第2話

「そうち!」


 飛勇ひゆうは自宅に着くと、玄関の鍵を開け、息子『宗太郎そうたろう』の愛称を叫んだ。

 だが宗太郎からの応答はなく、靴のまま2階に駆け上がり、再び名前を呼ぶ。奥の部屋から物音が聞こえ、急いで向かうとクローゼットが開いた。その中から、かぶさっていた服を払いのけ、宗太郎が出てきたのであった。


「そうち……」


 無事である息子を見るやいなや、飛勇は左手が触れないように右腕一本で抱きしめた。そして、息子の顔を見つめなおし微笑みを向ける。


「無事で良かった。本当に良かった」

「うん。連絡が来た後、急いでクローゼットの中に隠れたんだ。そして、服を自分にかぶせて……」

「心細かったよね。良く頑張った」


 飛勇が宗太郎の頭を優しく撫でる。童顔な宗太郎は、飛勇にとってはまだまだ幼い面影が残っている。


「隠れるのは得意だし、大丈夫だったよ。マ……」


 宗太郎は頭を撫でられながらそう応えると、何かを言いかけて口ごもった。その仕草に一瞬だけ飛勇が眉を動かすと、


「…………確かに、そうちは、小さいころから『かくれんぼ』が得意だからね。誰にも見つけられないや」


 少し間を開けた後、飛勇は再びほほ笑むと、自分が靴を履いたままでいることに気が付く。


「靴のまま上がってきちゃったよ。部屋が汚れてしまった……後で掃除をしないとだね」

「こんな状況だし、仕方がないよ。僕も手伝うね」


 飛勇は息子が普通に会話をできてはいるが、気丈にふるまっていると感じた。この状況の中であれば誰もが普通ではいられないことは分かる。ただ、親だからこそ感じ取れる、それ以上の違和感が息子にあることを心配した。

 何か言いたげで、どこか遠くを見ているような…………そんな感じだった。だが今は念魔ねんまの群れが辺りにうろついている状況でもあり、一刻も早くここから離れなければならない。


「そうち、念魔が襲ってきている。この辺りにもいるから、すぐに避難して情報を集めようと思うんだ。とりあえず、最低限のものを持って家を出よう」

「分かった。準備してくるよ」


 宗太郎は自分の部屋へ行き、服を着替え、ジャージを取り出し、避難のために準備しているリュックの中身を確認した。

 一方、飛勇は1階へ降り玄関を見ると、開けたままのドアの向こうで真弥まやが辺りを見回している。

 慌てて家に入り、何も伝えられなかったが、そのまま外で辺りを警戒してくれている真弥を見て、


 ――自分でその時の最善を考え実行できる人はすごいな


 と想いながら、自分に気がついた彼女に親指を立てた。その仕草に宗太郎が無事であることを理解し、真弥は安堵の笑みに包まれた。

 準備を終えた宗太郎が2階から降りて来ると、ドアの先にいる真弥に気がつき手を振り、真弥も手を振って返した。


「真弥さんと帰る途中に襲われて一緒に来たんだ」


 真弥が自分と会えて嬉しそうな顔をしている宗太郎を笑顔で見つめるが、ふと視線を来た道へ向けた瞬間に、その笑顔が消える。


「飛勇さん!」


 その声から飛勇は念魔が来たのだと理解し「そうち!」と息子を促し外に出る。

 恐らく30体はいるであろう念魔が、どんどんと合流し50体くらいの数でこちらへ向かって来る。念魔は色々な形になるが、今回襲来してきているのはけものの形をした獣魔じゅうまを中心として、ひと回り大きな魔人であるオークもいる。

 飛勇の家は、袋小路にあり、その先はコンクリートの壁となっていた。


 ――壁を登るのは無理か……


 そう判断した飛勇は家の裏から逃げるしかないと考えた。けれども、その先に念魔がいないとは限らない。挟まれたら一巻の終わりだ。そうなると自分がすべきことは1つしかない……


