18
エミリはココロを小ばかにするような笑みを湛えたまま、足を交差させて両肩で風を切るようにして歩き、わざとらしく踵を鳴らした。ココロの正面で足を止めると、踵をきゅっとねじるようにして、床を踏みつける。
顔の前にエミリの大きな胸がくると、苛立ちは倍増し、平手打ちで弾き飛ばしたくなった。
エミリはココロの前で眉を顰めると、鼻をくんくんと引くつかせた。
「リガーさん、ちょっとこのお店油臭くありませんこと?」
「そうか?」
「ええ、匂いますわ」
「あー、私は頼まれたもの取ってくるから、二人でゆっくりしててくれ」
面倒を察したリガーが二階へ逃げた。
エミリはつまらなそうに溜息を吐くとココロに顔を近づけ、下から上へ舐めるように視線を這わせ、鼻に皺を寄せ、白い手袋を嵌めた手で鼻を摘んだ。
「やっぱりあなたでしたのね。重労働を終えてからシャワーを浴びましたの?」
「仕事終わりでここへ直行。わかってるくせにいちいち訊くなよ」
「それにしても相変わらず野暮ったい格好ですわね。その片足を捲ってるのは、お洒落をしてるつもりですの? まるで冒険小説に出てくる探検家の少年ですわ」
「あたしの仕事のスタイルなんだよ」
「あら、てっきり殿方の視線を誘導する為かと思いましたわ。言っておきますけど、肌を露出をすればいいってものでもなくってよ? 殿方は見えそうで見えないものに幻想を抱くそうですから」
「工場は暑いんだよ。だいたいあんたこそ、馬も乗れないのに乗馬服なんか着ちゃって何様よ、その鞭は何に使うの? 自転車? 自転車の尻を叩くの? それとも、あんたのその無駄にでかい尻?」
「失敬な! 馬なら飼っています! 写真、ご覧になります?」
そう言ってエミリが取り出した写真は、見事に馬の後ろ蹴りを食らっている姿を激写されたものだった。
「あんた馬に蹴られたの?」
「痛かったですわ、とっても」
痛いで済むのか、とココロはエミリの頑丈さに軽く引いた。
「にしてもこの写真、ピューリッツアー賞ものだね」
「なんのことです、その、ピュリ?」
「いい写真ってこと」
「なら最初からそう言ってください」エミリは嬉しそうに顔を綻ばせた。
しかし間抜けな写真だが、エミリが足蹴にされていることから察するに、本当に馬を手に入れているようで驚いた。
「この馬どうしたの?」
「農家の方に一頭融通していただきましたの。お仕事を一月もお手伝いしましたのよ?」
「邪魔したんじゃなくて?」
「さっきから失礼ですわよ! しっかりお手伝いしました。あなたこそ明日から口に運ぶ食べ物は、今以上にありがたく頂くのですよ? なにせわたくしがお手伝いして収穫した農作物なのですから」エミリは自分の胸をバンバンと叩いた。
「なんでもいいけど、そういうことなら頼まれてた自転車にエンジン積む話はナシってことでいいね。立派な馬もいることだし」
「……え?」
エミリが露骨に残念そうな顔をすると、ココロはふっと笑んでマグカップを置いた。
「面倒が減って助かったわ。大きくなった子達がモペッド欲しがるから、製作依頼がすごくて、お爺ちゃんもあたしも参ってたところなんだ」
「ちょ、それとこれとはお話が別でしょう! だいたい、わたくしのほうが先にお願いしたはずです。八歳ですよ! 八歳の頃から待っているんです! 自転車だって新しいのを、ベ、ベース? にとお渡ししたはずです、いったいいつになったら完成させてくれるんですの!?」
「はいはい、じゃああたしも用事あるから、先に帰るね」ココロは写真を返した。
「やっとその気になってくださいました?」
「誰もエミリのモペッド造るなんて言ってないよ」
ココロが荷物を担いで店を出ようとすると、エミリがその先に回り込んで行く手を阻んだ。
「お待ちなさい!」
「なあによもう」ココロはうんざりした。
「わたくしの写真、ご覧になってから帰っても遅くはありませんことよ」
「……馬に蹴られてる写真なら今見たじゃん」
「そっちじゃありません、本職の方です!」
「大工?」
「モデルです!」
「ああモデルね」
見て欲しいのか。とココロはずれた肩を元の位置に戻した。
無視してもよかったが、エミリはしつこい。とにかくしつこい。
小さい頃のエミリは可愛かった、と本当に残念な気持ちになる。だいたい大工の娘のくせに何がお姫様だ。小さい頃は何かにつけて舌足らずに、「べらぼうめ! てやんで!」と騒いでいたくせに、今では取ってつけたような「ですわ」口調だ。
