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結論から言うと、イヴは人以外の物なら、ありとあらゆるものに興味を示した。
ブリキの人形は今も手に持っているが、エルマーとテムがリュックをひっくり返して中身を広げると、イヴの視線が動いた。ボール、帽子、フライパンや絵本、グローブ、小さな木剣、金槌、ドライバー、輪ゴム、縄、針金、リンゴ、パン等だ。
「なんていうか、もうちょっとなかったの?」ココロは眉尻を下げた。
「いや、持ち運べるのこれくらいしかなくてさ、ここ道きついし」
「わかるけど」
「足りない物は、あそこからラン兄ちゃんの置土産をチョイスしようと思う」
エルマーは工場を親指で指しながら言った。
ただ、その必要はないと思えるほどに、イヴはエルマー達の持ってきたものにじゅうぶん興味を示していた。
イヴはひっくり返された実験道具の山の傍でお尻を着いて座った。
ココロ達は、その様子をじっくりと観察、記録した。
イヴは地面に転がった一つ一つの物に触れると、数分間思考の時間に入り、その後ゆっくりいじる始める。
飽きると、持っていた物を地面に置き、次のものに手を伸ばす。
全ての形と感触を確かめているように見えた。
絵本に関してはページを破いてしまったが、捲り方のお手本を見せると、次からは紙を破かずにページを捲れるようになった。そこに描かれている絵を食い入るように見つめ、文字列を指で触れる仕草を見せた。ただ、『文字を読んでいる』わけではなさそうだ。おそらく、文字も絵の一部として認識している。が、学習能力は確実にあるように思えた。
ボールの投げ方、帽子の被り方、フライパンでのエアクッキング、リンゴやパンは齧って見せ、千切ったものを与えてみたが、口に入れたそれを、イヴはすぐに舌で押し出した。
また、動作を真似ることはできるが、真似が上手、というわけでもない。
ボールは手に持って落とす、帽子は頭に乗せる、木剣や金槌、フライパンは上下に振る。
小さな野球少女、小さなコックさん、小さな読書家、小さな大工、小さな戦士、何かを手に持って誰かの動きを真似るたび、ココロはシャッターを切った。
「興味深いな」
「ちょっと驚きだよね」
イヴがガラクタをいじっている間に休憩を挟み、遅めの昼食にした。
エミリが持ってきたサンドウィッチに、エルマーとテムが持ってきたリンゴとバナナ、スナック菓子、チョコバーと、オレンジジュースのパックを四人で分けた。イヴの習性について語り合いながら食事を摂っていると、気づけば傍にイヴが立っていた。
口を開き、ゆっくり閉じて、声を発した。
「食べたい、のかな」ココロは目を瞬いた。
「……もしかして、これか?」
エルマーが齧ったチョコバーをイヴの顔の前で軽く振ると、その指がぴくりと動いた。
ゆっくり動かしてみると、イヴの手がそれを追いかけた。
「食うのか?」
「さっきも思ったんですけど、感染者ってお食事するんですの?」エミリが訊いた。
「食べるとこはー、見たことない。果物とか見せても今までの人は無反応だったし、それにさっきはパン、舌で押し出してたし」
「なら、どうやって感染者の方々はお腹を満たしているんですの?」
エミリの素朴な疑問に、ココロはもちろん、エルマーも答えられなかった。
一度、感染者はそういった欲求をどう満たしているのか考えたことはある。が、そもそも感染者は眠らず、食事をしないというのは、誰でも知っていることだ。代謝を考えるとありえないが、そもそも老化しないという点で、感染者は謎に満ちている。
「……食べさせてみるか。一応、一通り」
「でもさっきパン出してたけど」
「じゃあパン以外だ」
「無理やりはかわいそうだからナシだよ」
「わかってるって」
「イヴじゃなきゃこんな実験出来ないね」
イヴとの距離をもっと縮める為に、四人は順番に食べ物を与えた。「あーん」を合図に開かれたイヴの口に、次々と食べ物を捻じ込んだ。しかし、租借はせず、口に入ってきたものを次々と舌で押し出した。
「味覚は、あんのかな?」
まず味覚があるか不明だ。
そもそも食事を摂る必要がないとなると、イヴが口に入ったものを反射的に押し出したのか、食べ方がわからないのか、気に入らないのかの判断も難しい。が、一口サイズにしたチョコレートと、飴玉は出さなかった。両方とも口の中で溶けるので、器官に詰まって窒息する心配もない。ただ、飴を口で転がしている時は、少しばかり表情が明るくなった気がした。
「次は、もうちょっと女の子が喜びそうなもの持ってくるか」
「エルマー達には荷が重いね」
「だからココロとエミリに任せるよ。俺達じゃ女物の服も調達できないしな」
イヴには好奇心があり、おそらく好みもある。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、五感がどの程度発達しているかはわからないが、ないということはなさそうだ。少なくとも、今まで出会った感染者より鋭い印象はある。
ココロはチョコバーを咥えながら、実験中に撮った写真を一枚ずつチェックし、眉を上げた。
「こうなってみると、ひとつ思うことがあるんだけどさ」
「お?」
