第24話 協力者たちとハナショウブ①
「なに、竜胆くんが装花の指名を受けた?」
「はい、そうなんです」
山本時計店にいる人たちは、突然のすみれの相談に快く耳を貸してくれた。
その場にいたのは山本と安村と蓮村、それに古川書店の店主こと橙さんだ。
すみれにできることなんて、せいぜいが他の人に相談するくらいだった。幼少期から塩崎のことを見てきた商店街の人たちだったら、塩崎の心を動かす方法を知っているかも知れないと思ったのだ。
「塩崎店長は、店の仕事をしながら装花の仕事を引き受けられないって言っていました」
山本はトレードマークのベレー帽を被った頭を右に傾げ、悩み顔を作る。
「竜胆くん、花に対してとことん真面目に向き合うからな」
安村が特製ケーキをサービスで振る舞いながらも頷く。
「無理してどっちも半端になるくらいなら引き受けない。竜胆くんらしい判断だ」
これに蓮村が真面目な顔で相槌を打った。
「そうそう。竜胆くん、花のことになると全然自分を曲げないからねーえ」
橙さんは山本の淹れたコーヒーを啜ってから一言。
「これはもう、あの人に連絡を入れるしかないだろうね」
これに山本も安村も蓮村も全員が頷いた。
「ああ」
「そうだな」
「それが一番だろうねぇ」
「あの人って、誰ですか?」
すみれの問いに答えたのは、蓮村だった。
「竜胆くんのお母さんだよーお」
「塩崎店長のお母さん……って確か、ヘルニアで手術してリハビリ中ですよね」
山本が頷く。
「うちの家内とリハビリテーションでよく会って話しているらしい」
山本の奥さんといえば、ミッチャンという種類のダリアが好きな人だ。
「話を聞く限り、さっさと店に復帰したがっているのだが、竜胆くんが渋ってなかなか許してもらえないらしい。『どうせ無理してまたぶり返すんだろ』と言われるんだと」
「竜胆くんのお母さんも、なかなか無茶する人だからね。しかしもういい加減家にいるのも飽きているし、ここらで仕事復帰するのもいいだろう。件の式は秋なんだろ? まだ時間はあるし、どうにかなる」
「でも、塩崎店長のお母さんに連絡して、本当になんとかなるんですか?」
「織本さん、こういう時はね、こう考えるんだ」
安村は両目をぎゅっとつむるウインクをしながらすみれに告げた。
「なんとかするように動くんだ。織本さんが我々に相談してくれたようにね」
そしてすみれの目の前で、山本がスマホを操作して誰かに電話をかけ始めた。
◇
午後八時。竜胆は店での仕事を切り上げた。
明日は仕入れ日で六時半には市場についている必要があるため、早起きしなければならない。仕事はそこそこにして、さっさと帰って寝なければ。
電気を落として戸締まりをし、シャッターを閉めて店を後にする。
竜胆の家は商店街から歩いて五分ほどの古いマンションの一室だ。以前は家族で店の二階に住んでいたのだが、竜胆が中学生になる頃にマンションに引っ越した。
マンションにはエレベーターがあるので、ヘルニアで階段の上り下りが大変な母親にとってもありがたいだろう。なにせ店の二階に行くには狭くて急な階段を上る必要がある。
都内で働いていた時には一人暮らしをしていた竜胆は、店を継ぐ時に実家に戻ってきた。その方が都合が良かったし、親父が死んで一人で意気消沈している母を気遣ったということもある。まあこれは不要な気遣いだったかもしれない。母は意気消沈するどころか、「お父さんがいなくなった分まであたしが頑張ってお店を盛り立てないと!」と言い、はりきりすぎて椎間板ヘルニアをこじらせ手術することになったのだから。
鍵を静かに回し開けて、なるべく気配を押し殺して扉を開けた。スチール性の古い扉は気をつけなければギイイイッと大きな音をたてる。
どうにかこうにか無音で扉を開けた竜胆だが、次の瞬間、己の努力が徒労に終わったことに気付かされた。
「おかえり、竜胆!」
「……お袋、起きてたのか」
「起きてるに決まってるでしょ! まだ二十二時じゃないの!」
