モブにもなれない令嬢なのに、婚約破棄どころか溺愛されていました。

京泉

短編 モブにもなれない令嬢なのに、婚約破棄どころか溺愛されていました。

 その日は例年よりも冷え込んでいる気がした。

 

 手袋をしていても冷たい指先に息を吹きかければ、それは一瞬白く煙って、すぐ闇夜に掻き消えた。


──ちゃんとお別れできる⋯⋯よね。私。


 しっかりと受け入れなければ。ここを乗り越えれば明日にでも侯爵家から婚約解消の連絡が来るだろう。

 婚約破棄ではなく、解消。お互いがお互いの理解を得ての別れになるのだから。

 理解し合った別れにしなければならないのだから。


──今日でユリイは自由になる。真実の愛の為に婚約破棄をしたなんて汚名は着せられない。


 自分が身の程を弁えて身を引けばユリイは、一切の瑕疵なく好きな人と結ばれることが出来るのだ。


──でも。


 やっぱり胸が痛い。

 ユリイと過ごせば過ごすほど「好き」の気持ちが深まってしまった。

 だからせめて、大好きで愛おしい彼の幸せを願ったのにどうしてこんなに心が苦しいのだろう? どうしてユリイの隣にいられるのは私じゃないんだろう? そんなことばかり考えてしまう。


──だって私は⋯⋯。


 今夜の舞踏会で変えられないと分かってしまったから。

 

 自分は「物語の外の存在」なのだと。



 華やかな舞踏会。スラナ・ラインカは婚約者のユリイ・リノフスのエスコートを受けていた。

 二人寄り添って会場入りしたものの、スラナの心はどこか虚ろで、美しいシャンデリアも楽団の演奏も全てが色褪せて見えた。


──初恋は実らない⋯⋯か。


 頭に浮かぶのはそんな言葉ばかり。

 今夜の舞踏会だって本当は不安でいっぱいだった。 

 遠くない日、ユリイの隣に並べなくなる日が来るのだと突きつけられるようで苦しかったが、ユリイといられる「最後の舞踏会」かも知れないと笑顔を絶やさないよう努めた。


「ユリイ? まあ! ユリイではないの! 貴方が舞踏会に来るなんて珍しいわね。一人?」

「ああ、ルドミラか。いや、紹介しよう。婚約者の──」

「あっ! この曲! 子供の頃いつも一緒に踊っていた曲じゃない? ほら、踊りましょ! もうっ早くしないと話しが進まなくなっちゃう!」

「ち、ちょっと待てルドミラ、また訳の分からない事をっ。俺は踊るなんて言ってない! アイツらは何処に行ってるんだ! ごめんスラナ少し待ってて」


 ファーストダンスを踊り、何人かと挨拶を交わす中で一人の女性が親しげにユリイへ話しかけ、流石に女性を乱暴には振り解けないユリイの腕を強引に引いて行ってしまった。

 

──あ⋯⋯今日なのね。


 スラナの記憶が物語を綴りだす。


 ユリイの腕を取り踊り始めたのはルドミラ・ガリレイ公爵令嬢。彼女は所謂悪役令嬢だ。

 ただ、高位爵位の令嬢にありがちな傲慢さや苛烈さはなく、キツめに見える外見にそぐわず気さくで天真爛漫──少々周りが見えないのが欠点。

 そんな彼女が男爵令嬢に傾心した婚約者の王太子に婚約破棄され断罪されてしまう物語。


 そう、ここは悪役令嬢が主役の物語の世界。


 ルドミラが物語の「ルドミラ」ならば彼女は転生者。

 ルドミラはゲームを元にした好きな小説の中に転生したと気付いて持ち前の優しく気さくで陽気な「前世」の性格になり、断罪と追放を回避する為に悪役令嬢にならないよう奮闘する。


