ねこばぁすba

狐木花ナイリ

卑怯猫

 読み終えた小説を睨んだ。先輩が俺の為にと買ってきてくれたライトノベル。自身を社会不適合だと吐露した作者に。

そう騙った作者に浅はかな不快感と中途半端な嫉妬を覚えて自分の前のローテーブルを殴る。

そうしようとして、止めた。

それは、先輩がどうしてこの本を読ませたのか、想像したからだ。

 俺みたいな社会不適合者が、社会に出ている先輩の気持ちを想像したところで、ただの妄想に過ぎない、そう分かっているのだが、それを理解した上で、妄想をするというのが、俺の社会不適合者たる所以だった。

 気が付く。

 同じ社会不適合者の中にも社会に貢献する(少なくとも自分には貢献してくれた)人間と何もやらないゴミ人間がいる事に。

「これ、前にもやったな」

 同じ事を今まで何度考えたかも分からないが。

 何度実感しても、それをどこかに放り投げて忘れ、それを繰り返すのが俺だった。

 日記を書こうとしても、続かず。学ばない。

 何をやっても成長しない。


 だから、いつまでも子供なのだ。

 だから大人になれない、だからといって子供のままで社会に貢献できるかといえば、出来ない。もちろん死ねない。死ぬ勇気、覚悟というものが自分の中には存在していないから。だから、それは自覚している。

 もう一度、机を殴ろうとソファから立ち上がる。

 拳の下──白いローテーブルの上に猫が飛び込んできた。

 ウチの家の猫だ。元は野良だったのを、先輩が一年前くらいに拾ってきた。それから半年程度、俺がこの猫の躾というものをやった。

 猫の躾なんてのは何の取り柄も無い俺には、当然のように向かない役割で、その期間、地獄を過ごした。

 俺もこの猫も先輩のヒモであるが、ヒモの先輩である──俺はコイツにこの家での生き方を教えた。

 辛かったが。俺が身勝手に苛立った時。コイツを殴ろうとする時。必ずコイツはヒュイっと避ける、避けてくれる。それに救われた。だから浅はかな地獄に耐えられた。

 だから、このままテーブルを殴っても良いはずなのだ。そのままテーブルに拳が届くはずだから。


「──でーまー」

 先輩が帰ってきた。何か大きな荷物を両手にぶら下げていた。ラフなスーツを着た先輩はそれを机の上にのせる。

 俺はそれをソファに座って見つめていた。

 玄関まで行って、運ぶのを手伝えば良かったなんて、考えたけれどもう遅い。

 俺のいた寝室兼居間の電気を点けて先輩は言った。

「良いもん買ってきた」

 先輩は、俺と猫の為に、毎日働いている。二十五歳の引き籠もりニートの為に、働いてくれている。家族という訳でもないのに。

「水要る?」

 大きな箱型の荷物の入った黒いビニール袋の中から、ペットボトルを取り出す先輩。そういえば二時頃に起きてから、一度も水を飲んでいなかった。猫の水は変えたが。

「あざす」

 ヒモらしからぬ態度(どんな態度だ)で水を受け取り、体に流し込む。

「今日何時に起きた?」

「二時」

「ほおか」

「一時には寝るように、しているんですけど」

「まあ、しゃーないね」

 優しい先輩。というか、優しさではなくただの甘さだった。咄嗟に優しいなどと思ってしまう自分を殴りたくなりながら又、ペットボトルを啜った。ひとつため息をついてから、先輩の発言を掘り起こす。

「それで、何ですか?良いもんってのは」

「あー、それね」

 ガサゴソとまた袋から、先輩の細腕を二本使ってやっと持てるくらいの箱を取り出す。

 俺が取り出すべきだった。俺が持ってあげるべきだった。が、もう遅い。

 先輩が袋から取り出した、黒い立方体のダンボール箱は。直ぐには読めない英語の白抜き文字が目立つように描かれている。その英語の意味を考えるよりも前に先輩が正解をくれる。

「じゃじゃーん。『メタバーストV』!」」

 魔法の呪文のような名前をした、そのおもちゃ。

「ゲームじゃないすかぁ」

『メタバースト』。一度は聞いた事があった。SNSで、中学時代に読んでいた漫画の作者が、VR世界の写真をアップしていた。確か、好きなキャラクタになってその世界を自由に渡れるゲーム。

 俺もやりたい!なんて事は思わなかった。そんな事を思って良い資格がない。

 娯楽はスマホと、先輩の買ってきてくれる小説で十分足りていた。

「それは無印の方。これは、『V』だよ、真作だよ。もっと、ニュース見ようぜ。時間はあるんだから」

 先輩はテレビを指差しながら、時間はあるんだからと言った。その言葉にナイフで刺される幻覚が見える。しかし、先輩がどういう意図でそれを言ったのか、考えてもただの妄想にしかならない。ただの冗談かもしれないから。

「……うす。それで、コレはどういうものなんで?」

「コレはね。視覚だけでなく、他の五感も奪って貰えるんだよ。完全なるVR──完全なる仮想現実、仮想世界にいける代物だよ。そこで、私達は猫になれる」

 おそらくそのゲーム機の売り文句であろうものを語る先輩。なんとも薄っぺらい言葉だと感じたが、最近はこういうものも現実化してくる時代なのだろう。

「へぇ。凄そうすね。でも、この世界が誰かに構築された世界なのに、また誰かに造られた世界に行くんですか?」

「はいはい。冗談、冗談」

「はは、もちろん冗談す」

「それで。これを君とやりたくて」

「良いんすか」

「今更じゃん。一緒に猫になろうぜ!」

「……うす。やらせて頂きます」

「その前に飯を食おう」

「手伝います」

「珍し」

「そんな事ないっすよ」

 野菜炒めとタコの入った出汁巻き。それと味噌汁。当然、タマネギ入り。

 先輩(と俺)は、猫になったら食えない物を用意して。舌が灼けるくらい熱いコーヒーを流し込んで。

「別にゲームの中では、猫になってもチョコ食べれるんだけど。まあ、なるべく食べたくないよねって事で」

「はあ、まだ実感湧いていないんですけど、早くやってみたい。猫になってみたい訳では無いすけど…」

 枕元に積まれている本の山からタッパーを取り出して。

 先輩手製の栄養クッキー(チョコ味)を食べて。

 皿も片付けずに。

 ベッドの上に二人並んで寝転んで、重いヘッドギアを頭に付けた。









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