「感染者って……なんで人を襲うのかな」
ココロのその疑問に、エルマーは神妙な面持ちになった。
「どういう意味ですの?」
エミリが訊くと、腹休めに寝そべっていたエルマーは身体を起こし、肩越しに後ろを振り返った。休憩を終えて絵本を読み聞かせるテムと、その声にじっと耳を傾けながら、絵本を見つめるイヴの姿があった。エルマーはそんな二人の姿に小さく笑むと、前を向いて、紙パックのジュースを握りつぶすようにして飲み干し、空になったパックを置いた。
「ココロの言いたいことはわかる。今までの感染者は、記憶や個性があることを匂わせる一方で、感染者である特性、習性が鳴りを潜めるってことは無かった。あくまでも記憶を刺激されて、人であった頃のように振舞うって感じだ」
「つまり、どういうことですの?」エミリは頭の上に疑問符を浮かべた。
「基本的に感染者は自身の意思で、自発的に行動を選択できるわけじゃない。人の上から感染者っていう特性と習性が上書きされてる。でも、イヴは違う、と思う。感染者として人を襲いたい衝動が実際にあったと仮定したら、今のイヴは、自制してるってことにもなる」
「それって、何かいけないんですの?」
「そうじゃないんだ。自制が利くってことは、イヴや俺達じゃなくて、イヴの体のなかにいるであろう病原体にとって好ましくない状態のはずなんだよ。人にしか感染しない、人を唯一の宿主としている病原体が繁殖し、その領地を広げる方法が、非感染者へ接触するしかない。だから、感染者が人を見ると襲う理屈はあってる、と思うんだ」
エルマーはそこまで言って、急にこの推論に筋が通らなくなったと、頭を掻いた。
「イヴだけが例外なんて、そんなことあると思う?」ココロは言った。
「イヴは今までの感染者とは違う。きっと、何か理由があるんだ」
「そういうことでしたら、思いつくのは二つですわね」
「二つも思いついたのか?」
エミリは頷き、指を二本立てた。
「一つ目は、感染経路が変わっている。例えば空気感染するタイプの菌で、そもそも人を襲う必要がない」
それならたしかに、いちいち人に噛み付く必要がないので、自分たちを襲わないことの説明はつく。
しかし、だとしたら――。
「それもう手遅れじゃない? あたしたち」ココロは苦笑いした。
「ですから、例えばの話しですわ」
「もう一つは?」
「あの子が感染者ではない、という可能性です。実際、そうであってくれた方がわたくしも嬉しいです。ああやってテム君と仲良くしている姿を見ると、余計にそう感じます」
そうであってほしいと願うように言いながら、エミリはテムとイヴに目を向けた。
テムが一生懸命イヴに本を読み聞かせ、言葉や、物語の意味を説明していた。
随分と熱心なその姿には、心なしかテムがイヴに好意を抱いているように感じられて、ココロ達はにやっと笑んだ。
「テムお前、熱心なのはありがたいけど、初恋がゾンビだけは勘弁してくれよ?」
「ち、違うよ!」
テムが顔を真っ赤にして慌てると、エルマーは意地悪く笑った。
「弟に春が来たか」
「初恋だとしたら、ちょっとかわいそうですけれど」
「だから違うってば!」
テムがムキになればなるほど、エルマーとエミリは面白がった。
「ちょっとさ、知恵借りてみない?」
「ああ、ラン兄ちゃんか」
自分たちに感染者の『いろは』を教えた人物だ。
イヴのことを話せば、何か知恵を貸してくれるかもしれない。
「わたくし、その方と会ったことがないのですけれど、どんな方ですの? 噂では相当な変人だと聞いていますけど」
「ひどい言われようだわ」ココロは苦笑いした。
「お父様には絶対に近づくなと言われて育ちました」
「魔物かよ」エルマーは小さく笑った。「俺達に色々教えてくれた人だから、あんまり悪く言わないでくれ」
そう言うと、エミリは素直に頷いた。
「失礼のないようにいたしますわ」
「二時四十二分か。今から急いで向えば、三時過ぎか四時前には着けるな」
エルマーは時間を確認すると、全員に仕事はいつから始まるか訊いた。
エルマーは現在無職、ココロは忙しくないので申請すれば休める、エミリはモデルの仕事は不定期なので休みのような状態で、テムだけがブラウニーの仕事で朝が早い。が、ブラウニーの仕事は朝が早い分、終わるのも速い。
「改めて考えると、あたしらってけっこう暇だよね」
「時間のゆとりは心のゆとりですわ。大昔の人たちが四六時中働いていたなんて、とても信じられませんわね」
「じゃ、ゆとりある時間を有効活用しようぜ。早速ラン兄ちゃんの所に行こう。イヴのこと、ちょっと相談してみよう」
エルマーは言うと、イヴの手を引いて歩いていたテムを呼んだ。
今日の実験はこれで終わりだ。
イヴにはまた、日をまたいで戻ってくることを伝えた。
視線だけがこちらを見ていて、頷くことも、返事もないが、伝わっている気がした。
今日持ってきた物は、イヴの為にそのまま置いていくことにした。
「退屈しのぎになるといいけどな」
「じゃ、またねイヴ、バイバイ」
四人が手を振って背を向けて歩き出した時、イヴは空いた手を上げて、応えるように小さく振っていた。
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