パジャマ姿の竜胆の母が、玄関の手すりにつかまりながら元気に言った。
竜胆は脱力しながら扉を閉め、鍵をかける。
「夕飯まだでしょ? 用意するから待ってて」
「いい。自分でやるからお袋はじっとしてろ」
「リハビリのためにも動いた方がいいって、お医者様に言われてるのよ」
「んなこと言って動きすぎてまた腰痛めるんだろ」
竜胆は母の話に取り合わず、廊下を移動しリビングに向かった。母はひょこひょことした動きで竜胆についてきた。
リビングの隣の和室には仏壇がある。持ち帰ってきたハナショウブに生け替える。湿地で生えるショウブは今が見ごろの花だった。
「あら、ハナショウブ。昔、お父さんと三人で菖蒲園に行ったのを思い出すわね」
「そうだな」
都心から外れた場所にある植物園に、家族三人で行っていた。わかりやすく人気なのは三月に満開になる薄桃色の桜並木、五月に最盛期を迎え様々な種類の花が咲き乱れるバラ園、十月には黄色と真っ赤に色づく紅葉。
しかし花を愛する塩崎家は、菖蒲園も好きだった。濃い紫色の花をつけ、水辺で凛と咲くショウブは古来より日本人に愛される花の一つだ。ハナショウブとアヤメは漢字で書くとどちらも「菖蒲」となるため混同されやすいが、両者は全くの別物だ。
そもそもハナショウブは水辺に咲く花であるのに対し、アヤメは乾いた陸地を好む。開花時期も前者は六月から七月中旬の梅雨時期に開花するが、後者は五月に開花する。ただし両者とも科名はアヤメ科だった。
さらにハナを冠さないただのショウブという植物も存在する。これは端午の節句の菖蒲湯に使用されるサトイモ科の植物で、花はハナショウブともアヤメとも似ても似つかない。たとえるならば、猫じゃらしに似ているだろうか。
ここにカキツバタを加えるとさらにややこしいことになる。
花の違いで説明をするならば、ハナショウブは花の付け根に黄色い三角形の模様が入っている。アヤメは白い網目模様が入っており、カキツバタは白くて細長い三角形、ショウブはそもそも形がまるで違い猫じゃらしのような円柱形の花穂をつける。「いずれ菖蒲か杜若」ということわざがあるように、紛らわしいのは確かだった。
こんなにも似たようで違う花があり、奥が深い。生息域がそもそも違うので、ショウブとアヤメとカキツバタは同じ花だと思って同様の世話をするとあっという間に枯れてしまう。きちんと調べて適切に育てるのが面白いと思うからこそ、竜胆は花に関わる仕事をやめられない。
ひとしきりハナショウブに関する事柄を考えた竜胆は、線香に火をつけ、おりんをチーンと鳴らして両手を仏壇の前で合わせた。
それから、おりんとは別のチーンという電子音が聞こえたので振り向いた。母が竜胆の夕食の準備をしているところだった。
「寝てろよ」
「ずっと寝てるから暇で!」
仕事三昧な日々を送っていた母はこんなにも休んだことがなかったので、どうも暇を持て余しているようだった。食卓に並んだ、無駄に豪勢な夕食がその証拠だ。
「本日の夕食は五時間じっくりコトコト煮込んだ豚バラ肉と大根と卵の煮物と、ポテトサラダと、五穀米と、丁寧に出汁をとって作った豆腐とわかめのお味噌汁よ! お豆腐はもちろん、源さんから買ったやつよ」
豆腐の
食卓に所狭しと並んだおかずを見て竜胆はボソリと言う。
「俺がガキの頃はいつもあさひで出来合いの惣菜ばっか買ってたくせに」
「だって仕事が忙しかったんだからしょうがないでしょ。文句言うなら食べなくていいわよ」
「食う。いただきます」
下げられる前に食べてしまおうと竜胆は慌てて椅子に座って箸を手に取った。暇すぎて料理に目覚めた母が作った料理は、確かに美味い。長時間煮込んだ豚バラ肉の塊は厚みがあるのに箸を入れるとほろりと崩れるし、染み込んだ醤油の味わいが疲れた体を癒してくれる。白米が進む味だった。
竜胆が無言でガツガツと夕食を食べていると、向かいに座っている母が話しかけてきた。
「山本さんの奥さんに聞いたんだけど、アンタ、式場の装花の仕事断ったんだって?」