 その努力の甲斐もありルドミラは周りから慕われるようになるが王太子だけはそれを気を引くための演技だと頑なに受け入れず、婚約破棄を宣言する。

 「愚かな王太子と身の程知らずの男爵令嬢」は謂れ無い冤罪をかけられながらもそれを華麗に躱したルドミラ達に断罪返しされるのだ。


 そしてルドミラは陰ながら支えてくれた優しく、カッコいい幼馴染のヒーローと結ばれ幸せになるのだ。


──幼馴染のヒーローは⋯⋯ユリイなのよね。


 その物語を知るスラナもまた転生者だった。

 違いはルドミラは物語の主人公。スラナは姿は勿論のこと名前さえなかったユリイの婚約者。


 ユリイのリノフス侯爵家とスラナのラインカ子爵家は対立関係にある貴族派閥に属しているが、関係改善の為に婚約を結ぶこととなり、互いの派閥でちょうど良い年頃がユリイとスラナだけだった為に家が決めた婚約者だ。

 

 顔合わせの際、スラナはユリイと出会ってすぐに自分が物語に存在はしていても居ないものとされる運命なのだと察した。

 スラナは物語が進めば婚約を解消されるだけの記号。


 ルドミラ達が断罪返しをした後、ユリイが心から愛しているのはルドミラだと告白し、ルドミラもユリイを愛していると応えるのだ。

 しかし、ユリイには婚約者がいる。ユリイは「彼女とは家が決めた婚約で彼女にも好きな人がいると聞いている、婚約が解消されればお互いが好きな人と結ばれ幸せになれる」と婚約者との婚約を解消してくるのだ。


 スラナも家が決めた婚約なのだから愛されるなんて期待はしていなかった。時がくれば婚約も解消されるのだと覚悟もしていた。

 誤算だったのはスラナがどんどんユリイを好きになってしまったことだった。

 期待をしていない、覚悟もしている。けれど婚約者でいられる間は短いのだと贈り物をもらえば必ず何気ないものを意識しながら「好き」の気持ちを込めて婚約が解消された時、処分しやすいハンカチーフやシャツを贈った。待ち合わせには気がはやり毎回早めに用意していたが相手が遅刻をしたと勘違いしないように我慢してちょうどの時間を守るようにしたりもした。


──私の好きな人はユリイなのにね。


 好きな人と結ばれるのはユリイとルドミラ。それで物語は悪役令嬢のハッピーエンド。

 モブですらない記号には始まりも終わりも無い。

 うっかり涙が溢れそうになりスラナはホールを背にしてバルコニーへと逃げた。


 会場にいるとどうしてもユリイに視線が向く。

 美しい銀色の髪をした可憐な美女と金色の貴公子。誰が見ても似合いの二人だ。二人は幸せそうに微笑み合っていた。

 その幸せそうな姿が目に焼き付いて離れない。

 スラナはそれを直視することが出来ず、人気のないバルコニーへ逃げたのだった。


 聞こえる曲がそろそろ終わりの小節に入った。

 その時、プツリと途切れ代わりに悲鳴が聞こえてきた。


──始まった。始まってしまった。


「ルドミラ・ガリレイ! 貴様は公爵家の権力を使い、このロノアを男爵令嬢だと見下し、身の程を知れと嫌がらせをし、挙句命まで奪おうとしたそうだな! そんな女とは婚約破棄だ!」

「えー? 私そんなことしませんよ」

「ルドミラは深く考えることが得意では無い⋯⋯手間がかかる事をするなんて考えられないな」

「だよね、ルドミラは身分で人を見ないよ。自身が公爵令嬢らしくないもんねえ」

「⋯⋯コイツはガサツだがいい奴だ」

「ねえ⋯⋯褒めてるの? それ」


 断罪を回避する為にルドミラが頑張った成果が披露されている。見なくても分かる。明るくて気が良い悪役令嬢は実は皆に愛されているのだ。スラナはバルコニーに縋り、背中で声を聞きながら物語をなぞった。


──そしてユリイがこう言うのよ。「昔からルドミラは殿下を慕っていた。だから俺は諦めようとしたんだ」って。


「昔からルドミラは殿下を慕っていた。だから俺は──」


──やっぱり無理! 聞きたくない!