「わかった、見てく見てく」
ココロが降参すると、エミリはにこぉっと笑ってココロの手を引いた。
「そこまで言うなら見せてあげます」
「どこまでも言ってないし」ココロは溜息を堪えた。
リガーが二階から現像した写真と丸めたポスターを持ってきて、カウンターに広げた。
「終わったか?」
「何の話?」
「戦争だ」
「どっから聞いてたの?」
「エミリの声は通るし、ココロの声もでかいから、全部聞こえてたよ」
もう、とココロは目頭を揉んだ。
「リガーさん、頼んでいたものは」
「ああ、これがポスターと現像した写真だ、ほれ」
「でか! って言うかなにコレ!」
リガーがポスターを広げると、ココロは顔を顰めた。
守衛が着ているカーキのツナギを着たエミリが、小銃を肩に素敵な笑顔を振りまいているポスターが十枚と、その元となった現像写真だ。その出来栄えはよく、エミリを知らない若い男たちが見れば、すぐに守衛になりたいと殺到することが想像できた。なるほど、イメージガールとしての効果はありそうだ、とココロは納得した。
しかし、エミリを知っているとどうも素直に褒められない。
横目に見れば、既にエミリは勝ち誇った笑みを浮かべてチラチラとこちらの様子を覗い、何か言って欲しそうにしていた。
「わたくし、守衛の方たちに頼まれてイメージガールとしてモデルをしましたの。引退や転職で人手不足で困っているところを、このわたくしの美貌を以って打開して欲しいと! 是非にと懇願されまして! そこまで頼まれて断るほどわたくしも野暮ではありません。ですからわたくし、一肌脱がせて頂きましたの」
「本当に脱いじゃえば? そしたら人手不足なんて二秒で解決するよ」
ココロは写真を指で弾いた。
「そりゃ親父が黙ってないだろ」
リガーが可笑しそうに笑い、ココロも愉快に笑った。
エミリは唇を震わせ、顔を真っ赤にした。
「なな、なんて下品な! だからあなたは、あなたという人は! だいたい乙女が殿方に肌をさらすということがどういうことか――ねえちょっと、聞いてますの!?」
「でも、守衛って人気ないんだね。意外」
「最近は特に集まりが悪いって話だ。まあ暇だし、何より出会いがないってな、体力持て余した
皆将来のパートナーを探す年頃になったということだ。
やな感じ、とココロはじとっとした目で写真を一瞥して、カウンターに放った。
「じゃ、見たからバイバイ。リガーさんも、またね。写真集ありがとう」
「ああ、またな」
ココロが去ろうとすると、「ちょ、ちょっとお待ちなさいよ!」とエミリが叫んだ。
「なに? 見たじゃん」ココロは肩越しに振り返った。
「そうじゃなくて――」
「エミリ、今日撮影してくんだろ? 馬のお礼に、乗馬服着た写真、送りつけるんだろ?」
「誤解を招くような言い方はよしてください! 是非送ってくださいと頼まれたんです!」
エミリはリガーに言うと、帰ろうとしているココロを見ておろおろした。
「もう、リガーさん困ってるじゃん。今度遊んであげるから」
「なんですその上から目線は! 遊んであげるのはこっちです! だいたい用事ってなんですの!?」
「……エルマー達とでかけるの」
「エルマーくんと?」エミリは嬉しそうに表情を綻ばせた。
「くん?」
「私も一緒に行く! 行きますわ!」
ココロは期待を持たせるようにわざと考える間を置いて、エミリを見た。
エミリの表情がぱっと太陽のように明るくなると、ココロは下衆な笑みを浮かべて両腕を広げた。
「残念でした、連れて行きませーん!」
「きぃい! わたくしもいきます!」エミリは髪を掻き毟り、地団太を踏んだ。
「おいおい、こっちはどうするんだよ」
「撮影もします! 急いでください!」
リガーは嘆息しつつ、ココロに行けと手を振った。
ココロはぺこっと頭を下げ、扉を開けて手を振った。
「じゃ、撮影頑張ってねえ」
「あん、待って!」
いやだよーん、とココロは店を出るなりモペッドに跨り、スターターを引いて逃げるようにその場を去った。
「おーっほっほっほ!」
ココロはエミリの真似をして、手の甲を頬に当てるようにして高らかに笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます