第18話  裏切りの結果

「同盟関係ではなくなってしまって久しいが、ヴェネト帝国に屈するくらいならば我らはエルテミス王国と共に戦いたいと思っている。もしも、ビザンの裏切りを明らかにし、まだ帝国と戦える状態であったなら、我らはすぐに同盟を締結して帝国との戦いに参加するとしよう」


 バルド皇は力強くそう言って、事態が好転したなら同盟を結ぶと約束してくれた。とはいえ、バルド皇も国の代表である。国が滅亡するような事態になってはいけないという思いから、我が国がこの危機を乗り越えたら、という条件つきである。


 ありがたい。世界が終わってしまったかのような絶望に打ちひしがれていた矢先、陛下は私に光明を与えてくれたのだ。


 たとえ、ほんの僅かな光明であろうと、それに縋る他ない。




 馬を走らせて、全力でエルテミス王国、ベルタン公爵領を目指す。シンクレア伯爵家には馬を乗り継いでいく為だけに立ち寄った。ヘレナには最悪の状況であると伝えてから公爵領を目指している。


 事態は一刻を争う。陛下に信じてもらい、ビザンを捕らえて再び諸国に同盟を願い出ていかなければならないのだ。絶望的な状況なのは分かっているが、それでもやるしかない。


 そんな私の気持ちを嘲笑うかのように、向かう先の夜空が赤く染まっているのが目に入った。


 もう、日はとっくに暮れている。本来なら街中でもない街道など、月明かりが精々といった状況のはずだ。なのに、向かう先の空は星すら見えないほど赤く塗り潰されていた。


「ソフィアーナ様!」


 がむしゃらに馬を操ってベルタン公爵領内の丘を駆け上がっていると、すぐ隣にディルクが現れて名を呼んだ。そして、無理やり私の馬の手綱を引く。普通なら体重で引かなければ馬は止まらないが、ディルクは片手の力だけで馬を停止させてみせた。


「ディルク!」


 何をするのかと怒鳴ったが、ディルクは無言でこちらをじっと見つめてきた。冷静な態度で待たれていると、徐々にこちらも落ち着いてくる。


 一度深呼吸して、再び顔を上げる。


「……ごめんなさい。落ち着いたわ」


 そう告げると、ディルクは浅く頷いて街道の先を見た。


「……ソフィアーナ様。ここが別れ道です。すでに戦いの音が聞こえるほどの距離になっています。音を良く聞いてみてください」


 静かにそう言われて、耳を澄ます。確かに、馬の嘶きや人の声に金属と金属を打ち合わせる耳障りな音が混じって聞こえて来る。そして、徐々に音は近づいて来ているように感じられた。


「……音が、近づいてきている?」


 そう答えると、ディルクは頷く。


「あの赤い空を見た瞬間に気が付きましたが、すでに戦場は川のこちら側になっています。防衛は、失敗したのです」


 ディルクのその言葉に、身体の力が抜けていく。バランスを崩して馬から落ちそうになると、ディルクがそっと背中に手を当てて支えてくれた。ディルクはこちらの様子を確認した後、赤い空を指差した。


「……皆と一緒にあの炎に焼かれるか。それとも、戻って生き残ったシンクレア伯爵家の領民を守るのか」


 そう言われて、胸に痛みが走る。


「……ディルク。たとえ、自殺と言われようと……あそこには父や兄、友達だっているのよ。見捨てて逃げるなんて、出来ないわ」


 答えながら、自らの指先が震えていることに気が付く。どうせ一度死んだ過去を持っているというのに、何を今更怖がるのか。私は、これほど臆病だったのだろうか。


 過去を振り返った瞬間、自らの胸を剣が貫いた過去の光景が鮮明に蘇る。


 呼吸が、上手くできない。心臓が早鐘のように脈打った。


 上手く言葉が口から出ない私を、ディルクは静かに見つめて口を開く。


「ソフィアーナ様……このベルタン公爵領での戦いで負けたからといって、エルテミス王国の敗北が決まったわけではありません。それはご当主様やルクテリ様とて同じことです。砦に火が放たれた段階で、陛下と一緒に王都へと退却しているものと思われます」


「…………そうね。ここで全員が玉砕するような戦い方はしないはずだわ。なら、私たちも王都を目指した方が……」


 ディルクの言葉に、気を取り戻す。今は、過去の死を見つめている時ではない。少しでも希望を探し出してもがく時だ。


 頭の中で地図を広げて、状況を整理する。エルテミス王国の西部にあたるベルタン公爵領が制圧されるとしたら、北部のシンクレア伯爵家もそうだが、南部の王家直轄領も攻撃される位置となる。ならば、少しでも戦力になれるように王都へ向かうべきか。


 そう思ってすぐに自身の考えを訂正する。ディルクを見て、次に自身の後方に並ぶ騎士達を見る。馬に乗っているとはいえ、僅か五十人程度だ。


「……違うわね。たった五十人だかで王都に向かったところで、戦力にはならないわ。それなら、別の戦い方をしないと……」


 自身の考えを整理する為に呟いていたのだが、ディルクは深く頷いて返事をした。


「その通りです。物資か、それとも傭兵を雇って王都騎士団と伯爵家騎士団で挟撃を狙うのか……どちらにしても、王都に向かうよりも伯爵領に戻るべきでしょう」


 ディルクの言葉を聞き、私は静かに頷いたのだった。

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