第35話

魔法の触媒を秘密裏に購入させてもらうため、この街の有力者の娘であるフレデリカに紹介状を書いてもらった相手が……"フータース"を経営する商会の会長の娘であるウェンディ氏だ。


その名を自称するのがこの応接室まで俺を案内してきた眼の前の女性であり、ややタイトな女性店員の制服でスタイルの良い身体のラインを見せている。


当然、ここで出てくる疑問は1つだ。



「……貴女は本当にウェンディさんなのか?」



イリスは本人だと認識しているようだが、それはどうやって確認したのだろうか?


そう思っていると、自称ウェンディ氏が口を開く。



「ここまで警備の者に止められていないでしょう?」


「商会の関係者だからでは?」



そう聞き返すと、自称ウェンディ氏は首を横に振る。



「この階に普通の従業員が来ることは基本的にないのです。来るとしても役職に就いている者が必ず一緒で、その役職も含めて警備の者に確認されます」



警備員が共犯であれば意味のない制度のような気がするが……現実としては警備員全員が共犯でないと成立しないか。



「なるほど。そうなるとこの階の掃除などは……」


「ああ。そういったことはここの従業員ではなく、家で雇用しているメイドが担当しております」



この階だけは特殊な扱いであるらしい。



「そうでしたか。ああ、疑って申し訳ありませんでした」



よく考えれば、関係者しか立ち入れないであろう階で全身を鎧で覆った者を連れ回しても止められない立場なんてそうそうないよな。


そう考えて頭を下げた俺に、ウェンディ氏は若干慌ててそれを止めさせようとする。



「あっ!いえ、こちらが余計なことをしたせいですので!」


「そこについての否定はできませんが……そもそも何故そんな格好を?」



頭を上げてその点について言及すると、彼女は懐からとある封書を取り出した。


開封済みのようだが……え、今どこから出した?


キツめの制服にそんな物を隠す場所はないはずだが……


そんな疑問を他所に、ウェンディ氏は変装の理由を説明する。



「フレデリカさんからの紹介状なのですが……貴方は1日でも結構な成果を上げられるそうで、気に入られておいて損はない、と」


「え?こんな大きい店を構えるぐらいの、大きな商会のお嬢様なんでしょう?そんな媚びるような真似をしなくてもいいのでは?」



商会全体の規模は不明だが、土地が限られている街の中でこれだけ大きな店を持つ商会の会長の娘となれば金に困ってはいないだろうし、俺に媚びを売る必要はないはずだ。


フレデリカは紹介状に何と書いていたのだろう。


顔を見せていない俺の正体には触れてこないし、その辺りについてもどう伝えられているのかが気になるが……紹介状の確認をさせてもらうことが非常識扱いだったりすると不味いかな。


そんなことを考えて聞いた質問だったが、彼女は再び首を横に振る。



「いえいえ。利益は最終的にお金へ繋がりますが、何をきっかけにそこへ繋がるかは様々です。その上でわざわざフレデリカさんがこうしてご紹介なさるということは、貴方には特別な"何か"があるということでしょう」


「単に多くの魔石を稼いでくるというだけで、それで彼女が支援する孤児院の運営が楽になるから俺達が稼ぎやすくなるようにしているだけだと思いますが」


「それだけでも、その孤児院へ便宜を図っている私には利益となるのですよ。まぁ、他の女性店員と同じように印象を良くしようとしている、ぐらいに思っていただければ」


「こちらが取引をお願いする立場なのでそんなことをされなくても……」


「それならそれで、そちらが私に何らかの形で便宜を図っていただければそれが利益に繋がるかもしれませんから……やって良かったということですね♪」



そう言ってニコリと微笑むウェンディ氏。


つまりこれは……ダンジョンで金目の物を入手したら、"フータース"に優先して卸してくれということだろうか。


いやまぁ、イリスが必要としている解呪のマジックアイテム以外は割とどうでもいいので……



「状況によりますよ?」



とだけ言っておく。


その答えに彼女はイリスの座るソファを指して着席を促す。



「ええ、わかっております。では本題に入りましょうか」





お互いの格好はそのままに、本題である商談に話を移したウェンディ氏だったが……交渉内容自体はそこまで複雑ではなく、使える金で買えるだけの触媒を、受け渡し役のセリアへ届けてもらう話はまとまった。


イリスが必要とした触媒は火と水の物だけだったのだが、部外者に中を見られた場合のことも考え、セリアの練習用という建前のために土と風の魔法で使う触媒も少量を買っておく。


実物を見ずに話をまとめたが、それは有力者の娘であるフレデリカの紹介で来た客だから低品質な物は出さないだろうし、ウェンディ氏が品質を管理する部署の部長とあって品質には自信があると言っていたからだ。


わざわざ宅配してもらうということが不自然でない量を指定したので荷車までを買うのは難しく、価格の相場を聞くだけに留めて自分で作ろうと考えている。


その中で、食料の発注がなかったことに疑問を持たれた。


まだそこまで金に余裕があるわけではないので、それらは"紛い物"で作成してしまおうと考えたのだが……荷車を発注しようとしたぐらいなのでなるべく奥までダンジョンを進むと考えられ、それ故食料の注文がないことを不自然に思われてしまったのだろう。



