第3話  平和な学院生活

 美しい白い石の壁と赤みがかった色合いの木製の床。そして、木の梁と石のアーチが特徴的な天井。どこか古い時代の城をイメージさせる内装だ。落ち着いているのに神殿のような荘厳さがある。


 旧時代的ということは、前世を知る私にとって懐かしく感じる景色でもあった。そして、学院長室はその廊下の最も奥にある。


 御者は学院内に入れない為、溜め息を吐きつつ一人でその廊下を進む。そもそも、何故誰も夏休みの最終日を私に教えてくれないのだろうか。御付きのメイド達も昨日は楽しくお茶会をして新しい服のデザインが素敵だのなんだのと平和な会話をしていたくらいだ。昨日の自分の後頭部を引っ叩いてやりたい。


 学院長室の前に立ち、もう一度大きく溜め息を吐いてから大きな両開き扉を見上げ、軽くノックをした。


「……学院長。ソフィアーナ・フレイ・シンクレアです。ご在室でしょうか」


 意を決して声をかけた。すると、部屋の中から扉が開けられる。予想外にも顔を出したのは全体的に丸い顔と体型の教頭先生だった。ルオベルトという名の筈だ。


「入りなさい」


 頭を下げて会釈をし、学院長室へ足を踏み入れた。中に入ると、まず足元の白を基調とした豪華な刺繍の絨毯が目に付く。そして、大きな執務机や落ち着いた雰囲気のソファーなどの家具だ。


 そのソファーに、一人の老人が座っている。白髪を後ろでまとめた、白い髭の老人だ。刺繍の入った白いローブを着ていても分かるくらい細身の老人だが、その表情には活力が漲っている。その老人、学院長であるレガリオ・アンスカリは私の顔を見て嬉しそうに目を細めた。


「おお、ソフィアーナ君! 待っておったぞ。入学式におらんかったから、辞めてしまうのかと思って焦ったぞい」


 レガリオに笑いながらそう言われて、すぐに頭を下げる。


「大変申し訳ありません。出発が遅れてしまい、入学式に間に合いませんでした」


 素直に謝罪すると、レガリオは楽しそうに笑った。


「ほっほっほ。良い良い。明日からが授業の本番じゃからな。いつものように学問に励むと良いぞい。もし、今習っておる授業よりも高度な授業を受けたい時はわしに言うんじゃよ?」


「はい、ありがとうございます。頑張ります」


 あっさりと許してもらえてホッとしつつ、感謝の言葉を告げる。すると、ルオベルトが笑顔を浮かべて深く頷いた。


「そうですな。ソフィアーナ様はこの学院始まって以来の天才。出来たら学院の教師になってもらいたいほどですからな」


「ありがとうございます」


 ルオベルトの言葉に丁寧にお辞儀をして返事をする。学院長は違うが、ルオベルトはどうも下心がありそうな感じがして苦手だった。やたらと褒めてくるが、どうも視線は私を見ていない気がする。


 前世での聖女として過ごしいた時に何度も経験した視線だ。そのあたりの感覚は、我ながらかなり鋭いと思っている。


 その為、当たり障りのなさそうなやり取りをしてルオベルトと学院長と別れることにした。


「……とりあえず、入学式を無断欠席するという不祥事は何とかお咎めなしでいけそうね。あー、安心した」


 そう呟いて来た道を戻り、学院の庭園の中にある寮へと向かう。学院を正面から見て西側が女子寮だ。王族以外は全員その寮に住まなくてはならない。一部理由がある者は除外されるが、原則として女子は西側の女子寮に、男子は東側の男子寮に住むこととなっている。


 女子寮の前には何人も生徒が立っており、楽しそうに会話していた。その内の一人が私に気が付き、片手を挙げて声を掛けてくる。


「ソフィアーナさん。今日の入学式で見なかったからどうしたのかと思いましたわ。本当なら新中等部代表としてソフィアーナさんが挨拶をしていたのに、替わりに私がすることになってしまったのですわ」


