第2話  ソフィアーナ・フレイ・シンクレア

 少しウェーブのかかった長い金髪。そして、シンクレア家の血筋である証ともいえる紫がかった瞳。まだまだ細くか弱い肢体と雪のように白い肌。それが、十歳になる私、ソフィアーナ・フレイ・シンクレアという少女の外見だった。


 伯爵令嬢らしい美しい青いドレスに身を包み、後ろ髪には白いリボンを付けてはいるが、幼く見え過ぎないシックなデザインだ。


 個人的にお気に入りの一着だ。美しさはもちろん、滑らかな触り心地の生地が心地良い。更には革製の靴や鞄にもこだわっている。


 わくわくした気持ちで、馬車に乗る。伯爵家の紋章が刻まれた大型の馬車だ。六人は乗れる馬車だが、乗っているのは私だけである。


「ソフィアーナ様! それでは、出発いたします!」


「はーい。お願いねー」


 返事をすると、御者が手綱を引いて馬車を引く馬を歩かせた。


 ガタンと音を立てて馬車は動き出し、地面の形状に合わせて、室内に振動を与える。以前の記憶より、馬車の揺れや制動はかなり良くなっている印象を受ける。


 王都の学院に通うようになり、歴史の資料を次々に調べて回った。大陸の名は同じなのに、知らない国の名ばかりだと思っていたが、なんと前世の記憶は七百年以上前のものだったのだ。


 前世の私はその時代の聖女だった。先代の聖女が生まれた地から離れた小国の為、国を挙げての盛大な祝いを行ったそうだ。


 聖女が生まれると、その地では魔獣の被害が減り、疫病も流行らなくなる。そして、聖女による癒しの力により、王族や貴族は怪我や病で死ぬことが減る。


 そういった事情もあり、聖女が生まれた国の近隣も僅かながら恩恵を受けることが出来たのだ。


 同盟を結び、それなりの対価を支払えば、聖女の治療を受けることも可能なのだ。大半の国がその恩恵を受けようと躍起になるものである。


 ただ、中には過激な選択をする国もあった。それが、聖女の略奪である。


 前世の私も、そんな憂き目に遭ってしまったのだ。私の住む国が発展する中で、元々敵対していた国は年々経済状況が悪くなり、更には疫病に祟られた。

 

 衰退していく内に、その国の王は聖女を略奪すると決めたのだった。


 そうして、私は何も知らずに騎士団に連れられて他国へ移動する道中、一万を超える軍勢に襲われることとなる。味方の騎士団は僅か二千程度。通常なら十分な人数だが、一万を相手には出来なかった。


 このままではなす術なく連れ去られる。恐怖で震えていた私に、騎士団長は涙を流して謝罪をした。


 そして、私の心臓を剣で貫いたのだ。


 口の中に血の味が広がり、指先から力が抜けて、座った格好から横向きに寝るように地面に倒れこむ。


 耐えられないほどの痛み。そして、段々と痛みが失われていくごとに寒くなっていく。痛みが熱を奪っているかのようだった。地面に倒れて、小さく呼吸を繰り返す私を見て、騎士団長は嗚咽した。祈るように胸の前で自らの手を握って私を見下ろしている。


 聖女を敵国に奪われるくらいなら、いっそ……そういう気持ちだったのだろう。


 だが、私の気持ちはどうなるのか?


