芹那の会話を聞いていた佳鈴が、おずおずと口を挟んできた。


「手紙? わたしに?」


 游会稽とは面識がない蓮花は、目を丸くした。


「はい。どうしても王妃様にこの手紙を読んでいただきたいとおっしゃいまして、わたくしの父のところに会稽様が手紙を置いていったそうです。父はかつて会稽様に詩歌を教えておりましたご縁がございまして、いまはあまり前王との繋がりをおおっぴらに人様に語れる状況ではないのですが、かといってこの手紙をそのまま打ち捨てるわけにもいかず、大弱りでわたくしに届けた次第でございます。この手紙を読むも捨てるも、王妃様にお任せいたします」


 佳鈴が差し出した手紙は、粗末な紙に書かれたものだった。


「多分、前王の遺骸の引き取りについて、王妃様のご協力を仰ぎたいという嘆願だと思われます」

「わたしが協力できることなんてないと思うけど、陛下や父に口添えをして欲しいということかしら」


 王妃という立場は本当に面倒だ、と蓮花は内心ぼやきながらひとまず手紙を受け取った。

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