ヘンゼルの異観点

藤いろ

ヘンゼルの異観点

森の中 19時21分 8月7日



ようやく日が落ちてきた。ヘンゼルは日が落ちるのが好きだった。

グレーテルが怖がるからだ。ヘンゼルの思惑通りに怖がるグレーテル。

「怖い、恐い、コワイ……こわいよ、ヘンゼル」

今、2人が歩いている場所は魔女の森と呼ばれている。1日に村1つ分の人間が消えると言われる。

「大丈夫だよ、僕がいるじゃないか。グレーテル」

 グレーテルの手を引きながら先行して歩くヘンゼル。

 日は完全に消えた。完全な闇。視界はもうない。ヘンゼルとグレーテルはお互いがもう見えていない。分かるのは繋いでいる手のみ。

「ヘンゼル……!ヘンゼル……!いる?いるよね?」

「いるよ、当たり前じゃないか」

 ヘンゼルの握る手の力が強くなる。

「怖いよ、ヘンゼル!暗いよ、ヘンゼル!」

 グレーテルが怖がる程、ヘンゼルの口角は上がる。

快感が全身を駆け巡る。声が震える、足に力が入らなくなる、しかしグレーテルと繋いでいる手には力が入る。

「痛いよ、ヘンゼル!」

ヘンゼルの左手はもう理性がきかないらしい。更に強くなる。グレーテルの右手は青紫色に変色し、血が止まりかけていた。

 そこへ、ヘンゼルが急に立ち止まる。勢いを殺せないグレーテルはヘンゼルが壁となり弾き返された。

「……ヘンゼル?」

「ごめんよ、グレーテル、大丈夫かい?」

 ヘンゼルは何もしない。出来ないのではない、しないのである。

ヘンゼルはグレーテルの居場所を完全に把握している。暗闇など関係ない、グレーテルがどこでナニをしているかなんて生まれた時から知っている。


じゃあなぜ何もしない……?


今、ヘンゼルは胃から込み上げてくるモノを抑圧している。右手で口を押さえ、左手で肋骨を掻き毟りながら耐えている。自分の理性が壊れないのを。

 向き合い触れてしまえば最後、グレーテルをどうにかしてしまうだろう。

 ヘンゼルの行動は激化する、自ら髪を何十本と抜き、歯も1本抜いた。

 抜歯したあとの歯茎がグツグツと脈を打ち高熱を持ち始める。空洞からの大量の血がヘンゼルの口の中を埋め尽くす。

 ヘンゼルは慣れた仕事のように口内の赤い液体を飲んでいく。

 飲む度笑顔になる。

「(これはグレーテルのなんだ……)」

と思いながらまた飲む。

ごくごくっと喉に染み込ませながら赤い鉄分が胃を満たしていく。

 その音に反応したグレーテルは赤ん坊のように四つん這いになり、ヘンゼルを探す。

 手を闇に、闇に、闇に、入れ込んでいく。

「ヘンゼル!ヘンゼル!」

 ヘンゼルの皮膚を伝うように、なぞるように這う白く小さく震える指。ヘンゼルの下半身から快感が駆け上がる。

「ヘンゼルだよね……?」

「僕、だよ。ングッ僕は、絶対君か、ら、ングッ、離れ、たりし、ないから」

「何かしゃべり方変だよ、大丈夫?」

 ガッ!と汗と血で塗れた右手がグレーテルの腕を掴む。

 グレーテルには見えていない。

「さあ、行こう、あと少しだ」

 ヘンゼルはグレーテルの手を引き、再び歩きだした。



 

2人が魔女の家を目指し始めたのは、今から、9時間前。

 理由は箍が外れて、3つ壊れたからだ。



ロアーク公国の首都ジョウイ街から30キロ離れた小さな村にヘンゼルとグレーテルは父親と3人で住んでいた。

 母親はグレーテルが1歳の誕生日に出ていった。父親が力ずくで家から出ていかせた。

 父親は真面目で、何かをし始めたら最後までやる人だった。

 ヘンゼルは父親が羨ましかった。同じことがしたかったが、父親はヘンゼルにさせてはくれなかった。

 朝8時からグレーテルを連れて街の製鉄所で仕事。20時帰ってきて、グレーテルと風呂に入る。グレーテルに食事をさせる。グレーテルと一緒にトイレに行く。22時にグレーテルと同じ布団に入り、2時に寝る。

 ヘンゼルはその間家事をしている。

 グレーテルと父親の布団での楽しそうな声を連日聞きながらヘンゼルはどうしたら自分がソレを出来るのか、グレーテルが1歳になって、母親が家を追い出されたあの日から毎日熟考していた。

 自分もグレーテルと風呂に入り隅隅まで洗いたい。一緒にトイレに行きしっかり出ているか確認したい。同じ布団で楽しく声を出したい。

今、ヘンゼルに出来るのは夕飯に自らの1部、毛髪、爪、血液、尿、唾液、皮膚、歯、肉を入れて食べさせ、グレーテルの体を自分自身と同じにしていくことだけ。最初はそれで満足していたが、その思いは日々強くなる。



(もっと、もっとグレーテルにしたい、してほしい。早く僕だけのものに……!!)