 と、小柄な少女は不敵な笑みを浮かべてそんなことを言ってくる。肩より長い青い髪の美しい少女だ。


 ベルタン公爵家の長女、エランジェ・ルート・ベルタンである。ベルタン公爵家は王家の血筋を引いた上級貴族筆頭の立場にある。エルテミス王国には侯爵という爵位が無い為、上級貴族の第二位の地位には我がシンクレア伯爵家がついていた。


 エランジェは幼少の頃から神童と呼ばれるほどの才能を見せ、努力を欠かさない秀才でも知られている。その為か、常に私をライバル視していたのだった。


「ありがとう。エランジェさんの挨拶、私も見たかったな」


 素直な気持ちでそう告げると、エランジェは一瞬目を丸くした後、すぐに顔を赤くして頬を膨らませた。まるで茹で蛸のようになったエランジェを見て、思わず笑ってしまう。


「な、なんで笑ってるのですわ……!?」


 怒ったエランジェが頑張って冷静に文句を言おうとしている姿が可愛らしく、微笑みは消せそうになかった。


「いえ、本当にエランジェさんの新中等部代表の挨拶を聞きたかったのよ? 緊張はしなかった?」


「む、む、むむ、ムキィーーッ! ソフィさん!? やっぱり馬鹿にしているのですわね!?」


「あ、ソフィって呼んでくれるの? 最近いつもソフィアーナって呼ばれるから寂しかったの。私も久しぶりにエラって呼んで良い?」


 思わず嬉しくなってエランジェに近づいてそう尋ねたのだが、エランジェはウッと呻いて後ずさった。


 周りの女子生徒達もハラハラした様子で見ているが、エランジェは鼻を鳴らしてそっぽを向き、踵を返して寮の方に振り返ってしまう。


「ふん! もうすぐ夕食の時間だから戻りますわ!」


 怒ったようにそう言うと、肩を怒らせて去っていってしまった。残念に思いつつ眺めていると、周囲にいた女子生徒達が一気に集まってくる。


「またソフィアーナ様の圧勝でしたね!」


「すごいです!」


「優雅にかわしていらっしゃいましたわ!」


 皆からは大絶賛の嵐だったが、そういうつもりもないのだから、褒められても困ってしまう。


「いえいえ、本当にエランジェさんとは仲良くしたいの。ただ、二年くらい前からすっかり嫌われちゃって……」


 そう告げると、皆は成る程と揃って頷いた。


「あー! ソフィアーナ様が全ての科目で一番を独占するようになってからですよね?」


「やっぱり悔しいんですよ!」


 そんな風に言われるが、そう受け取られてはエランジェが可哀そうである。なにせ、まだ十歳の少女だ。上級貴族筆頭の公爵家というプレッシャーもあるだろうし、あれだけの成績を維持しているのだから血の滲むような努力をしていることは想像に難くない。


 表層では分からないかもしれないが、十歳の少女には過酷な日々を送っている筈だ。だからこそ、たとえ嫌われてもエランジェを尊敬しているし、突っかかってくる様が可愛いと感じている。


 我が儘な妹のように思っていると口にすると、また怒られるだろうか。そんなことを考えつつ、穏やかに微笑みながら皆を見返した。


「エランジェさんは凄い子だと思ってるのは本当だし、私は常に努力する彼女を尊敬してる。だから、もし良かったら皆も私がエランジェさんと仲良くなれるように協力してね」


 そう告げると、皆は顔を見合わせて戸惑いを隠せずにいた。


「え? そ、その……」


「な、仲良く、ですか?」


 その困惑する様子を見て、何となく彼女たちが思っていることを察する。恐らく、私の言葉に裏があるのではないかと勘繰っているのだ。とはいえ、本心をそのまま伝えているだけである。それを変に誤解されて行動されても厄介だ。


「えっと、難しい? そうね。良かったらエランジェさんと私が一緒にお食事をしたり、お茶会をしたりとか、そういう機会を作ってもらえたら一番嬉しいんだけれど……」


 誤解されないようにそう答えたのだが、皆は感動したように目を輝かせた。


「ほ、本当にエランジェさんと仲良くしたいのですね……!?」


「ソフィアーナ様……まるで、聖女様のようです……!」


 こうして、何故か私は慈愛の人として学院で有名になってしまうのだった。

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