紅葉と孤独
しゃぼてん
紅葉と孤独
駅前のゆるやかな坂道の両側はこじんまりとしているけれど美しいオープンモール型のショッピングセンターとなっている。平日の夕方はこの坂の上にある女子大学のきらびやかな女子学生が川のように絶え間なく駅へと流れ降りていく。だけど休日の今日は、このテラスのある通りや2階の通路、いたるところを家族連れと夫婦やカップルが歩いていた。冬のイルミネーションで、街路樹は電飾で飾られ、通りの端には小さな家の形をしたライトが一足の間隔で置かれている。それが一層この通りを家族のための場所のように輝かせていた。
このショッピングセンターにはあちこちに洒落たテーブルや椅子が置かれた休憩スペースがある。僕は建物の中二階にぽつりぽつりと並ぶカラフルなプラスチック椅子の一つに座り、眼下の通りを行き交う人たちをなんとはなしに妬みながら眺めていた。
親類縁者の一人もいないこの都市にやってきて何年かが経ったけれど、いまだに僕には会社の同僚以外に知人もいない。この大都市のはずれで仕事を得てからは経済的には安定していて、快適な1LDKに住んで食べたいものを食べて暮らせる、幸せな生活を送っていた。ただ、友達も恋人もいないだけで、他には何も不満はなかった。僕にとっては十分夢のような生活だったけれど、こんなショッピングセンターの中にいると、寂しく思うようになる。
家族がほしい。でも、ほしくない。やたらと自殺者と精神不安定者の多い家系に生まれた僕にとって、家族とは愛情で縛り付けながら互いを傷つけあうような存在だった。死ぬだの殺すだの、そんな言葉を吐きながら、包丁を突きつけたり自分を切りつけたり。そんな家族がいるくらいなら、一人の方がずっと楽だ。
僕はスマホをとりだし、ゲームを起動した。僕の目がスマホの画面に釘付けになっていた間に、隣の椅子に人が座った。
「兄ちゃん」
突然話しかけられて、反射的に顔をあげると、隣の席にはどことなく薄汚い50代か60代くらいの男が座っていて、僕の顔を覗きこむように見ていた。
「兄ちゃん。そこの植物園の紅葉見てきたかい?」
男は坂の上の方角を指さしながらそう尋ねてきた。そういえば、たしか今日まで、坂の上にある植物園で紅葉のライトアップをやっていた。
「いいえ」
「見てきなよ。あの紅葉は、赤いのなんの。なんせあの山は人の血を吸ってんだから、他とは違うんだよ、あの赤さは」
「人の血?」
「ほら、今年も二人分骨が出ただろ?」
「ああ、植物園近くで発見された白骨死体のことですか? 6月のニュースは知ってますけど。他にもあったんですか?」
坂の上にある動植物園は、近隣では自殺者が多いことで知られていた。今年の6月には、植物園を散策していた人が腐敗臭に気がついたことから遺体が発見された。というニュースは、僕も知っていた。
「先月も見つかったよ。あの山はよく死ぬんだよ」
「らしいですね。たしか、前にも駐車場で自殺者がでたとか」
「動物園の方のな。首にロープまいて車でガーっと行っちゃってさ。あれは、だめだね。山の栄養にゃならないよ」
話していて不快になったので、僕はスマホの画面を消してポケットの中にしまった。僕が立ち上がろうとした時、男が僕の前に500円玉を差し出した。
「ほら、入園料やるから、行ってきな」
僕は反射的にその500円玉を受け取ってしまい、即座に後悔した。
「いりません」
返そうとすると、男は不機嫌な口調になった。
「いいから、行って来いって。その前の坂あがったところに入り口あるからよ」
無理に500円を返そうとすれば、ケンカになりそうだった。僕は仕方がなしに不愉快な500円玉をにぎりしめ、坂の上の植物園の入り口に向かった。
