第12話  半年後

 帝国は準備があるからか、中々動かなかった。いや、物の出入りや騎士団などの用兵に関しての情報は上がっているようだが、まだシュフール川近くで何かするといった動きはなかった。


 それに合わせて、一旦兄たちも自領に戻ってきた。一週間ごと交代で戻るらしいが、ゆっくり出来るはずもなく、それぞれ領地内の業務を大急ぎでこなしてベルタン公爵領へ戻るばかりである。


 兄が帰った時も、忙しさで倒れそうになっていた。


「あ、ルクテリ兄様」


「お、おお! ソフィか! 久しぶりだな!」


 ルクテリは部下達から報告を受けつつ、私に気がついて声を掛けてきた。あの頃の少女のような可憐な少年はすっかり背が伸びて、少々華奢な青年へと成長している。


「お兄様、背が伸びましたねぇ」


「……ん? 背か? 去年もそんなことを言ってなかったか?」


「すっかり大きくなって」


「母上みたいなことを言うなよ……」


 素直に感想を述べたのに、ルクテリは呆れたような顔で文句を言ってきた。それに笑いつつ、少しだけ真面目にお願いをする。


「……ルクテリ兄様。死んでしまってはどうしようもありません。負けると悟った時は必ず撤退するようにしてください」


 そう言うと、ルクテリは複雑な顔で口を噤んだ。


「……そう簡単なことではないぞ。撤退したところで状況が良くなるわけじゃないんだ」


「たとえ、国と家を失おうとも、人々が生き残れば国を復興することが出来ます。帝国の侵略を見る限り、聖女が死んでしまったらやがて内乱が起き、国はバラバラになってしまうと思います。今を生き抜けば生まれ育ったこの地に戻ることは十分可能です」


 怒られても良い。そう思って、正直な気持ちを真剣に伝えた。ルクテリはすぐには何も言わなかったが、やがて苦笑混じりに顔を上げる。


「……私は、このエルテミス王国が大好きなんだ。生まれ育ったシンクレア伯爵家や領地で暮らす領民達を愛している。だから、帝国がそれらを踏み潰そうとするなら、私は死んでも最後まで戦うつもりだ」


 その表情と言葉を聞き、説得は出来ないのかと悲しくなる。


 既に、父や母にも同じことを言った。しかし、揃って死は覚悟できていると答えた。


 だが、私は死んで欲しくないのだ。皆が生きてくれたなら、どんな空腹でも辛くはない。衣服などボロ切れでも良い。何も無い地でもなんとか生活は出来るはずだ。皆がいてくれたなら、絶対に耐えられる。


「……ソフィ」


 不意に名を呼ばれて、顔を上げる。頬に熱いものを感じた。


 どうやら、知らず知らずのうちに涙を流していたらしい。


 ルクテリは切なそうに眉根を寄せて、ハンカチを手渡してくる。


「お兄様が拭いてくれるわけじゃないのですか」


「甘えるな」


 そんなやりとりをして、どちらともなく笑う。そして、もう一度だけお願いを口にする。


 生きて帰って欲しい。家族皆が生きて戻ってくれたら、それだけで良いのだから。


 しかし、ルクテリは苦笑するだけで、頷いてはくれなかった。





 皆が公爵領に再び出立して、およそ一ヶ月後。ついに戦いは始まった。


「ソフィアーナ様、やはり戦いはシュフール川です」


 公爵領から戻ってきたシンクレア伯爵家の騎士、ギゼルがそう報告した。ギゼルは黒い髪、茶色の目の細身の青年だ。恐らく、年齢は二十歳ごろだろうか。見た目は細く見えるが、実際にはアスリートのように鍛えこまれた鋼の肉体である。騎士の家の出ではないが、伯爵家の主催する剣術大会でも良い成績を納めた実力のある騎士だ。


「戦況は?」


 端的に尋ねると、ギゼルは険しい顔で頷く。


「ソフィアーナ様がご指示した通り、川岸に砦を建てたお陰で善戦できてます」


 ギゼルはそう言って私の反応を待つ。本気でそう思ってくれているようだが、実際には私の意見は参考程度にしかなっていないだろう。


 そう思いつつ、ギゼルに自身の考えを伝える。


「……想定していたよりも時間があったから、帝国側も色々と準備してきた筈よ。下手したら船を幾つも作ってきた可能性もある」


 私の言葉に、ギゼルは神妙に頷いた。


「その通りです。帝国は大きな船を次々と川に……船を繋いで足場にして即席の橋を作って攻めてきました」


「それなら、油と火の魔術を使って炎上させるように伝えていたはずだけど、どうだった?」


「は、はい。ご当主様がすぐにそう指示を出し、準備していた油壺を大量に使いました。帝国も水の魔術を使って消火しようとしていましたが、油に火の魔術、火矢も準備していた為延焼を防ぐことができず……」


 ギゼルの言葉に、ホッと一息吐く。


「それなら、一旦立て直すために引き下がる。次にするとしたら、複数の船での同時攻撃か、砦から攻撃されない場所を探して橋を作るか……どちらにしろ、十分勝てる戦いだと思っているから、聖女の存在を強調する為に必ず川は渡る筈。それをもう一度防ぎ切ったら、周囲の国に同盟を持ち掛けるべきね」


 戦況を聞きながら、次の手を考えていく。問題は魔術師の存在だ。どう考えても、人数が多い帝国側の方が強い魔術師は多く保有している。


 いくら広い川とはいえ、もし川の中間地点くらいから攻撃が可能な魔術師が何人もいたら大きく不利になるだろう。


「怖いのは届かない距離からの攻撃ね。相手が川の中ほどまで船を進めて、そこから攻撃してくる可能性がある。その時の為に出来たらこちら側も船を用意しておいた方が良いわね。後は、魔術師が簡単には出てこれないように大量の矢が必要と思う」


それだけ言ってギゼルを見やると、目を丸くした顔があった。


「……お嬢は、実際に戦場を見てきた俺よりも状況を掴んでいるように見えます」


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