第6話 TS転生おじさん、叱る。

「入学直後からそれだけの素晴らしい歌声をお持ちであれば、増長し、慢心してもなんら不思議ではございませんでしょう? ですが、マンダリンお嬢様は自分などまだまだだと言わんばかりに謙遜なさっていらっしゃる御様子。(それはもういっそ、卑屈な程に。)一体どれ程の高みを目指されていらっしゃるのか、一般庶民である私には想像も及びません、と感心しきりでございます」


 言い訳完了。どうだろう、乗りきれるだろうか。


「なるほど、確かにうちの娘は昔から謙虚すぎるほどに謙虚でね。どれだけ周囲が絶賛しても、頑なに賞賛の言葉を受け取ろうとはしないのだよ」


「そんな謙虚なところが義姉さんの魅力なんだけどね!」


 セーフ。赦された。


「ところでアルト。頂き物の上等な焼き菓子があったと思うのだが、あれはどちら様からの頂き物だったかな?」


「……確認して参ります」


 アウトだった。まだ何かあるのか。露骨に人払いをかけた公爵の計らいにより、弟さんは私を睨みつけながら退室。残されたのはソニック公爵とマンダリンお嬢様、それに親方と私の4人のみ。


「さて。君も気付いてのことと思うが、うちの娘は本当に謙虚すぎる程に謙虚でね。それはもう、いっそ卑屈な程に。親としては、少しぐらい自信をつけてもらいたいと常々思っていたのだが、何かよい方法はないだろうか。同じ年頃の女性として、君の意見を参考にさせてもらえるとありがたいのだが」


「公爵、それは」


「案ずることはない、イカルガ殿。ここにいるのは私たち4人だけ。何を話そうと、それが外部に漏れることはないのだから。そうだろう?」


 多少の無礼には目を瞑るから、本音で話せ、と。何故私がこんな目に。幸い公爵の態度は娘を侮辱されて怒っている男親のそれといった類いの嫌なものではない。だからこそ親方も表立って俺を庇おうとはしないのだが、それ故に何も言ってはくれなかった。


 唯一マンダリンお嬢様だけが、何を言われるのかと今にも泣きそうな態度で青褪めている。何を被害者ぶっているのかは知らないが、泣きたいのは私の方だ。


「では手短に。マンダリンお嬢様は、一体何が御不満なのでしょうか?」


「不満、ですか? いいえ、わたくしには不満などございませんわ」


「ですが、称賛されても喜ぶどころかむしろ辛く、苦しそうですらあります。まるで自分を褒めないでほしい、と言っているように、私には感じられたのですが」


「それは!」


 どうやら図星のようだ。今の彼女の表情は、金曜の夜の残業中に、月曜の朝までが期日の仕事を押し付けられた時の私のそれによく似ている。無理、できない、お願いだからやめて、と懇願するような表情。


「それは、だって……私には、音楽の才能がないから」


「あん?」


「はい?」


「失礼。うちの娘は昔からこの調子でね。頑なに自分に音楽の才能がないと言い張るのだよ」


 予想外すぎる言葉に、親方もポカーンとしている。公爵だけが、いつものことだと言わんばかりに肩を竦めた。


「私、解ってるんです! 本当は私に音楽の才能なんてないのに、みんなが寄って集って私を過度に称賛するのは私が公爵家のお嬢様だからだって! フォルテ王子の婚約者だから! 私が音痴だと困るから! だからみんなが気を遣って、わざとらしいぐらいに私を褒め殺しにするんです! だから! 誰かに褒められると居心地が悪くて堪らないんです!」


「と、仰っておりますが」


「どうやらリンリンは本気でそう思い込んでいるようでね。誰が何を言っても理解してくれないんだ。むしろそんな風に慰められると余計に惨めになる、と。とんだ頑固娘なのだよ」


「それは、なんと」


 なるほど、公爵の意図が理解できた。万事こんな調子では、さぞ頭を抱えたことだろう。彼女の歌声は紛れもなく本物である。少なくとも、音楽に疎い私にだってそれぐらいのことは分かるぐらい、素晴らしい歌声だった。


