5.被害者たちと光の柱(朱里視点)




 一階のエントランスまで戻ってくると、梓乃しの桐沢きりさわと何事か話し込んでいた。

 見ると、他の怪班かいはんの面々も集まりつつある。

 どうやら、邪霊じゃれい騒動も無事、終結したようだ。



「あら? 朱里しゅりちゃん、もうお話はついたのかしら?」



 相手の気持ちをおもんぱかろうとでもするかのような、柔らかい笑みを浮かべる梓乃に、朱里は軽く頷いた。

 どうやら周囲の安全確保をしながら一階へと下りる最中、麻沙美あさみたちの存在を認知したようだった。



「はい。彼らも全員、怪我をされていなかったようです」

「そ。それならひとまず安心、といったところかしら。だけれど、今回は本当に大勢の犠牲者が出てしまったわね。果たして、無傷な人たちがどれぐらいいるのやら」



 周囲を見渡すと、本当に目を覆いたくなるような光景が広がっていた。


 白かったであろう大理石の床には、そこら中に血溜ちだまりができており、無数の遺体が転がっていた。

 おそらく、流れ出た血潮を踏んでできたと思われる赤い靴跡も多数見受けられる。


 およそ、原色をとどめている床は皆無と思われた。


 現在、ホテル内には遅れて応援に駆けつけた通常の警察官や救急隊員らも数多く存在し、負傷者の救助や誘導などを行っていた。

 その影響か、かなり物々しい雰囲気となっている。


 この分だと、ホテル内だけでなく、外のロータリーや街中も似たような惨状となっているだろう。


 しかし、それにしても、これほどまでに規模の大きな事件現場となると、相当数の警官や救急隊員が駆り出されているのではないだろうか。


 負傷者の救助や現場の保存、交通整理など、やらなければいけない仕事は多い。


 浅川あさかわ市は観光で成り立っているだけの、比較的小さな都市だ。

 ゆえに、それほど警察官の数も多くはない。

 それなのに、この動員数。


 おそらく、七割以上の人員が駆り出されているのではと推測された。

 これでは、通常業務に支障を来したとしてもなんら不思議ではない。



「にしても、邪霊が絡むと相変わらずだな。ここまで酷い惨状は久しぶりだが――これを見たあとだと、東京での事件なんざ、子供のままごとにしか思えんな」



 桐沢は心底不快そうに顔をしかめ、顎をさする。



「それで、桐沢さんたちはこれからどうするのかしら?」

「どうするも何も、現場検証やらなんやらに付き合わなきゃならんだろうな。これだけの惨事だし、人手も足らんだろうしな。それに、一般の被害者と曰く付きの被害者を見分けられるのはオレたちだけだからな」



 邪霊に魂を喰われてなお、生きながらえている者たちは専用の病院に送られる。

 その選別作業と、専用の搬送部隊を指揮する役目も怪班の仕事らしい。



「そう。なら、こちらとしては好都合かしら」

「ぁん? どういう意味だ?」

「さぁ?」

「ちっ。まぁいい。そんなことより、お前も付き合え。邪操師じゃそうしは多いに越したことはないからな」



 言いながら桐沢は横たわる被害者の一人に歩いていこうとしたのだが、その背中に、梓乃は溜息交じりの笑みを見せる。



「ごめんなさい? 私、一応民間人だから手伝うことはできないと思うのだけれど?」



 邪操師はあくまでも裏の世界での立ち位置であり、このように裏表入り乱れての現場では、警察官という肩書きのない梓乃のような邪操師が表だって事件に深く関与することはできない。


