范雎伝 ~『ざまぁ』の語源は、本当はこんな意味だったの知ってる?~
高坂シド
第1話『ざまぁ』の語源
昔、中国の
范雎は
須賈は范雎を
結果として、范雎は
范雎は
秦の
「秦は今、(近くの)
これを
その范雎の進言を受け入れた昭襄王は、范雎を現代日本の総理大臣ともいえる
あるとき、魏は秦が自分達を討とうとしているという噂を聞きつけ、須賈を秦に停戦の使者として出した。
須賈が秦に来ると聴いた范雎は、わざとみすぼらしい格好をして、須賈の前に現れた。
「生きておったのか、范雎よ。それにしても、そなたの才があったとして、なんとみすぼらしいことか」
そう言って
「ところで、私は秦の相国の張禄さまに話がある。何とかツテはないものか」
「私の主人は張禄さまと仲良くさせて頂いております。私が言えば、何とかなりましょう」
ふたりは馬車で席を同じくして、
「少しお待ちくださいませ。取り次いできます」
そう言って范雎は、
しかし、須賈が待てども暮らせども、屋敷に入って良いという合図はいつまで経っても来ない。
業を煮やした須賈は門番に
「おい、范雎は何をしておる!?」
「『ハンショ』とはだれだ?」
「先ほど、私の使者として張禄さまのお屋敷に入っていったやつだ」
「何を言っておる? あの方が張禄さまではないか」
「な、なんだってー!?」
「おまえ、同席しておきながら、知らなかったのか? なんとも間抜けな奴だ」
須賈は
「昔、ご無礼があったことを平に陳謝いたします」
もちろん、魏への
「貴様の罪は許せぬが、絹の衣服をくれた恩がある。そのことに免じて、話を聴くだけは聴いてやろう」
と言うだけ言い、魏に侵略すること自体は
※※※※※
人々は、
そして、須賈の器量は范雎に及ばない二番目であることから、『
時は流れ、
中国と国交を持つようになった
今では、
それから、『カキヨミ』という小説サイトでは、それがイチジャンルとして取り上げられ、『ざまぁ』はある意味、一般市民権を得たのだ。
『
中身が空っぽのことを『スカ』とも言うが、それは須賈が
また、2月14日は、
2月14日に一瞬だけ燃え上がり、
そして一夜のお供をどうしても手に入れたい男性の間では、春を買うかどうか思い悩んで逡巡し、不届きな考えと良心の間で想いを巡らし
現在では『パパ活』とその名を変え、令和の私たちにも、実は范雎はとても
民◯書房刊『知らなかった! 君は知ってた? 史記?
范雎伝 ~『ざまぁ』の語源は、本当はこんな意味だったの知ってる?~ 高坂シド @taka-sid
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