竜胆の夕食を食べる手がピタリと止まる。
「なんでそのこと、知ってるんだよ」
「アルバイトの織本さんって子が、山本時計店に相談に来たんだって」
塩崎は箸を持った手で頭を抱えた。織本はおせっかいをするタイプには見えないのに、なぜそんな余計な相談をするんだ。
「なんでも、昔アンタが作った花束で恋を成就させたってカップルからのたってのお願いだったらしいじゃない。そんな大切なお客様からの依頼を断るなんて、どうかしてるわ。花を扱う人間の風上にもおけないわね」
「うっせぇな。店と装花の仕事とどっちもは無理だから断ったんだろうが」
竜胆とて、引き受けられるものなら引き受けたかった。
だが、どうしてそれができようか。今の仕事をしつつ装花の仕事までする余裕など竜胆にはない。それもこれも、全ては竜胆のぶっきらぼうな性格のせいだ。
もし竜胆が、もっと人当たりが良い性格で織本以外のアルバイトも定着していたら、店の方はアルバイトに任せて竜胆は装花の仕事ができたかもしれない。花の仕入れや事務作業だけをして、裏で式用の花を作ったり式場の下見に行ったりできたかもしれない。
やりようなどいくらでもあっただろうに、今の状況を作り上げてしまったのはひとえに自分のせいだ。自分の、ままならない物の言い方と態度のせいで、店を任せる人員がおらず、大切な客の大切な一日に携われなくなってしまったのだ。
うつむく竜胆に母は声をかけた。
「竜胆」
「……なんだよ」
恐る恐る竜胆が顔を上げると、母は右拳を引き絞っていた。なんだと思う暇もなく、拳が竜胆の顔面に向かって飛んでくる。
「はぁっ!」
「いてぇっ!!」
母の容赦ない右ストレートパンチが竜胆の顔面にヒットして、竜胆は箸を落とし両手で顔を押さえた。
「いってぇ……なにすんだよ!」
「うるさい! みんなに心配をかけるアンタが悪い! どうせアンタのことだから、店の仕事と式の装花、どっちもできないと考えたんだろうけど、そもそもそんなことを考えることが間違ってる!」
「じゃ、どうすりゃ良かったんだ!」
言い返す竜胆に、母はすました顔で答えた。
「お母さん、明日から仕事復帰するから」
「はぁ!?」
突然の仕事復帰宣言に竜胆は目を剥いた。
「無理だろ、さすがに!」
「そんなことないわよ。お医者様にも、動いた方がいいって言われてんだから」
「またぶり返したらどうすんだ」
「大丈夫よ、そーっと動くから。仕入れはアンタに任せるけど、午後の仕事はあたしがやるから。だからアンタは、今すぐカップルのお客様に電話して謝り倒し、装花を担当させてくださいと懇願しなさい」
「…………!」
ヒリヒリする鼻っ柱を押さえつつ、母親をぎろりと睨みつける。
「んなことして、またお袋が倒れたらどうすんだ。店の営業に穴を開けるわけにはいかねえだろ」
「意地でも倒れないで働くわよ。お母さんこう見えて、二十年店で働いてきたんだから、絶対にこなしてみせるわ」
「無理がたたって倒れたくせによく言うぜ」
竜胆は食卓の下にかがみ込んで落とした箸を拾い上げ、夕食を再開した。ばかばかしくなったのだ。母はなおも前のめりになって言う。
「ここで引き受けなかったら、きっと一生後悔するわよ。アンタも、そのカップルも。カップルのお客様は式の写真を見返すたびに『あぁ、塩崎さんに装花を担当してもらいたかったなぁ』って思うのよきっと。そんでアンタもふとした拍子に『あの時、担当すれば良かった』ってくよくよすんのよ」
竜胆は何も答えず、母が五時間かけて作ったという夕食を五分で平らげると、キッチンで洗い物をし、呆れた視線を投げてよこす母を無視してシャワーを浴び、自室に引っ込んだ。「後悔するわよ!」という母の声が扉を閉める直前に聞こえてきたが、聞こえないふりをした。
ーー後悔なんてもう、とっくにしている。
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