期間限定の紅葉ライトアップを見るためにイルミネーションで飾られた坂道をたくさんの人が上がっていく。その中のひとりになって、僕は植物園の入り口まで流れていった。500円で入場券を買い、ようやく忌々しい500円玉から自由になった解放感とともに僕は植物園の中へ入った。
植物園の中は人でいっぱいだった。いつもは人とすれ違うことすらあまりない植物園内の道が、自由に歩くことすらできないほどに人で溢れている。全く知らない無数の他人の頭ごしに見える紅葉は、たしかに美しくライトアップされていた。薄緑から黄色赤へと美しいグラデーションを見せる木立は、たしかに来てよかったと思わせる。だけど、あの薄汚い男が言っていた赤い紅葉はこれではないだろう。規則正しく制御された煌めきを見せる石灯篭を人混みの向こうに見ながら、僕は探していた。人の血肉を吸った怪しい美しさがどこにあるのかと。
やがて僕はそれを見つけた。池のほとりの合掌造りの家を通り越したあたりに、人だかりができていて、人々がスマートフォンやカメラを向ける先に、一際紅い椛が一本佇んでいた。その赤い赤い紅葉を見たときに、僕は唐突に世界が真っ暗になった気がした。停電でも起こったのかと思ったけれど、血を吸ったように赤い椛は相変わらず妖しく光に照らし出されていた。
その赤さに吸いこまれそうだと思った瞬間、僕は気が付いた。周囲から、人が消えていた。この道を埋め尽くしていた沢山の骨と肉と髪と衣服が総て消えていた。僕は全く一人きりだった。
突然、僕はこの山で孤独に死んでいった男達のことを思い出した。恐怖に襲われ、僕は赤い椛から逃げるように誰もいない夜道を走りだした。そこは池のほとりの道だった。赤く色づく木々の間から、ガラスのような池の水面に美しい紅葉の木々が反射し、そこに月が一つ映るのが見えていた。
恐怖から逃げようと走り続ける僕は、気が付けば池の周りを廻っていた。次第に合掌造りの家の茅葺屋根が近づいてくる。このまま進めば、池を一周してまたあの赤い椛の所へ戻ってしまう。それを避けるため、僕は合掌造りの家に続く階段を駆け上がった。
古民家の縁側の戸はすべて開け放たれていて、囲炉裏のある室内がのぞいていた。囲炉裏の周囲の畳に男達が静かに座っている。彼らは大抵が四十から六十代くらいだろう。幾人もいながら、誰からも孤独な気配が漂っていた。彼らは椀を手に持ち囲炉裏の鍋からすくった何かを啜っていた。そのうちの一人が僕に気が付いた。
「ああ、来たのかい。独りで寒いだろ。あんたも入りなよ」
その優しげな男の顔からは、陰鬱な孤独と静かな絶望が滲み出ていた。馴染のある感覚にとらわれながら、僕はこの場所に集う男達が死者だと悟っていた。
僕は死に、彼らの内の一人になるのだろうか。そう考えた瞬間激しい発作のような恐怖に襲われ僕は後ずさりをし、「まだ死にたくない」とつぶやきながら走りだしていた。夢中で僕は水車小屋の脇を抜け、すでに通った道への合流点、あの赤い椛の方へと走っていた。赤い赤い椛は僕を待っていた。視界いっぱいに血で染まったように赤い葉が広がっていく。
「まだ死にたくない」
僕が自分のつぶやき声に気が付いた時、周囲には沢山の人がいた。僕は顔と手に、冷たく硬い小石と土があたっているのを感じ、目を開けた。僕は椛の前の人だかりの只中に伏していた。僕を囲うように避けるように、大勢の他人が立っている。「あの人大丈夫?」と小さな子供が親にたずねる声が聞こえた他は、誰も僕に声をかけはしなかった。僕は立ち上がり、顔と服についた砂利を払い、何事もなかったふりをして、人波に紛れて独り紅葉の道を歩いていった。
紅葉と孤独 しゃぼてん @syabo10
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