第16話 着付け教室と和の花④

「結婚式の装花?」

「はい」


 すみれは次のバイトの閉店後、早速塩崎に相談をした。あいも変わらず雨が降っていて、客足は途絶え気味だった。やや暇を持て余しながらも、すみれは接客の空き時間に新しく入荷した苗の説明札をわかりやすく書き換えるという作業をせっせとこなした。

 季節が進み、花材も春から夏のものへと変化している。だからラベルもまた書き直していた。すみれがバイトしている最中にも、この説明書きを読んでいる人が結構いるので、効果があると信じたい。

 そんな風にバイト時間を過ごした後、すみれは思い切って尚美に相談されたことを塩崎に話したのだ。


「大学の友達のお姉さんで、塩崎店長の装花が好きだっていう人がいて、ぜひ結婚式の装花を担当してもらいたいって……」

「無理」


 塩崎はレジ締め作業をしながらすみれのほうを見もしないで即答した。金勘定をしつつ早口で理由を説明する。


「結婚式の装花は色々と事前準備がある。新郎新婦との打ち合わせ、その会場が花の持ち込みを許可しているかどうかの確認、会場の下見、花器の用意、前日までに花の準備を終わらせて当日には花を搬入しないといけないし、後片付けもある。そうしたらどうしたって数日は店を閉める必要があるし、そもそもそんなに大量の花を置いておくスペースがこの店にはない。どう考えたって無理だ」

「あ……そうでしたか」


 すみれは結婚式に出席したことがないのでイメージできなかったが、結婚式場の装花というのはそんなに大変な仕事だったのか。


「てことで、その話ちゃんと断っといて」

「わかりました」


 すみれは頭を下げて塩崎に返事をする。

 ちらりと見た塩崎の顔は相変わらずレジに収められている金額を数えていて、いつもと変わらぬあまり愛想がいいとはいえない表情をしていた。

 塩崎が無理だというのならば仕方がない。尚美には申し訳ないが断る他ないだろう。

 すみれは閉店作業を手伝い、まだ仕事があるという塩崎を店に残して一人帰路についた。


「あら、すみれちゃん、今日も竜胆くんところでアルバイト?」

「はい、そうです」

「お疲れ様」


 大家の奥さんが帰宅したすみれに話しかけてきた。一階の庭には、花だけでなく伸び盛りのトマトやきゅうりが小さな実をつけ始めている。


「そうだ、すみれちゃん夕飯はこれから? あさひさんのところでお惣菜買い過ぎちゃったんだけど、よかったらどうかしら」

「……いいんですか?」

「いいのよぉ。若い子はいっぱい食べなくっちゃ。ちょっと待っててね」


 大家の奥さんは家の中に一度引っ込み、それからラップをかけたお皿を持って縁側から外に出て垣根越しにすみれにお皿を手渡した。


「どうぞ」


 お皿には惣菜屋あさひで買ったであろうコロッケのほか、酢豚やエビチリ、揚げ出し豆腐などが綺麗に盛り付けられていた。


「ありがとうございます」


 ありがたく受け取ってから階段を上って自室に入る。

 たくさん炊いて冷凍してあったご飯を温めて、いただいたおかずとともに夕飯にした。食べながら尚美に装花は無理そうだと連絡をすると、「そっかー、しょうがないね! お姉ちゃんにも伝えておく」というあっさりした返信が来た。

 あさひの惣菜は美味しい。コロッケの中身は肉じゃがで、ごろっとした肉とじゃがいもが和風出汁で味付けられていて噛むとしっかり肉じゃがの味がする。コロッケのサクサク、ホクホク感と肉じゃがの味どちらも楽しめる大変お得な食べ物だ。普通のコロッケに比べると五十円ほど高いのですみれは滅多に買わない。酢豚もエビチリも揚げ出し豆腐も手作りの味がするので、すみれはコンビニやスーパーではなくあさひで惣菜を買うのが好きなのだが、こうした惣菜はやはりやや値段が張るのでそうそう買えるものでもなく、今日のおすそわけはとても嬉しい。お金がないとカップ麺生活になってしまう。

 実家からの仕送りと塩崎生花店のバイト代があるが、やはり一人暮らしをしていると何かとお金がかかってしまう。

 夕食を終えてベランダを開けると、鉢の中でスミレの枯れた花びらが落ちていた。このままにしておくと水やりで濡れてカビが生える原因になってしまうので、すみれは拾ってゴミ箱に捨てる。

 季節はもう六月で、夏が近づいてきている。花よりも緑色の葉が色濃くなっており、そろそろ置く場所を変えた方がいいだろう。ベランダにそのまま置いておくとコンクリートの反射熱によって枯れてしまうだろうから、棚が必要だ。だが貧乏大学生に新たな棚を買う余裕なんてない。

 すみれは部屋の中を振り返り、何か棚になりそうなものはないか見回した。 

 三月に一人暮らしを始めてまだ三ヶ月しか経っていないので、部屋の中には必要最低限のものしか置かれていなかった。残念ながら棚の代用品は存在しない。

 仕方がないので、もう少し暑くなったら部屋の中に引っ込めてテーブルの上に置こうと心に決めた。


「それにしても、塩崎店長が有名な人だったなんてビックリしたなぁ」


 すみれは尚美から教えてもらったサイトのURLを開いてもう一度塩崎に関する記事を読んだ。

 本人は過去の経歴について語ったり自慢したりすることはないが、これを読む限りかなりすごい人だったのではないだろうか。


「繊細で丁寧なデザインを得意とし、ゆくゆくは日本のフラワーアーティストのトップに立つであろう人材」という、なにやらすごそうなことが書かれている。

 過去に手がけた花々も、結婚式場の雰囲気にマッチしていてとても美しい。

 たとえば、白を基調した会場にくすみカラーのピンクやアイボリーのバラなどを合わせ、さらには生花だけではなくドライフラワーなども合わせてアンティークな風合いに仕上げている。そもそも生花とドライフラワーを合わせるという発想自体なかなか出てこないし、不自然にならないよう上手く調和させているのがすごい。

 かと思えば、ブラウンを基調とした会場で鮮やかな赤色が特徴的なアンスリウムや大ぶりの葉が印象に残るモンステラなど、南国の植物をふんだんに使ったボタニカルでどこか熱帯植物園を思わせる装花なども手がけている。

 これらすべてが、新郎新婦の要望に合わせて塩崎が考えて生み出したものなのだ。

 すみれもいつか誰かと結婚するならば、ぜひ塩崎店長にお願いしたい、と思わせるような仕事ぶりだった。


「でも、辞めちゃったんだよね……お店を継ぐために」 


 塩崎は「一年前に親父が死んで、俺が店長やることになった」と言っていた。

 果たしてそれは、塩崎店長の願いだったのだろうか。母親一人に無理をさせられないから店を継いだのだろうか。本当はもっと大きな仕事をしたいのではないだろうか。

 今日装花の話を切り出した時、塩崎は特に何の感情も見せずに「無理」と断った。今の仕事と装花の仕事を両立できないからという理由だった。

 こんなに注目されていたのに、そんなにあっさりと辞められるものなのだろうか?


「……わからない」


 大学生になったばかりのすみれにはわからない。

 まだまだ授業についていくのと、やっとできた友人付き合いを楽しむばかりで、仕事のことなどすみれには何一つわからない。

 けれど、記事に映る塩崎の顔は、今と変わらずあまり愛想がいいとはいえない表情であるにもかかわらず、その瞳は今よりも生き生きとしている気がしてならなかった。

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