第8話  異変

 その日、私は高等部の授業を楽しく学び、来年に備えて卒業発表の準備を始めていた。気が付けば私も十五歳。残りの学院生活は一年と少しだ。


 貴族学院では、初等部、中等部、高等部のそれぞれで学習した内容を発表する。中等部では聖女の歴史を発表したので、高等部では魔術と癒しの魔術の違いについて発表しよう。ちなみに、他の生徒達は生活魔術と呼ばれる火、水、風の初級魔術の応用だったり、歴史についての自分なりの解釈だったりと本来の勉強したものの中から抜粋することが多い。


 あんまり変わった発表をすると変な注目を浴びてしまうので、そこそこにしておこう。そんなことを思いながら、その日最後の授業が終わるのを待っていた。


「さぁ、今日はこの辺りまでとしましょう。皆さん、気をつけて帰るのですよ」


 地理学の先生が授業を終えて、皆と挨拶を交わしながら教室を出ていく。


 と、その時、廊下の奥から教頭のルオベルトが歩いてきた。今廊下に出たばかりの先生に話しかけ、二言三言、僅かなやり取りをする。


 すると、ルオベルトはそのまま次の教室に向かい、授業を終えた教師は反対側へ向かった。


「な、何かあったのでしょうか?」


 少し不安そうな顔をするベルティラに、とりあえず笑いかけておく。


「大丈夫。多分、大型の魔獣でも出たんじゃないかな」


「この王都近くでですか? それはそれで大変では……?」


 ベルティラは余計に心配になってしまったようだ。


 と、その時、教室を出ようとした私に声をかけてくる人がいた。エランジェだ。


「……ソフィ。今から学院長室へ来てもらえるかしら? 学院長がお呼びですわよ」


「え? 私は今からベルとお食事に行こうかと……」


「申し訳ありませんが、こちらが優先ですわよ」


 最近にしては珍しくエランジェが真剣な顔でそんなことを言う。すると、ベルティラが真顔で頷いた。


「これは、本当に魔獣退治ですね。私も一緒に行きます! 私はソフィアーナ様の騎士ですから!」


「貴女は騎士ではないでしょ? まぁ、気持ちは嬉しいけど」


 ベルティラの言葉に思わず苦笑してしまう。中等部になってから、剣術の楽しさに目覚めたベルティラはめきめきと腕を伸ばしていった。気がつけば、高等部入ってからは上級生でもベルティラに勝てる人はいなくなってきているほどである。


 それからというもの、ベルティラは私の騎士を自称してすっかりその気になってしまっていた。


 それを知っているからか、エランジェは一瞬考えるような素振りを見せたが、やがて溜め息とともにベルティラの意見を認めた。


「仕方ありませんわ。それでは、二人とも付いてきなさい」


 エランジェはそう告げると、先導するように踵を返して歩き出す。それにベルティラと並んで付いていき、学院長室へと辿り着いた。


「失礼いたしますわ」


 ノックをしてすぐにそう言うと、エランジェは相手の返事も待たずに扉を開けた。貴族としての作法を叩きこまれている筈のエランジェが、そんな焦ったような行動に出るのはかなり珍しいことである。


 驚きつつエランジェの後に続いて学院長室に入ると、そこには二十人を超える人数の人がいた。執務机の奥には部屋の主である学院長の姿もある。


「おお、来てくれたか。ソフィアーナ君に、少し聞きたいことがあってのう」


 レガリオは困ったように笑いながらそう口にする。いったい何の話なのか。


「ご用事ですか?」


 返事をしつつ、室内にいる人の顔を確認していく。ルオベルトは先ほどどこかへ行っていたから姿が見えないが、他の教師は十名ほどいるようである。


 そして、あまり見たことのない白銀の鎧と赤いマントの騎士達の姿もある。


 冗談で口にしたのに、本当に王都近くで魔獣が現れたのか? そんなことを考えつつ頭を捻る。


 すると、私の疑問を察したのか、レガリオがいつになく真面目な顔で答えた。


「二人とも、心して聞いてほしいのじゃが……」


 そう前置きしてから、レガリオは執務机の上に置いてあった地図を片手で持ち上げた。僅かな詠唱を行い、魔術を行使する。


 風の魔術だ。ふわりと繊細な風が前後から挟み込むように吹き、地図は壁に貼り付けたように地面と垂直に浮かび上がった。


 地図の表面がこちらに向いた状態で静止した為、少し近づいて地図を確認した。


「……これは、大陸全土の地図ですね」


 そう確認すると、レガリオは軽く頷く。


「そうじゃ。そして、見て欲しい部分は大陸の南東部じゃよ」


「南東部……」


 大きな地図を見る為に少し顔の位置を低くして地図を追っていくと、ふと記憶と違う部分に気が付く。


「あれ? ヴェネト帝国はもう少し小さくありませんでしたか?」


 疑問を口にする。それに、レガリオは短く息を吐き、頷いた。


「……そうじゃ。一年前に比べてヴェネト帝国は領土を二倍に拡大させておる。領土を拡げたということは、周囲の国は領土を失ったか、浸食されておるということじゃ」


 レガリオがそう答えると、教師達も複雑な顔で顎を引く。どうやら、それが今回呼ばれた件に関わる内容のようだ。


 伊達に前世で聖女をしていたわけではない。それだけで、現在がどのような状況か察することが出来る。


「……今代の聖女を有するヴェネト帝国が、近隣諸国を侵略して領土を拡げている、ということですね。それで、シュフール川の近くまでヴェネト帝国が来てしまったら、我らの暮らすエルテミス王国も危うい、と」


 そんな推測を口にして周囲の顔色を確認すると、皆が目を丸くして私を見ていた。どうやら、正解だったらしい。


 皆を代表するように、レガリオは苦笑とともに口を開く。


「正解じゃ。あまり、当たって欲しくない内容じゃったが、事実である以上どうしようもない。今見ている地図は、一か月前のものじゃ。しかし、今日の昼に新たな連絡があってのう。どうやら、二年以上もの間戦い続けていたケーニベック王国が降伏し、ヴェムト帝国は一気にシュフール川の岸まで自領を拡げることに成功したのだ」

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