 スラナは込み上げる吐き気を堪えて両耳を塞いだ。分かっていても聞きたくない。

 物語に関わらないただの記号でも嫌だと思う感情はある。


「⋯⋯へ? ユリイ、それ違くない? 台詞違うでしょ」


 流れは完全にルドミラ優勢へと変わったのだろう。恐る恐る両耳を開放するとルドミラの唖然とした声が聞こえ、直後に「離せ! 俺は王太子だぞ!」「いやっ何なの!? こんなのゲームになかったわ!」

と騒ぎが起きた。


──複雑⋯⋯。こんがらがって来た。男爵令嬢は小説ではなく、小説の元になるゲームがある世界からの転生者で、ルドミラは元になるゲームがあり尚且つゲームを元にした悪役令嬢が主役の小説がある世界からの転生者。私はルドミラを主役にした悪役令嬢小説が書かれた世界からの転生者ってことかな。


 王太子と男爵令嬢が会場から連れ出されたのだろう。しばらくざわついていたが次第に落ち着いて来たようだ。

 それでもまた騒ぎが起きる。ユリイがルドミラに愛を告げるのだから。

 


 再びスラナは指先に息を吹きかけた。


 それは先ほどと同じく一瞬白く煙って、すぐ闇夜に掻き消えた。


──もう愛を伝え合ったかな。


 舞踏会も閉会の時間になる。ずっとバルコニーにいたせいか芯まで冷えてしまった。

 優しいユリイの事だ、一応今日は家まで送ってくれるだろう。その帰り道で真実の愛が叶ったと話してくる。

 ならば早くユリイに帰ろうと言わなければ。早く婚約を解消しましょうと言わなければ。


──やっぱり胸が痛い。


 自分は物語の外の存在、ただの記号。

 どうしようもなかった。変えようと思ったこともあったが、記号には変える力は与えられなかった。小説と同じだった。


 ポロっと雫が落ち、とうとうスラナから涙が溢れた。


「やだよ⋯⋯やっぱり嫌だよ⋯⋯うっ、ヒック、ユリイ⋯⋯」


「スラナ? ⋯⋯泣いているのか?」


 誰もいない、スラナがいる事で誰も出て来れないバルコニーで後ろから声を掛けられスラナが驚いて振り向けば、そこには心配そうな顔をしたユリイが立っていた。


「あ⋯⋯っ」

「ごめん一人にさせてしまって⋯⋯スラナ、何故泣いているんだ? まさか、誰かに何か⋯⋯クソ、誰だ俺のスラナを泣かせた奴はっ、俺は離れたくなかったのに! ルドミラのやつ面倒事に巻き込みやがって! スラナ誰だ? どこのどいつだ! クソっ許さねえ!」