 聖女という役目に、好きで就いたわけではない。なんなら聖女にならなければと何度思ったことか。


 待遇は王族と同等だ。王国の予算も特別に割り当てられ、どんな贅沢も許される。


 しかし、どんな宝石をもらっても、どんな城に住めたとしても、自由には敵わない。私は、聖女として過ごした日々でそれを痛感した。


 自らの住む国や他国を合わせて、様々な王侯貴族が私を訪ね、恭しく挨拶をし、多くの金銀財宝、美しいドレスなどを置いていく。


 誰もが羨むような扱いだ。しかし、王国にとっても、他国にとっても、私は聖女というモノでしかなかった。ただただ効率的に聖女を使う為に、私のご機嫌をとっているだけなのだ。


 どこに行くのにも許可が必要で、必ず騎士が二人以上付いて移動しなくてはならない。他国の王侯貴族と頻繁に会う為、教育はしっかりと受けてきたが、全て一対一での教育であり、同年代の友人など出来たこともなかった。


 それが普通なのだと自らを納得させながら生きてきたのに、最後は味方だと思っていた騎士団の手によって死んだ。


 これが聖女の運命だというなら、私は聖女になんてなりたくない。


 そんな想いを神様が叶えてくれたのか、私は既に聖女が生まれている時代に平和な国の貴族の令嬢になることが出来た。


 まるで前世の時間を取り戻すように、平和で楽しい日々だった。


 不意に馬車が一度だけ縦に大きく揺れて、思考が中断される。もう三年も通ってきた学院の近くの通りには、少し大きな段差がある。そこを馬車が乗り越えたのだろう。


 過去を思い出してしんみりしていると、いつの間にか学院のすぐそばまで来ていたのか。


 そう思って、窓を開けて顔を出して前方を見た。まるで城と見紛うような大きな建物だ。屋根は尖った円錐状で、尖塔も幾つも建ち並んでいる。


 城との違いは城壁が無いことだろうか。学院の周囲は巨大な公園のようになっていた。噴水と小さな小川が流れ、木々や生垣、花の庭園が周囲を囲んでいる。


 街の中心を通る大通りから学院の敷地に入ると、緑が一気に増えて空気が変わった気がした。


「ソフィアーナ様ー。もう着きますよー」


 御者からそう言われて、そのまま返事をする。


「はーい」


 返事をしつつ庭園の景色を眺めていると、少し離れた場所を流れる小川の方で手を振る少女達がいた。


「ソフィアーナ様ー!」


 赤い短めの髪の少女が手を振りながら私の名を呼ぶ。学院の制服である黒いブレザーと眺めのスカート、白いリボンと黒い靴というセットを着込んでいる。男爵家令嬢のベルティラ・デイ・ボレットだ。シンクレア伯爵家の派閥に入っている地方貴族のボレット男爵家の次女である。


 ベルティラは同級生であり、同じ地方の出身ということもあり、入学時から仲良くしていた。


「ごきげんよう、ベルティラさん?」


「え? ソフィアーナ様、また変なことを始めました?」


 久しぶりだから淑女として優雅に挨拶をしてみたのだが、ベルティラはあろうことか懐疑的な目でこちらを見てきた。友人ながら失礼なやつである。


「私はいつでも淑女として正しくあろうとしていましてよ?」


「うわー……今回はまた変わった方向に……」


「なにか、失礼なことを言っていませんか?」


「な、なんでもありません……!」


 ベルティラに聞き返すと、慌てた様子で首を左右に振った。他の学友を連れてこちらに歩いてくるベルティラに、首を傾げつつ口を開く。


「皆さん、ずいぶん早く学院に戻ったのですね」


 そう尋ねると、ベルティラは目を何度か瞬かせてから答えた。


「え? 夏休みは昨日までだったので、どちらかというとソフィアーナ様が遅刻されたのだと思いますが」


「あら、まぁ……え? 昨日? いやいや、そんな……」


 ベルティラの言葉に思わず狼狽してしまう。淑女にあるまじき態度だ。冷静にならなくてはならない。淑女たる者慌てず、常に余裕を見せなくてはならないのだ。


「……そ、そそそ、それで、皆様は今日は午前中に学院の始業式を?」


「はい、そうですよ」


 あっさりと肯定されてしまった。なんてことだ。


「……皆様。ちょっと先に学院長に挨拶に伺って参ります。土下座……いえ、少しお話がありまして……」


 そう告げて、私は寮ではなく学院長室へ向かうことに決めた。

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