「宮島さん、息子を……宗太郎をお願いします」


 真弥は驚き飛勇を見た。


「そうち、何があっても希望を失わないで、パパもママもいつだって君を愛しているからね」


 宗太郎も飛勇を見ると、


「一緒に逃げようよ。あの数は無理だよ」


 真弥も強くうなずいた。


「この先にも念魔がいたら挟み撃ちでみんなやられてしまう。だったら、この中で一番可能性のある人が食い止めているうちに……」

「だったら僕も戦うよ」

「飛勇さん……」


 飛勇が戦わないといけない……それは分かっている。けれど、そうだからと納得もできていない二人に飛勇は、


「そうじゃないんだ」


 自分の傷ついた左拳を見せた。


「さっき戦った時に傷ついた。僕も間もなく、ああなるかもしれない。だから、人として正気を保っているうちに、できることをやりたい」

「その傷は、さっき私をかばったからですよね?」


 泣きそうな真弥の顔を見ながら飛勇は、


「いや単に僕が弱いからだけど、でも君をかばっての結果なら本望だよ。それに、そのおかげで、あいつらと同じ力を持てるんだ」


 そこまで迫って来ている獣魔をしながら言った。


「約束する、あとで必ず合流する。大丈夫! そうちを守るパパは最強なんだから!」


 そう言いながら息子を力強く抱きしめると、


「さあ、思いっきり走るんだ!」


 笑顔を向けたまま大きな声で言った。今の状況では、それ以上の話もできなければ、そうするしかない。

 宗太郎と真弥は家の裏へと駆け出した。


「ありがとう、真弥。大好きだよ、そうち」


 二人が裏へと駆け出したのを確認し、飛勇は再び前を向いた。


 ――俺のここはいつだって、みんなと共にある!


 飛勇は胸に手をあてあふれてくる想いに集中し始める。

 それに伴い先ほどから自分の中に芽生えてくる攻撃的な感情が増加し、意識が遠くなっていく。けれど、意識がなくなる前にやらねばならないことがある!


「俺たちの宝もの、そして希望の『宗太郎』には一本の指も触れさせない!」


 飛勇がすさまじい形相をみせながら言い放つと、左手の甲に噛みつく。

 念魔の血をまだ人である自分の血で中和しようと思ったからだ。そして、自分の中にある衝動を開放するかのように雄叫びをあげた。


「グォォォォ!」


 遠のく意識の中、獣魔の群れへと駆け出し、その勢いのままに拳を突き出すと、数体の獣魔がまとめて吹っ飛んでいく。


 ――まだだ! 二人を守れ!


 何度も心の中でそう叫びながら飛び掛かる。獣魔たちが消し飛ぶ。体が軽い、力が溢れてくる、それに伴い意識が遠のいていく。


 ――お前たちだって苦しいのかもしれない。誰も傷つけたくないのかもしれない!


 飛勇の心の叫びに、オークも獣魔たちも叫び声を上げた。その叫びは悲しみにも聞こえる。


 ――だから、お前たちもその呪縛から解放するんだ!


 ほとんど前が見えなくなった。自分の腕が獣魔たちと同じように黒くなっているのが分かる。気力を振り絞り、獣魔たちを駆逐くちくする。

 そして最後に立ちはだかったオークを渾身の拳で吹き飛ばす。

 もはや目で辺りを見ることはできないが、研ぎ澄まされている感覚で獣魔もオークもいなくなったことが分かる。だが、湧き出て来る攻撃性を失わせない。


「これが最後の一体だぁ!」


 そう叫びながら、完全に意識がなくなる前に、最後の一体を倒すため、つまりは自分自身を倒すため、飛勇が己の手のひらを胸にあて魔力を集中させた瞬間……


『……宗太郎を守ってあげて』


 どこからなのか心の中で声が響き渡り、集中させた魔力が消え、光に包まれるとそのまま意識を失った。


                                第2話 完

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