「本当に食料はよろしいのですか?」


「ええ、今のところは。もっと奥へ進むようになったらお願いするかもしれませんが」


「そうですか……あの、もしかして他に贔屓の商会がおありですか?」



今後は自分の店は贔屓にしてほしいからか、たまに視線を感じていたであろう胸を寄せ、そこを強調しながらもやや鋭くした目で聞いてくる。



「いえ、そういうわけでは。この街に来て間もないので」


「あら、そうなんですね。ではこれからご贔屓に♪」



俺の答えに視線が和らぎ、同時に寄せられていた胸が開放されて柔らかそうに揺れる。



「……まぁ、可能な限りは」


「もう……」



その様子に隣で呆れているイリスだったが、ウェンディ氏はそんな彼女へ目を向けて質問する。



「あの、モーズさんとはどういったご関係ですか?」


「え?あー、えーっと……」



俺との関係を問われ、チラチラとこちらを見てくるイリス。


簡単に言うと身体による雇用関係になると思うが、知り合ったばかりの相手には言いづらいか。


それに……詳しい事情を説明するとイリスの事情が知られるかもしれず、そうなると解呪のマジックアイテムを欲していることまでバレてしまう。


"フータース"に在庫があるとしても彼女には取引の記録を残したくないという事情があるので、高価であると思われる品は必ず取引の記録が残るだろうから譲ってもらうことは出来ない。


そもそも、貴族のお嬢様が呪われたこと自体を秘匿したいわけだから、解呪のマジックアイテムを欲していること自体を知る者は極力抑えたいはずだしな。


それ故事情を話す意味はなく、詳しい事情を伏せたまま俺達の関係を表現すると……



「まぁ、ダンジョンで協力する程度の関係ですね」


「うぅ」



俺の答えに残念そうな反応を見せるイリスだったが、下手に深い仲だと思われるのもよくはないからな。


万が一その情報が流出して、俺を操るために彼女が人質に取られる可能性がないとは言い切れない。


自分を過大評価しているようで複雑な心境だが、可能性としてはあり得るから仕方ないよな。


なので、俺としてはなるべく浅い関係だということにしておきたいのだが……本人はご不満のようである。


イリスの触媒を確保するためにこうして骨を折っているわけだから、それなりには気を遣っているとわかるだろうに。


これは宿で必要があるか。



「そうですか……ああ失礼、余計なことを聞きましたね」



そんな俺達の様子にウェンディ氏はそう言うと、早速手配するということでその場は解散となった。




解散後、俺とイリスは"フータース"の店内を一通り見て回ることにした。


イリスもエレベーターを使ってもらったそうで、店内をあまり見ていなかったらしいからな。


5階は事務処理や商談用の部屋らしいのでスルー。


3、4階は武器や防具に工具などが置いてあり、店員に聞くと複数の鍛冶屋から仕入れている商品なのだそうだ。


特に欲しい物はない……というか人目に触れる物でなければ自分で作ってしまえば良いので、デザインだけをざっと見る程度に留めておく。


2階は衣料品のみのようで、新品と中古が2対8ぐらいの割合で分けて陳列されていた。


大きい店ではあるが高級店というわけではないので、需要の高い中古の服が多いのだろう。


店によっては買い取った物をそのまま店に並べることもあるそうだが、ここでは必ず洗濯してから店に出すらしく、それでも値段の設定は普通の範囲なので人気があるらしい。


だからか、買う買わないは別として見て楽しんでいる女性客が結構多いのだが……その中に見知った顔を見つけてしまった。


泊まっている宿、"牛角亭"の従業員であるリンナだ。



「うーん……ん?」


「っ!?」



ハンガーに掛かっていた2つの服を見比べていた彼女だったが、不意にこちらへ目を向けてきた。


俺に気づいたのかとも思ったが、"モーズ"としての姿を見られたことはないはずだ。


つまり、この鎧姿が目立っていて、それが視界に入ってきたからこちらを見ただけだろう。


なのですぐに視線を手元の服へ戻すはずだと考えていると……彼女は服を戻してこちらへやってきた。


そんな彼女を見てイリスが反応する。



「知り合い?」


「宿の従業員だな。この姿で会ったことはないはずだ」


「え、じゃあなんでこっちに?」


「わからん。偶然かもしれないし、俺に用があるとは限らないが……声をかけてきたらイリスが対応してくれ」


「わかったわ」



宿の従業員なら話したことがあり、声で俺が"コージ"であるとバレてしまうと容易に想像できたイリスはすぐに承諾する。


他の女と一緒に居るところ自体は見られても構わないが、現時点では"コージ"と"モーズ"が同一人物であることは隠しておかなければならないからな。


なんとか最低限の対応をできる態勢が整った俺達の元へリンナがやって来た。



「あのー……」


「な、何でしょう?あっ、こちらの男性はちょっと事情があって声を出せないのですがっ!」



緊張してか、聞かれてもいないことまで喋るイリス。


フレデリカのときもそうだったが、こいつはテンパると口が先走るのだろうか?


