第2話 彼女が初めて僕の家に来た日 ~No.1~
♪Oh, the sun shines bright in the old Kentucky home 'Tis summer, the darkies are gay♪
彼女の澄んだ歌声とフォークギターの音色が僕の部屋に初めて響いたのは、中学2年生の夏休みが始まったばかりの頃だった。
部屋にクーラーが無かったので、ベランダがある窓は全開にしていた。
僕の住まいは14階建ての都営住宅の団地。その11階に住んでいたので風通しは良かったが、梅雨明け十日といわれる猛暑の最中だったので、僕のシャツも彼女のシャツもあちこちに汗の跡が点々としていたけれど、当時の僕らはそんな暑さとかまったく気にしていなかったと思う。
僕は僕で自分のベースギターを膝に置いたまま、彼女の歌に聞き惚れて硬直していた・・・というよりも、人生で初めて女の子を部屋に招き入れている緊張感と、直ぐ横の居間にいる母の聞き耳の気配と、団地のベランダから外にどれだけ彼女の歌とギターの音が飛び出しているのかという、そんなゴチャゴチャと混乱している心持ちに、暑さのせいだか何だか判らない大量の汗が身体から止めどなかった。
彼女が歌い終えるとちょっとした安堵感。この後、彼女にはなんて話しかけるのが正解なのか。緊張のしっぱなしでなんて感想を述べて良いのかモゴモゴしてしまったのだが、そんな僕を救ってくれたのは彼女の方だった。
「ここのベランダ、すごい眺めが良いよねぇ。ちょっと出ていい?」
「あ、ああ、いいよ。」
僕は心のなかで(あちゃ~!)と叫んだ。ベランダに出るためのサンダルが、その辺で激烈に安値で売られている茶色い健康サンダルだったことに気が付いた。
「ちょっと借りるね!」
彼女はそんな僕の焦りを気にする素振りもなく、安物のサンダルに真っ白な足を引っかけてベランダの手すりに身を預けた。
「うわぁ~、遠くまでよく見えるねぇ!あれって池袋の高層ビルだよね?・・・で、あれは新宿のビル群でしょ?」
「そう。ほら、よーく見ると、あそこに東京タワーも見えるでしょ?」
「・・・本当だ!そっかここの団地って団地群の端っこだからこんなに開けているんだね!」
「そう。すぐ真下に小学校があるでしょ?その奥には中学校。僕の通っている学校だよ。」
「へぇ~。通学、近くて楽そうだね。フフフ。」
「まぁ、まず寝坊しても大丈夫だったね。」
「へぇ~・・・。う~ん・・・いい風だなぁ~・・・。」
真夏の熱風が、彼女の金糸のような長い髪をなびかせている。
僕の肩口に彼女の髪が触れるたびに、シャンプーなのか香水でも付けているいるのか、そのたまらない香りは、明らかに普段から香っている母のものとも姉のものともまったく違っていた。
「・・・ねぇ!あれってさ、遊園地の○○園じゃない?アトラクションが見えるよね!」
「そうそう。だからさ、これから夏休み中、毎週土曜日の夜は花火がバッチリ見えるよ。」
「うっそ!めっちゃ特等席じゃん!!いいなぁ~今度見に来ていい?」
あぁいいよ、と得意気に返事をした僕ではあったけれど、その時に目が合った女の青い瞳に僕の心は石化されて、恐らく相当だらしのない人相をしていたに違いない。
「あなた達、スイカ食べる?」
妙にニヤニヤした母がスイカを切って持って来た。(スイカかよ!なんかこう・・・よさげなメロンでも無いの?!)と、藤子マンガに出てくるような少年の気持ちがよく判った。
「あ、私スイカ大好きなんです!いただきま~す!」と彼女は安物の健康サンダルでもキチッと丁寧に揃えてから部屋に戻った。
「アンジェルちゃんって、日本人とのハーフなの?」と母。
「違うよ、アメリカ人とフランス人のハーフなの。」と僕。
「あんたに聞いてないわよ。アンジェルちゃんに聞いているの。」
「フフ・・・そうです。父の仕事の都合で、小さいころから今まで日本で暮らしているので、なので日本語、英語、フランス語は話せます。」
「あらぁ、すごいわねぇ・・・あんたどっちか教わったら?」
やけにニヤニヤして母は僕に言ってきた。まったくこういう時ってどうして親って面倒くさいことを言うのだろうか。
「もういいから!・・・スイカありがと!!」と言って母を追い返したが、所詮団地の狭小住宅であり、薄い襖一枚を閉めた程度なので追い返したうちに入ってはいないが、僕はとにかく僕の部屋での彼女との時間が照れくさくて仕方がなかった。
お皿にスイカの皮が何個か折り重なったころに、さっき彼女が歌ってくれた「My Old Kentucky Home」について教えてくれた。
「パパが車でよくこの曲をかけていて、最初、パパ?これってフライドチキンのCMのやつだよね?って。そうだよ、でもフライドチキンの会社の曲ではなくて、もっともっと昔に作られた私の故郷の曲なんだよって。」
彼女の父親はアメリカのケンタッキー州の出身だったのだ。
「あ、これが前に話したパパからの課題曲だよ。」
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