「あのなお嬢ちゃん。儂は貴族相手だろうがお世辞なんぞ言わねえぞ。上手いもんは上手い、下手なもんは下手って正直に言うぞ?」


「そんなの嘘よ! だって、本気で歌ったら絶対私よりメヌエットさんの方が上手だもの!」


 嫌味か。いや。


「何故そう思われるのですか? 私はあなた様の前で歌ったことなど一度もありませんが」


「とぼけるのはやめて! あなただって、本当は私の歌なんて下手だと思ったんでしょ!? 知ってるんだから! 私が公爵家のお嬢様だから、お世辞を」


「いい加減にしなさい!」


 一喝したのは公爵ではなく私だった。ここまで来ると腹が立つを通り越して、いっそ憐れですらある。何をそんなに怯えているのか。何をそんなに苦しんでいるのか。そんな必要などないというのに、何が彼女の心をそこまで縛り付けているのだろうか。


「マンダリンお嬢様。あなたは本当にそう思われるのですか? あなたのお父様が、そうやって愛する娘を侮辱する方だと、本気で思われるのですか!」


 そう、憐れなのはソニック公爵もだ。娘が苦しんでいるというのに、何もしてやれない。自分が何を言っても聞き入れてもらえない。そんな辛さは、思春期の娘を持つ同じ父親として、よく理解できる。


 だからだろうか。きっと、公爵も助けてほしかったのだ。誰でもいいから、娘の殻を壊してほしかった? だから私に、あれほどまでに発言を促したのかもしれない。だから、余計な口を挟みかねない息子さんを遠ざけた。


「それは……だって!」


「でももだってもありません! あなたのそれは、単なる独りよがりな被害妄想です! あなたの歌を聴いて素晴らしいと感じた私が保証しますよ! うちの親方だって、音楽に関しては心にもないお世辞を言うような人では断固としてありませんから!」


 公爵からも親方からもストップがかからないということは、続けろということなのだろう。毒を食らわば皿までだと、私は拳を握り締めた。まだ13歳の若い娘さんを怒鳴り付けるのは気が引けるが、声を大にしなければ届かない時もある。


「主人公(あなた)なんかに、悪役(わたくし)の気持ちはわからない!」


「笑わせないでください。一生そうしているおつもりですか? 耳を塞いで目を瞑って。自分の殻に引きこもっていたいのですか? 本気で」


 であれば、私は大人として言うべきことを、彼女に言わなければならない。娘を、凛子が間違ったことをした時に、心を鬼にして叱り付けなければならなかった時のように。


「いいでしょう。そこまで仰るのであれば、私の歌を聴かせて差し上げます。親方。伴奏をお願いできますか」


「お、おう!」


 親方はプロの演奏者ではないが、自分で作った楽器の仕上がりを試すために実際に弾いて確認できる程度の腕前は持ち合わせている。つまりは、国宝級の楽器を見事に弾きこなせるぐらいには凄腕ということだ。


「……すう、はあ……」


「行くぞ?」


「はい。よろしくお願いします」


 心を落ち着かせるために、深呼吸。親方の演奏に合わせて、私はこのハルモニア王国の国家を歌い始めた。彼女が先程見事に披露した、日本人である私にはあまり馴染みのない、この別の世界の国家を。


 この1か月間、丹精込めて気合いを入れて、マンダリンお嬢様のために作った親方渾身の力作であるピアノ。それが彼女を苦しめているというのならば、それは即ち、親方の仕事が報われなかったということもでもある。 


 そんなのは御免だ。断じて御免だ。この1か月間、私も頑張る親方のために差し入れや作業の手伝いやその他諸々の雑用をこなしてきた。だから、こんな結末は認めない。


 愛する娘のために、特注のピアノを作らせた公爵。その期待に見事に応え、最高のピアノを完成させた親方。それなのに、誰も幸せにならないなんて間違ってる!

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