 村から数キロ北へ行くと魔女の森と呼ばれる所がある。森の中央には魔女が住むという。前に父親がグレーテルだけに森に行くなと教えているのを思い出したヘンゼル。

 魔女ならば、自分の望みを叶えてくれる何かを知っているかもしれないと考え、ヘンゼルは走った。


魔女の森 中央 魔女の家


 漆黒に見える程汚れたローブを着た老婆がいた。魔女と呼ばれている者だ。

「今、何と言ったんだい?少~~年」

 魔女が問う。

「あなたが、魔女でしょうか?」

 言葉を繰り返すヘンゼル。

「魔女であって魔女じゃない……人と合わない私を周りが勝手に魔女と呼んで、追いやり、嫌っているだけだよ!」

 ヘンゼルとの距離数ミリの所で睨み、唾を飛ばし、怒鳴る魔女。

「私はただ5歳の少年を食っただけだよ!殺したんじゃない!食ったんだ!分かるかい?少~年!あんたも美味しそうだねぇ、食ってやろうか!白い指だぁぁぁ!ハァハァハァッヘヘヘヘヘヘヘ!」

 魔女は顔の皺を全てさらけ出しながら、ヘンゼルの指から手、腕を嘗めまわし始めた。

「……じゃあ魔法は使えないんですか?」

 ヘンゼルは一切の抵抗をせず聞く。

「使えるワケないだろう!これだから少年は馬鹿で助かるよ!あの時の少~年も馬鹿でねぇ~あんな菓子1つで付いてきちゃってさ~カワイイねぇ~ホラッ!早く横になりな!!」

 言葉のすぐあと、魔女の頭部からドロッとした血が噴き出した。

 ヘンゼルが隠し持っていた錆とカビだらけの鋸より欠けた刃の剣を魔女の頭に叩きつけたのだ。

 切れ味のない剣は魔女の脳を剣の形に潰した。

 2回、3回、4回、5回叩きつけた所でヘンゼルは言った。

「気持ちわるい」

 血と脳と錆とカビと魔女の腐りかけの臭いの中ヘンゼルの箍が外れた。

 夜中4時に家に戻ったヘンゼルは魔女にした手順を変える事なく、機械のように父親にも実行した。

ヘンゼルは人の顔をしていなかった。獣か悪魔か、それとも本来の人間の姿か。

 父親を埋めたヘンゼルはグレーテルを起こし「とうさんがいなくなった。これはもうぼくたちじゃどうにもできない、きっとまじょのしわざだ。にげよう、つぎはぼくたちがやられる。ついてきて、あんぜんなところをしってるんだ」とグレーテルに何か言う隙を与えず、感情なく、坦々と一息言った。

 そして、ヘンゼルとグレーテルは魔女の家を目指して走り始めた。



 2人は森の中央に着いた。

 「着いたよ、グレーテル」

「ハァハァハァ、ホント?ここが安全な場所なの?」

 グレーテルにはまだ闇しか見えない。ヘンゼルを先頭に家に入る。

「ここも、暗いね。明かりはないの?」

「今、点けるよ」

 ヘンゼルがランプに火を灯す。

 グレーテルの目の前には頭皮と口から血を流し、笑っているヘンゼルの顔があった。

 その場に座り込む。声が出ない。何が起きて、何が目の前にあるのか認識出来ないでいる。

「大丈夫?グレーテル。疲れたよね。大丈夫だよ、そんな顔しなくても。ここには魔女は来ないよ、ちゃんとぐちゃぐちゃにしたからね。あー父さんのコトか、父さんを心配してるんだね。優しいなぁグレーテルは!」

 グレーテルの髪にヘンゼルの血が垂れる。

「大丈夫、父さんもぐちゃぐちゃだから。今、ベッドを用意するね、早く寝ようね」

 グレーテルの顔は血の気が引き青白い。しかし、ヘンゼルの血で赤くなっていく。

「そうだ!この家をグレーテルの好きなお菓子で作り直そう。甘い甘いお菓子でさ」

 グレーテルの足と足の間から、黄色い液体が流れ出す。床に広がっていく液体を隅々まで嘗めまわしていくヘンゼル。



「グレーテル、これからはずっと一緒だよ」


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