第11話  帰郷

 戦争が始まる。


 そういった事情もあり、学院は急遽休みとなり、私もシンクレア伯爵家に戻ることとなった。エランジェも同様に公爵領に戻っている。街に入った時、意外にも住民の様子はそんなに変化が無かった。慌ただしいのは騎士達だけだ。シンクレア伯爵領はエルテミス王国の北部側にあり、王国の西側にあるシュフール川から離れているという部分も影響しているかもしれない。


 しかし、エランジェのいるベルタン公爵領は王国西部。つまり、帝国との戦いが始まれば間違いなく自領が荒らされることとなる。勝てたら奇跡だが、勝てたとしてもベルタン公爵領は大変な被害を被るだろう。そういった背景から、エランジェの住む街は私がいる場所よりもずっと慌ただしいはずだ。


「……この戦争、勝てますでしょうか」


 と、伯爵家に避難してきていたベルティラが呟く。


 慌てて剣や槍を磨いても仕方がないと、私とベルティラは自宅の中庭にある東屋で紅茶を飲みつつ、あまり意味の無い作戦会議をしている。なにせ、ベルティラの家であるボレット男爵家は数名の部下と一緒に騎士団に所属しているし、我がシンクレア伯爵家は当主を騎士団長としてシンクレア伯爵家騎士団を設立しており、ルクテリも騎士団に所属している。


 いつ戦争が起きてもおかしくない状況の為、シンクレア伯爵家の派閥に所属する子爵や男爵の騎士団も揃ってベルタン公爵領へと移動してしまっていた。


 つまり、現在シンクレア伯爵家にいるのは老人や女子供、戦えない者が殆どである。他の領地と違って伯爵領は他国と隣接している為、最低限の防衛力としてディルク兵士長を中心とした精鋭五十人が残っているが、本当にギリギリの人数だ。


 少しいつもより静かな街の様子を思い出しながら、ベルティラの質問に答える。


「直前の情報では、帝国軍は五万にも及ぶ軍団を組織してシュフール川の渡河を行うと聞いたわ。対して、こちらはどんなに集めても三千人程度。人口二万人もいないのだから三千人でも凄いけど、正直厳しい戦力差よ。どうにかして渡河を食い止めて、他の国との同盟を成立させないとどうしようもないわね。最低でも一万の兵が欲しいわ。そうすれば、やり方次第では防衛だけなら何とかなると思う」


 そう告げると、ベルティラは不安そうな顔で紅茶を一口含み、そわそわと椅子の上で落ち着きなくしていた。ここ最近のベルティラはドレスを着らず、乗馬を行う衣服を身にまとっている。動きやすく、軽装の鎧であれば上から着ることも出来る。


「……今は時間があるし、訓練したかったらしても良いけど」


「え? 良いんですか?」


 私の言葉にベルティラは嬉しそうに立ち上がった。そして、すぐに中庭の奥で木を相手に木剣で打ち込みをしているディルクの下へ向かう。


「ディルク兵士長! 剣術の稽古をお願いします!」


 ベルティラにそう言われて、こちらに背中を向けていた大男が振り返る。ベルティラも高等部になって身長を大きく伸ばしたが、ディルクはさらに頭一つ、二つ分大きな大男だ。女性の平均的な身長ほどしかない私からすれば見上げるようである。


「……ベルティラ嬢?」


 名前を呼びつつ、ディルクは傍まで走ってきたベルティラを見下ろす。もう一時間以上休まずに剣を振っていた為、動きやすい布製のシャツはすっかり汗で色が変わっていた。その服の上からでも分かる大きく盛り上がった筋肉はまるで鎧のようだ。剣を持って正面から相対すればその圧力だけで降参してしまいそうである。


 事実、ディルクは剣の腕だけでなら伯爵家だけでなく、王国内でも一、二を争う強さだった。剣術に打ち込んでいたベルティラはディルクの剣の腕を見て強く憧れていた。


 一方、ディルクは男爵家の令嬢を鍛えて良いものか悩んでいる様子である。寡黙だが、女子供に優しい男だ。


 最後には困ったようにこちらを見てきた。それに苦笑しつつ、片手を挙げる。


「本人がやりたいって言っているんだから構わないわよ。怪我だけはさせないでね」


 そう告げると、ディルクは黙って頷いた。木の下に置いていた少し小さな木剣を手に取ると、すぐ近くで背筋を伸ばして立つベルティラに手渡す。


「ありがとうございます!」


 ベルティラは嬉しそうに木剣を受け取って構えた。その格好のままでやるのかと驚いたが、ディルクも特に何も言わずに木剣を構える。


「……振り下ろしから」


「はい!」


 ディルクがそう言うと、ベルティラは表情を引き締めて返事をし、木剣をまっすぐに振り下ろした。脇を閉め、剣先は頭の上から地面に触れる寸前まで勢いよく振り下ろされた。風を切る音が聞こえる。授業で習う程度しか剣に触れていない私からすれば、剣術の教師と同じような見事な素振りである。


 それを見て、ディルクは軽く頷いて自らも木剣を振った。まるで力が入っていないように柔軟に腕が動く。同じように剣を振り下ろしている筈なのに、ベルティラの動きと全く違った。足先から膝、腰、肩から腕の先まで滑らかに連動し、剣の先は気が付いたら地面に触れる寸前の場所にある。


「……凄い」


 ベルティラも感動したように目を輝かせた。ディルクは木剣を構え直してベルティラに目を向ける。


「それでは、今くらいの振り下ろしが出来るまで、剣を振ります」


「はい!」


「え?」


 二人の会話を聞き、耳を疑う。何年剣を振り続けるつもりだ。そう思ったが、二人は至極真面目な顔で剣を振りだした。


 こういう人が、後々に凄い人になるのだろう。ひたむきなベルティラを眺め、そんなことを思ったのだった。


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