第9話  戦火の音

 レガリオの言葉に、場の空気は重く沈んだ。突然こんな話を聞かされたベルティラだけがキョトンとした表情を見せていた。


 私は地図を再度確認し、シュフール川を見る。対岸まで占領したのならば、もうエルテミス王国とヴェネト帝国の間には何も阻むものが無いかのように思える。


 本来なら、シュフール川は大きな障害となる筈だが、ことヴェネト帝国に関しては意味を成さない。


「……シュフール川には大型の魔獣が出るとされていますが、聖女がいるなら魔獣は近づかないですね。ただ、シュフール川にまだ軍で使えるような大きな船は無いでしょうし、向かって来るとしたら半年は先でしょうか。まぁ、大きめのイカダを繋いで浮桟橋を作って仮設の橋とするなら、恐らく二、三ヶ月くらいで数万の軍勢が川を渡れるようになるでしょう」


 地図を眺めながらそう呟くと、皆がざわめいた。騎士のおじさんが目を見開いて唸る。


「……とても学生とは思えないな」


 その言葉にレガリオが何度か頷いた。


「うむ、そうじゃろう。本当なら、聖女研究の専門家として呼んだつもりじゃったが、違う形でも活躍してくれそうじゃのう」


 そんなことを言うレガリオに長い息を吐いて首を左右に振って答えないでおく。


 結局、私の知識なぞ前世で聖女として散々利用された時に身についたものだ。学生として努力して得たものではない。


 こちらの気を知らずに、レガリオは続けて質問をしてくる。


「近年、聖女が生まれた国が戦争によって領土を拡げることがなかったからのう。もし、ヴェネト帝国が攻めてきたら、どう戦うべきかと思って意見を聞きたかったのじゃよ」


 困った困ったといったノリでそう尋ねられ、首を傾げる。


「……戦うことが前提ですか? はっきり言って、この戦力差は簡単には埋められませんが」


 そう忠告すると、レガリオは難しい顔で頷いた。


「そうじゃのう……帝国がもし自治権を認めてくれたなら良いが、他国のように自領とされてしまった場合は王族や上級貴族が一族含め殺されてしまうやもしれん。そうなったら、戦うしかなくなるじゃろう」


「……帝国はそれほど苛烈な侵略を進めているのですか」


 驚いてそう答える。すると、騎士の男たちが頷いた。


「逆らえば小さな村であっても焼き払い、住民も惨いことになっておるようだ。小さな国の一つが即時属国入りを願い出たが、殆ど奴隷に近い扱いを受けているという」


 そう聞いて、深く溜め息を吐く。戦うのは絶望的であり、属国になっても奴隷のように扱われる。


 それなら、そもそも接触しない方がましだ。違う選択肢を模索すべきだろう。


「……それならば、逃げるということも選択肢にはなりませんか? 一万以上の人間が一斉に何処かへ移り住むというのは現実的ではないかもしれませんが」


 意を決してそう尋ねたが、誰もが押し黙った。祖国を捨てるという発言だ。簡単なものではない。


 と、その時、これまで黙っていたエランジェが厳しい表情で口を開く。


「……ソフィ。いえ、ソフィアーナさんの言葉は貴族として甘い発言だと言わざるを得ませんですわ。王族や貴族が、国を見放すようなことを言ってはいけませんもの。一般市民が逃げると言うならば仕方ありませんが、我々は最後まで戦うべきですわ」


 その言葉に、何人かが感銘を受けたような声を上げた。そして、レガリオもエランジェの台詞に頷いて同意を示す。


「わしも貴族の端くれじゃが、そういったものを抜きにしても、生まれ育ったこの国を捨てることは出来んのじゃ。まぁ、老い先短いからそう思うのかもしれんがのう」


 そう口にして、レガリオは声を出して笑った。その表情を見て、死ぬ覚悟は出来ているのだと悟る。前世で、何度か見て来た表情だ。


 今世ではあまりにも平和な日々を送っていて忘れてしまっていたが、前世では各地で大きな戦争が頻発していた。魔獣による被害も多く、小さな村や町が壊滅してしまう事例も数多くあったと思う。


 私が生きている間に複数の小国が地図上から消え、新たな国が興ったが、国を捨てて逃げた人々の殆どに過酷な運命が待っていた。しかし、中には新天地で生き残った者たちもいたはずだ。


 だが、それを教えたところで意味はないだろう。そう思い、せめてもの助言をすることにした。


「……分かりました。それでは、私が調べた限りの聖女の情報をお伝えしましょう」


 そう言って、レガリオを見る。


「聖女の癒しの魔術ですが、一度に怪我を癒せるのは一人から十人までです。効果を発揮する距離はせいぜい数メートル。人数に差があるのは単純に怪我や病の度合いです。心臓を貫かれるような怪我の場合、即座に治療をすれば癒すことが出来ますが、僅かでも遅れれば失血による死亡は免れません。逆に言えば、死の間際にいる者を救うことは出来ないということです。それと、聖女は自分自身に癒しの魔術を使うことは出来ません。普通の人間と同様、重傷を負えば死んでしまいます」


 聖女の癒しの魔術について簡単に説明して顔をあげると、皆の目が丸くなっていた。


「……そんな詳細な文献があったかのう」


 レガリオも驚きを隠せないようだった。それに微笑みを返して誤魔化す。


「学院にいる間、ずっと調べていましたからね」


 そう答えてから、再び口を開く。


「後は、最も重要な聖女の聖域についてです。聖女のいる国は魔獣の被害が極端に減ります。聖女がいる地を中心に、外へ広がるほどに聖域の効果は減っていきます。また、川や湖、海などがあると効果範囲は減ってしまいます。他にも作物が早く強く育ったり、疫病が流行らないといった効果もあります」


 聖域について前置きをしつつ、地図の一点を指し示した。


「今回の地理で最も重要な地点は川の手前になるでしょう。聖女の力で魔獣は退けても、こちらの矢を防ぐことは出来ません。その川をどうやって渡らせないようにするか。それが焦点になるでしょう」


 そう告げると、騎士達までもが神妙な顔で私の話を聞き始めた。

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