「違う、違く⋯⋯えっと誰も、違うの」


 普段より言葉が乱れたユリイにスラナは二度目の驚きに慌てふためき、またその情けなさに涙が溢れそうになった。

 こんな事では笑ってお別れできないではないか。


「本当に? 誰にも何もされていない?」

「ええ、あの⋯⋯王太子殿下の婚約破棄が⋯⋯少し辛くて」


 嘘ではない。王太子の婚約破棄が起きたのなら次はスラナの番なのだ。


「嫌なものを見せてしまったね。大丈夫、もう収まった⋯⋯もしかして⋯⋯王太子殿下が好きだった?」

「まさか!? なんでそうなるの!?」

「だって、スラナは好きな人がいるって。その人の幸せをいつも願ってるって言っていただろ?」

「違うわ、私がずっと好きなのはユリイだもの⋯⋯っあ⋯⋯」


 口をついて出てしまった本音にスラナは恥ずかしさに顔を覆おうとしたがユリイの大きな手に阻まれ見つめ合う形で固まってしまった。

 真っ赤になり動きを止めたスラナにニヤリとしたユリイは指先でスラナの目元の雫を払い、取り出したハンカチーフで優しく拭う。

 それはもう、嬉しそうに楽しそうにスラナの頬に何度も滑らせる。

 その手つきがくすぐったくなったスラナは笑い出し、そんな泣き笑いにユリイは幸せそうに微笑みスラナ抱き寄せた。


「うん。知ってる。揶揄ってごめん。伝わってた」

「ごめん、なさい、ユリイはルドミラ様を⋯⋯想ってる、のに⋯⋯だから、身を引く⋯⋯わ。ユリイ、幸せに⋯⋯なれるよ、良かったね⋯⋯想いが結ばれて。でも私ってダメね⋯⋯笑顔でお別れしないとならないのに、泣いてしまうなんて」

「お別れ⋯⋯嫌だ! 落ち着こう、スラナ、何を言っているんだい? 俺が、ルドミラを? どうしてそうなる? 俺の気持ち、まさかスラナに伝わってなかった? もしかしてスラナを泣かせているのは俺⋯⋯?」


 スラナは涙が止まり驚きにユリイの顔を見た。スラナの代わりにユリイのその頬には涙が伝っている。

 ユリイは涙を拭うこともなく、ただスラナを見つめ続けていた。


 ユリイがスラナに贈ってきたものは全てスラナが何気なく褒めた品物ばかりだった。

 「きれいね」と呟いた品があればスラナの為だけに取り寄せ、「食べてみたいね」と珍しそうに目を輝かせた食べものがあればスラナの為だけに作らせた。

 お返しだとスラナから贈られたハンカチーフとシャツは贈られた日付とその時のスラナの様子を専属絵師に描かせた姿絵と共に大切に保管している。

 心待ちにしているスラナと会える待ち合わせには出来るだけ長く一緒にいたいと気がはやり毎回早めに用意していたが、スラナが遅刻をしたと勘違いしないように我慢して身を隠し、ちょうどの時間に飛び出していた。

 お茶会、夜会、舞踏会⋯⋯。どの場においてもスラナのそばを離れなかったし、離れたくなかった。本当は今回のような婚約破棄の現場なんてスラナに見せたくはなかったのに。それなのにルドミラにスラナと離されユリイの機嫌は最高潮に悪かった。


「ううん。ユリイに大切にされているって感じれば感じるほど⋯⋯苦しかった。いつかはお別れがくるのに。離れなきゃいけないのに」

「嘘だろ⋯⋯スラナが離れるなんて⋯⋯嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!」


 ユリイはスラナの手を取り自身の胸に当てさせるとその手を上から握りしめ、もう一度強く引き寄せた。


「俺はスラナだけを愛している。婚約破棄はしない。今すぐにでも結婚したいのにあり得ない。ずっと隣にいて欲しい」


 スラナはユリイの胸に顔を押し付けられ背中には力強い腕がまわり動けないでいるが、その胸から確かに聞こえてくる早鐘を打つ鼓動と少し汗ばんだ胸元に、ユリイも緊張しているのだとやっと分かった。