今後のことを少々不安に思っていると、イリスの言葉にリンナが返す。



「は、はぁ。いえ、貴女の方に話……というか確認があって声をかけたのだけど」


「え?私?」


「ええ。貴女、2,3日前に1人でこの街に入って来てたわよね?その、変な男に引っかかったりしてない?」



どうやら、リンナは1人だったイリスを気にかけていたらしい。


実際、思いっきり引っかかって危ない目に遭っていたので、その心配は的確だったのだろう。



「あ、ああ!大丈夫です!宿で街のことを色々聞きまして、も買いましたし!」



そう言ってイリスは首に巻かれた赤いスカーフを指さした。


この街で、を受ける気がないということを表明する印だ。


それを見て、リンナは幾分安心したようではあるが……俺をチラチラ見ながら言った。



「それなら良いんだけど、その……そっちの人はこの街で知り合ったの?大丈夫な人?」



一応、俺に聞こえないようにかイリスの耳へ口を寄せて聞くリンナ。


すぐ近くに居るのであまり意味はないのだが……そんな彼女にイリスが返答する。



「大丈夫です。危ないところを助けてもらって、それがきっかけで今後は力を貸してもらえることになりまして」


「そうなの?でもその、変なこと要求されたりとかは……」


「あ、それは大丈夫です!」


「あぁ、そうなのね」



イリスの返答に再び安心したようなリンナだったが、続く彼女の言葉で俺に視線を突き刺した。



「むしろ私から望んでるぐらいですから!」


「……この人口が聞けないのよね?どうやってを要求したのかしら?」



視線をイリスに戻したリンナは、イリスが俺と肉体関係を持つに至った経緯を尋ねる。


口が聞けないとなると行動で示すことになるわけだし、筆談という交渉手段もあるが……力尽くで文字通りにのではないかと疑ったようだ。


そこまで細かく打ち合わせはしていないので、イリスがどう答えるかが心配だったが……彼女は事実をそのまま話した。



「私が彼の力を見込んで、繋ぎ止める手段として自分から要求したことですから心配ありませんよ」


「そ、そう?なら良いんだけど……」



笑顔で堂々と言うイリスに納得できたのか、落ち着いたリンナは俺に頭を下げる。



「すみません。色々と失礼なことを言いましたが、彼女のことは気になってましたので」


「……(フルフル)」



悪気がないのはわかっていたし、いざというときにはイリスに協力してくれそうな人が見つかったので俺は気分を害されたとは思っていない。


そんなわけで首を横に振る俺だったが、リンナは周囲を見回すと……不意に、服の胸元を指でグイっと引き下げた。


今のところゴムが実用化されている様子はなく、その服の胸元は普通の布で伸び縮みはしないので、無理矢理引き下げた形となったそこのが溢れそうに盛り上がっている。


その行動の意味を問いたいところだが、口は聞けない設定なので俺は彼女の胸を指で指しながら首を傾げて見せる。


その疑問を察したリンナが、自分の行動の意図を説明した。



「その……もしも先程のことで気分を害されたり、それで彼女への協力を惜しまれるようになったら双方に申し訳ないので。触っていただいても良かったのですが、防具の上からでは触っても楽しめないでしょうからこうしてお見せする形にしました。お望みでしたら一晩無料でさせていただきます」



自分の発言で、俺からイリスへの協力がなくなるのは不味いと判断してのことのようだ。


なら、下手に首を突っ込まなければいいだろうと思うのだが……身体でなんとかなるのなら、と考えたのか。


彼女は身体を売っていて結構な人気ではあるらしいし、それならば男には通用しやすいと思ってもおかしくはない。


実際、ある程度の怒りがで収まることはあるだろうしな。


ただ、正体を隠している俺がそれを受けるわけにはかないので再び首を横に振ると、リンナは好みの問題かと聞いてきた。



「えっと、私がお好みではないというのであれば職場の他の娘をご紹介しますが。もちろんお代は私が」


「……」



そういう問題ではないのだが、理由を話すわけにもいかないので……俺は隣のイリスに手を伸ばし、腰に手を回して抱き寄せると下腹部を軽く撫で上げる。



「んっ♡んんぅ……♡」



こいつが居るからいい、とでも言いたげな俺の行動でそんな声を漏らすイリスの表情を見たリンナは、納得したように頷いて服の胸元を直した。



「なるほど、余計な気を回していたようですね。ではそろそろ仕事の時間なので失礼します」


「あ、お気遣いありがとうございましたぁ♡」



すっかりヤる気のイリスがそう言うと、リンナは



「いえ、お幸せに♪」



などと言って去っていった。


結婚でもしそうな言い方だったが、恋人にすらなる予定はないのに。


そう思っていると……イリスが耳元に口を寄せてくる。



「部屋、行きましょ♡」


「まぁ、粗方の用事は済んだし……いいか」



というわけで、"フータース"を出た俺達はイリスの宿へ向かうのだった。

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