 そんなことをすれば、つまびらかに裏事情を説明する必要が出てきてしまう。

 しかし、当然、そんなまゆつばな話を信じる者は誰一人、存在しないだろう。

 それどころか、不審者扱いを受けて留置所に引っ張られるのがオチである。


 そんな面倒な事態は誰も望まない。


 だが、桐沢はそのことを理解していないのか。

 それとも理解した上で敢えて言っているのか。

 面倒くさそうに振り返った彼の眉間に皺が寄っていた。



「今更何言ってやがる。今までだって、この手の事件が起こった時に普通に協力していただろうが。オレがちゃちゃっと説明すりゃ、すべて、どうにかなるってぇの」

「まぁ、そうでしょうねぇ。だけれど、お忘れかしら? 私は別任務で動いているってことを」

「別だぁ~?」



 そう言って、桐沢は隣の朱里を見る。



「そっちの嬢ちゃんが、今回の仕事に関係してるってことか?」



 初対面の時とは打って変わって、桐沢は真剣な面貌を浮かべていた。これが本来の彼の姿なのだろう。



「その辺はご想像にお任せするわ」



 梓乃は薄く笑うと、桐沢に背を向ける。



「とりあえず、忙しいとだけ伝えておくわ。ここに来たのも、任務の一環なのだし。まぁ、そういうわけだから、私たちはおいとまさせていただくわね」

「あ、おい! ちょっと待て!」



 だが、梓乃は後ろ手に軽く左手を振って、そそくさと出口に向かって歩き始めてしまう。

 成り行きを見守っていた朱里も桐沢へ軽く会釈したあと、急いであとを追った。



「たくっ。なんなんだよ、あいつは!」



 いら立ち吐き捨てる桐沢を、周囲にいたスーツ姿の怪班メンバーがなだめるが、「ぅるせぇ、バカどもがっ」と、余計、荒れるだけだった。




◇◆◇




 ホテルの出入り口にさしかかった朱里と梓乃は、一歩外へ出ようとしてそれに気がついた。



「梓乃さん、なんか、おかしくありませんか?」



 朱里は空を見上げていた。

 まだ、十五時半前後といった時間で、空も快晴のはずだった。

 それなのに、いつの間にか周囲が薄暗くなっていたのだ。


 視線の先には、雷雲のようなどす黒い雲が夏空すべてを覆い尽くそうとしていた。



「あれは……ただの雲ではなさそうね。朱里ちゃんにも見えるようになっていると思うのだけれど、雲間に邪気が満ちている」

「邪気?」



 邪気と瘴気しょうきは似て非なるもの。

 邪気は文字通り、邪霊の霊気であり、瘴気とは腐敗した空気が毒素を含んで周囲の生き物の霊力を腐らせ、死に至らしめる汚染された負の大気のことである。


 となれば、梓乃の言う邪気とは邪霊の霊力のことであろうか。


 朱里は梓乃の指さす方を見た。

 どす黒く、時折、稲光を発している雲間に、暗雲とは違った発色をしている光があった。

 赤紫色にうごめく、龍のような気の奔流が。



「いったいどういうことでしょうか? なぜそのようなものが……」

「わからないわ。だけれど、なんだか嫌な予感がする」



 そう言って、梓乃が周囲でうずくまる怪我人らに視線を投げた時だった。


 どこからか、低いうめき声のようなものが聞こえてきたような気がした。

 痛みを訴え、嘆き、叫ぶ人の声が。

 次第に拡散されていく、常軌を逸した叫声きょうせいが。


 朱里は慌てて声のした方を振り返った。そして、それを見た。


 ロータリー周辺の歩道でのたうち回っている被害者たちを。

 絶叫を上げる彼らの身体から、白いもやのようなものが天へ向かって伸びていく様を。



「し、梓乃さん……!」

「えぇ。まさかとは思うけれど、邪霊憑きをけしかけたのはすべて、このためだったのかしら」



 朱里と梓乃が路上の被害者たちを見つめる中、異変のうねりは瞬く間に広がっていった。


 無傷だった人々はただ、周囲の光景に動揺し、怯えながら呆然ぼうぜんと立ち尽くすだけ。

 対して、重傷軽傷関係なく、怪我を負った者たちのすべてが、路上でのたうち回っていた。


 苦鳴くめいと悲鳴が織りなす断末魔の叫び声。

 阿鼻叫喚あびきょうかんの連鎖が周囲の空間を埋め尽くしていく。


 朱里は空を見上げた。

 数百、数千を数えそうな白い靄が、この現場以外からも黒雲の中へと吸い込まれていく。

 霊力感知できる者たちだけが観測できる幽玄の彼方。



「これ、いったいどうなっているのでしょうか? 私には霊力が漏れ出ているようにしか見えないのですが?」



 瞳を曇らせる朱里に、梓乃は苦笑する。



「大丈夫。私にも同じように見えるから。だけれど、事はそれほど単純ではないわ。朱里ちゃん、あれが見えるかしら?」



 そう言って梓乃が指さした先に、いつの間にか、薄ぼんやりとした光の柱のようなものが現出していた。

 よく見ると、それは純粋な柱などではなく、数百、数千万の光の糸が絡み合って、一つの形を生み出しているように見える。


 それが、次第に明瞭となっていく。

 はっきりとした天を貫く光の矢のような形に変異していった。



「いったい、何が起こって――」



 そう、朱里が呟いた時、梓乃の携帯電話が鳴る。



「ラファエラ? え? あいつらでは抑えられないってどういう……え? 何を言って……ちょっ」



 ラファエラからの電話と思しき通話を耳にする梓乃の顔色が、見る間に強ばっていった。

 どうやら一方的に打ち切られる形となったらしく、



「ほんっと、使えないわね! 必ず守るって約束したじゃない!」



 梓乃は不快感も露わにそう吐き捨て、様子を窺っていた朱里に厳しい顔を向けた。



「最悪の事態になったわ。朱里ちゃん、急いで戻るわよ!」



 言うが早いか、梓乃は返事も待たずに駆け出していた。


 慌てて朱里はそのあとを追いかけるが、彼女の心を占めていたのは焦燥感だった。

 なぜなら、電話越しにラファエラの言葉が聞こえてしまったからだ。



『今すぐエリのところへ迎え! 奴はもはや、神気だけでは倒せない存在となっている。しかも、私の推察が正しければ、奴は神雷じんらいを起動する気だ。あれが奴の手に渡ったら、まずいことになる。何がなんでもエリを死守しろ!』



 話の内容自体は朱里にはよくわからない。だが、これだけは確かだった。



(お嬢様が危ない……!)



 朱里は際限なく駆け巡る様々な思いをみ殺しながら、ふと、北西の空を見た。


 自分たちの屋敷や浅川湖がある空。


 そちら側にも光の柱が二、三本立ち登り始めていたが、それよりも手前――おそらく湖上空みずうみじょうくうに、一瞬だけ、何かが光って見えたような気がした。




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