「でも、ユリイはさっき。「昔からルドミラは殿下を慕っていた。だから俺は諦めようとしたんだ」って⋯⋯ルドミラ様を諦めなくて良くなったのよ?」

「だからなんで、そうなる⋯⋯確かにルドミラは幼馴染でもそれ以上の感情を持ったことはない。断じてない。しかも、スラナ、それは思い込みから来る聞き間違いが過ぎる!」


 ユリイは深い溜め息を吐いた。そして一度きつく目を瞑った後、スラナはユリイに抱き寄せられ再びその腕の中に閉じ込められた。


「俺は「昔からルドミラは殿下を慕っていた。だから俺は殿下を諦めるルドミラの判断を尊重する。俺はスラナを諦めないが」と言ったんだ」


 幼馴染の事実は変えられない。

 ダンスもスラナと出会う前の事だ。だからと言ってユリイに特別な思い出となっているわけではなかった。

 ルドミラはいつも賑やかで華やかだがどうしてか騒動を起こす。その尻拭いに振り回されていたユリイにとってスラナは癒しだった。心の安寧を思い出させてくれた。

 家が決めた婚約でもユリイの隣で穏やかに楽しそうに笑うスラナが愛おしくなるのに時間はかからなかった。


「私は主役じゃないから⋯⋯いてもいなくても同じ⋯⋯」

「そんな事、思わなくていい。スラナはここにいる。スラナがいなくなるなんて俺は許せない」


「ここにいたのねユリイ! ちょっとユリイさっきのは何? 台詞が違うじゃないの!」


 スラナとユリイが抱き合うバルコニーへ、髪を振り乱しドレスをたくしあげながら、いや靴を脱ぎ片手に持ち裸足でバルコニーへと飛び出して来たのが先程断罪返しをしていたルドミラだ。

 しかし、どこで何をしていたのかと聞きたくなる荒れ具合である。

 その後ろにはつい先ほどまで一緒にルドミラの冤罪を晴らした友人達。彼らもまたどことなく服装が乱れている。

 ユリイは腕の中の華奢な体が震えたのを感じ取り、落ち着かせるように背中を撫でた。


「ルドミラ、何度も言っただろユリイは婚約者殿一筋だと。考える事が苦手でも見ていれば分かるだろう」

「えー!? だって私は悪役令嬢もののルドミラなのよ最後はなんだかんだと手を焼かせる悪役令嬢は実はみんなに愛されてるって定石じゃない」

「⋯⋯ルドミラはいい奴だがいつもおかしな事を言う」

「それに、ユリイの婚約者って子爵令嬢ってだけで名前無かったし、子爵令嬢とか男爵令嬢って人気ないのよ? どちらかと言うと横恋慕要員だもの。伯爵も定番だけど侯爵とか公爵の令嬢の方が人気なんだから」

「あははっ本当ルドミラはいつもおかしな事を言うね。でもまさか実は身分で人を見ていたなんてちょっとガッカリだなあ」

「あれ? どうして変な空気なの?」


 ルドミラは、皆の顔色を伺いながら首を傾げた。

 ユリイは呆れたように溜め息を吐き、スラナをガッチリと抱えたままルドミラの横を通り抜けた。


「待ちなさいよユリイ! これじゃ小説と違うじゃない。なんで? ユリイが私を支えていたのは好きだったからなのよ?」

「⋯⋯ルドミラ⋯⋯君の前向きな解釈は良いところだろうけど、君のその発言は先のロノア嬢と同じだよ。俺は君の毎回毎回突拍子もない言動の後始末に振り回されていたんだよ」

