第5話  前世と今

 先に断っておくが、前世の私は恋や愛など無縁の存在だった。そもそも、常に監視下に置かれ、自由などなかったのだから恋愛など不可能である。


 しかし、前世の私、七百年前に滅亡した我が祖国、フランデル王国の聖女はどうやら物語の主人公に抜擢されるような人生を送った、らしい。


 その物語によると、聖女は衰退していく国に生まれ、その力で国を建て直したとのこと。それも、聖女としての力だけでなく、優れた叡智によって経済的にも大きく貢献したという。


 更に、聖女は自国だけでなく近隣諸国に目を向けて、癒しの魔術を使って様々な人を治療する旅を死ぬまで行ったようだ。


 そんな慈愛の聖女が、常にその身を守る騎士団長と恋に落ちるのは時間の問題だった、らしい。


 騎士団長は王国一の剣の使い手でありながら、女性と見紛うような美青年である。聖女は騎士団長に何度も命を救われ、騎士団長は聖女に何度も瀕死の怪我を癒してもらった。


 やがて二人は惹かれ合っていくことになるが、想いは実ることはなかった。何故なら、聖女が若くして亡くなってしまうからだ。


 フランデル王国の勢力拡大に脅威を抱いた複数の国が協力して大軍勢を結成し、他国の王族を救おうと移動中の聖女を強襲した。その軍勢は数万にもおよび、反対に聖女達は僅か二千程度だった。


 騎士団長は聖女が他国の手に落ちることを危惧した。しかし、愛する人を自らの手で殺めることは出来ず、ただ涙を流して聖女に謝罪の言葉を口にする。


 聖女は、騎士団長と共に死ぬことを望み、自ら騎士団長の持つ剣に向かって飛び込んだ。剣の先が聖女の胸を貫き、騎士団長は慟哭しながら死にゆく聖女を抱き締めて、自らも死を選ぶ。


 これが、悲恋の聖女の歴史だった。


「……誰がこの話を考えたのよ」


 前世を知る私は呆れた気持ちで誰にともなく呟いた。なにせ、八割以上脚色である。現実は籠の鳥として飼われ、騎士団長もおじさんである。誰が美青年だ、誰が。


 とりあえず、過去の数多くの聖女達の中でも最も優しさに溢れた存在だったと伝承されているので、敢えて否定をしに行く理由もないが、あまりにも美化されていて驚愕するばかりである。


 前世の私の名はエレナ・フォン・ヘッセンガル。悲恋の聖女エレナと同一人物なのは間違いない。しかし、釈然としない。


 そんなモヤモヤを持ちつつも、気がつけば私は十五歳となっていた。


「ソフィアーナ様! 新しい紅茶が入ったんですよ! なんと、ルーゼンの新作です!」


「まぁ、ベル。それは楽しみね」


「ベルティラさん? まさかとは思うけれど、その見事な肉の塊がお茶菓子ではありませんわよね? 美味しそうではありますが、ルーゼン公国の紅茶とは合わないのでは?」


 ベルティラが上機嫌でテーブルの上は真っ白なティーカップを並べていくが、その中心には確かに人の顔ほどもある巨大な肉の塊があった。それを信じられないものを見るような目でエランジェが見つめている。


 ベルティラは苦笑しながらエランジェに顔を向ける。


「エランジェ様。美味しいものと美味しいもの。二つとも美味しいのに、間違いなどありませんよ?」


「……何をいっていらっしゃるの、このお馬鹿さんは」


「ふふ、ちなみにこのお肉はあのマイザ産の黒毛水牛ですが?」


「よりによってそんな高級なお肉ですの!? お茶会で使うものではありませんわ!」


 最初は呆れた様子でベルティラに苦言を呈していたエランジェだったが、最後には目を丸く見開いて驚きの声をあげていた。それを見て吹き出すように笑いつつ、お茶会に参加する全員の顔を順番に見る。


「まぁ、お肉でお茶会も面白いかもしれないわよ。多分、お肉でお茶会をした人は数少ないはずだし」


「……そりゃあそうですわ」


 ベルティラのフォローをする為に口にした言葉に、エランジェが乾いた笑い声とともにそう呟く。他の女子生徒達は微笑を浮かべながら頷き、私とエランジェを見た。


「お二人が良いのでしたら何も文句などありませんわ」


「どれも最高級品ですからね」


 そんな感じで、皆も快くサプライズ肉を承認してくれる。ベルティラが嬉しそうに厚切りで肉を切ろうとするので、そこだけは流石に止めて薄切りにしてもらった。


 紅茶を飲みながらステーキのような肉に齧りつくわけにもいかない。


 と、その時になって自分用のお菓子があったことを思い出す。お茶会では小さなお菓子を一つ二つ食べるだけなので、後でお腹が空いたら食べようと思っていたのだ。


「あぁ、私も小さいものだけどお菓子を持ってきてたんだった」


 そう言って卵を多く使った甘い焼き菓子を出すと、皆が歓声をあげる。


「流石ソフィアーナ様!」


「まぁ、美味しそう!」


皆が喜ぶ中、エランジェは悔しそうに眉根を寄せた。


「執事に買ってこさせますわ!」


「それは可哀想よ? むしろ、執事達にもお肉を食べさせてあげたら?」


「まぁ、お優しい!」


「流石はソフィアーナ様!」


「ず、狡いですわ! 卑怯ですわ!」


 そんなやりとりをして、私達はお茶会を楽しんだ。もうその頃にはエランジェも無闇に突っかかってくることも無くなり、一緒に過ごすことが増えていた。


 前世に比べてなんと幸せな日々だろうか。幼い頃は多少の嫌がらせやイジメに近いものもあったが、全く気にならないくらいだった。


 なにせ、嫌なら嫌と言える。腹が立ったら友人を招いてお茶会でも開けば良い。誰かと笑い合える自由な時間が毎日ある。これほどの幸せを享受出来るならば、怖いものなど何も無い。

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