婚約者の浮気調査をしていたはずなのに、なぜか猫になりました
時岡継美
第1話
広大な王宮内の一角にある魔導士棟、そのテリトリー内の植栽に隠れるように体を小さく丸めるリナリア・ローレンスの視線の先に、婚約者であるハインツ・エルシードが立っていた。
長身の彼が身に纏うローブの縁取りは、銀糸で植物のモチーフの刺繍が丁寧に施されている。
この国の魔導士たちの階級は、この縁取りの色を見れば一目でわかるようになっており、上から順番に金・銀・紫・赤・緑、そして縁なしが一番下っ端だ。
22歳の若さで「銀縁」はこの階級制度が始まって以来の最速記録で、ハインツ・エルシードは「天才」「我が国始まって以来の逸材」と謳われている。
その上、浮世離れした美貌の持ち主とあっては常に注目の的になってしまうのは仕方ないだろう。
そんな彼が「ブフッ!」と吹き出して肩を揺らして笑っている様子を、リナリアは驚愕のあまり琥珀色の目を真ん丸に開いて覗き見ていた。
(ハインツ様が笑っている!? やっぱり、そういうことなんだわっ)
滅多なことでは笑わないと噂されるハインツが笑っている。
彼の正面に立つ人物はそれほど気の置けない仲なのだろうとリナリアは確信した。
「楽しそうですね」
あの女性は同僚だろうか。
ローブが「赤縁」であるところを見ると、それなりの魔導士なのだろう。
「かわいすぎると思ってね」
彼はまだ喉をくつくついわせながら笑っている。
リナリアの角度からは彼女の後ろ姿しか見えないが、さぞやかわいらしいに違いない。
リナリアはそんなふたりをこれ以上見ていられないといった様子で目を伏せると、音を立てないようにそっとその場を離れた。
ハインツとリナリアの婚約は、あまりに突然のことだった。
凶悪なエンシェントドラゴンが国境付近に出現したのは3カ月前のこと。
騎士と魔導士から選抜された討伐隊が勇猛に立ち向かい、見事撃退を果たした。
普段は魔導士と相容れないことの多い騎士の面々に「今回の一番の功労者はハインツだ」と言わしめたその功績を称えられ、ハインツは魔導士の階級がひとつ上がって「銀縁」に昇格した。
ローブの縁取り模様は、家紋を入れたり本人の最も得意とする魔法のモチーフを入れたり、おまじないの呪文を盛り込んだりと自由にリクエストできる。
ハインツはエルシード家の家紋である鷲ではなく、小さな花を咲かせる植物をリクエストしたという。
さらに、彼に師団をひとつ任せてみようかという話に及ぶと、ハインツは経験不足を理由にそれを固辞し、その代わりにリナリア・ローレンスとの婚約を希望した。
リナリアは、ハインツが所属する師団の団長、カルス・ローレンスの愛娘だ。
階級では師団長と同じ銀縁に並んだハインツだったが、年齢も経験も遥かに上回るカルスのことを尊敬して慕っている。
そんな彼のことをカルスもかわいがっており、将来有望な頼もしい部下が義理の息子になることを喜んだカルスは二つ返事でそれを了承したのだった。
こうしてリナリアは、ある日突然ハインツ・エルシードの婚約者になってしまった。
彼女は半年後に魔導士養成学校を卒業し、魔導士の卵としての人生をスタートする予定になっている。
リナリアの両親もそうだが、魔導士は職場結婚が圧倒的に多い。
だからリナリアも、素敵な出会いをして少しずつ互いの距離を縮めていき、それが恋心に変わって……という憧れを抱いていたというのに、ハインツからのいきなりのご指名に戸惑うばかりだ。
結婚していても魔導士として活躍している女性は大勢いるから、夫婦で共働きすることは問題ない。
しかし就職前からあれこれ噂が独り歩きしそうな状況にリナリアは頭を悩ませている。
なにせ相手は魔導士としての実力はもちろんのこと容姿までも到底釣り合いそうにない有名人だ。
そんな彼が見初めた婚約者も魔導士の才能あふれる女性に違いない――もしもそんな風に思われているとしたら、とんだ勘違いだ。
周囲に勝手に期待されて勝手にガッカリされるのは堪らない。
それにハインツは魔導士棟の内外でモテモテだと噂に聞いているため、女性たちからのやっかみもあるだろう。
リナリアはそんな面倒なことに巻き込まれるのは、まっぴら御免だと思っている。
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