「ふへぇ? 同じじゃないわよ、だって私は悪役令嬢だもの私はいいの。それで、陰から支えてくれたユリイは私が好きなのよ。私に告白しないと人気出ないわよ」


 頬を膨らませ可愛らしくプンスコと怒るような仕草のルドミラを取り巻いているご友人達は宥めるように⋯⋯逃がさないと言わんばかりに抱きしめた。


「ルドミラは人気人気ってまたおかしなことばかり言う。だが、そんなルドミラを俺は愛している」

「そうだねえ僕も愛は変わらないよ。見えていたルドミラとは違うところがありそうだし、僕、ルドミラをもっと知りたいな」

「⋯⋯オレはどんなルドミラでも愛している」

「私も皆が大好きよ!」


 ルドミラが満面の笑顔で彼らを抱きしめ返すとあっという間に神輿のように抱きかかえられた。


「ユリイ、邪魔したな。俺達は皆でルドミラを愛して行くと決めた。お前もスラナ嬢と幸せにな」

「やっと婚約破棄されて愛を確かめ合い始めたらさ、ルドミラが突然「ユリイがいない!」って飛び出しちゃったんだ。僕達がいるのにね」

「⋯⋯ルドミラ、続きをするぞ。俺達の愛を受け止めてくれると言った」


 「あれ?」と首を傾げたままのルドミラは彼らに抱き抱えられながら連れられて行ってしまった。

 スラナはその展開に一言も発せずただ見守る内に全てが終わったと息を吐いた。


──⋯⋯驚いた。そうよね、大変そうだけど皆に愛されるハーレムとか逆ハーってそうなるよね⋯⋯。


「凄いなあルドミラ様。三人に愛されるなんて⋯⋯大変そう」

「そんな事だろうとは感じていたがまさか「全員と」とはな⋯⋯あ、いやスラナはあいつらを気にしなくていい。俺はスラナだけがいい。スラナにも俺だけを見て欲しい」


 スラナの冷え切っていた芯が熱を持ち込み上がってくる。

 

「私、いてもいいの? ユリイを好きでいていいの?」


 ユリイは優しく微笑み何度も頷く。

 

 スラナの目から再び涙がこぼれた。

 嬉しい。もう止まらない、涙も想いも溢れるばかり。


「小説では私は⋯⋯っん、ユリイくすぐったい」


 ユリイの唇が瞼に落ちて来た。涙を拭う唇にくすぐったさを感じて身を捩る。

 見つめ合ってお互いの瞳にお互いを映し合うとどちらともなく笑みが零れた。


「小説か⋯⋯ルドミラもなんかそんな事を言っていたな⋯⋯。あいつはいつもおかしな事ばかり言っていたし、「いつもの事」になっていたな。あー、振り回されて苦労した記憶しか浮かばない」

「ふふ。お疲れ様ユリイ」

「スラナがいたから俺は耐えられた」


 コテリとスラナの肩に額をつけたユリイは穏やかな気持ちを充填するように何度も何度も擦り寄せた。


「小説では私は名前もない脇役にもなれなかったの。だから⋯⋯いつかユリイとお別れする日が来るって諦めていたの」

「そんな話はもう読まなくていい。楽しむ分は良いけれど混同してはならないよ。スラナはスラナだ。俺の婚約者スラナ。スラナが婚約を解消しようとしても俺が諦めないよ」


 ユリイの言葉にスラナの鼓動が速まり、甘い何かが流れ込んでくる。


「スラナ⋯⋯いい?」

 

 真剣なユリイの金色の眼差しにスラナは小さく頷いた。

 笑いあいながら、両手でお互いの頬を包み込みあう。

 二人の距離が近づき唇が重なり──その瞬間に、鐘の音が鳴り響く。

 それはスラナとユリイを祝福する音のように思えた。


「そうだ、スラナ。新婚旅行は行ってみたいと言っていたハリアード王国のアイランドにしないか? 珍しいものが沢山あるらしいって言っていたね。調べたらスラナと同じくらいの女性が関わっているらしいよ。それともエワンリウム王国かな。可愛い神様がいると言っていたね。運が良ければ神様に会えるって話だ。そこもいいな」

「⋯⋯ねえ、ユリイ。もしかして私が言った事とか気になったものとか、覚えてるの? 全部」

「勿論だ。ああ、その前に。ルドミラ達の件がやっと片付いたんだ、明日にでも結婚しよう」

「⋯⋯それは難しいと思う」


「それでも婚姻を早める」そう言ってユリイはスラナの額に口付けを落とす。

 スラナもお返しだとユリイの頬に口付けた。


「冷えると思ったら雪⋯⋯」


 音もなくふわふわと舞う妖精のような白い雪。

 スラナとユリイは互いを温めるように肩を寄せ合った。

 



 悪役令嬢の物語は結末を迎え、モブにもなれなかったユリイの名も無き婚約者は「スラナ」という名前で新しい物語を綴って行く。


 彼女は彼女が思っているより遥かに重く、婚約者に溺愛されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

モブにもなれない令嬢なのに、婚約破棄どころか溺愛されていました。 京泉 @keisen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