第五十八話 対決

最後の階段を上りきり、私は屋根裏部屋に向かった。

息を切らしたまま、明り取りの窓から屋根の上へと突き出た梯子に手を掛け、一気に登る。


淡いグリーンの洋瓦が一面にかれた屋根の上は、比較的傾斜が緩い。

ただ、風がある。飛行機を飛ばしたあの時ほどではないけれど。

私は足を滑らせないように、屋根の中央へと向かった。

そこには2メートル近い高さがある針のような、金属製の避雷針が立っていた。


(そろそろ雷雲を屋敷の上空に呼び寄せなければ)


意識を集中する。

空に黒みがかった積乱雲が渦巻き始めて、屋敷だけが周りから切り離されたように陽の光を遮った。


避雷針に掴まって、梯子を観察する。

そろそろ追いついて来てもおかしくないはず……


(マリーゼ様! 後ろ!)


ジェームスの声が頭の中に響く。

急いで振り返ると、私が出た屋根裏部屋と対になっているもう一つの屋根裏部屋の窓から、シェアリアが出てくるところだった。


私の視線に気付いた彼女が、何か筒のようなものを吹く。

慌てて避けたが、何かが右手をかすめたような感覚があった。


見ると、手の甲に引っかき傷があり、うっすら血が滲んでいる。


「吹き矢……?」


「あら、刺さらなかったのね。上手くかわしたものだわ。

せっかく後ろを取ったのに」


私の傷を見て、シェアリアが嬉しそうに微笑んだ。


「ねえ、私だってここに二年も住んでいたのよ?

建物の間取りくらいは覚えているわ。


……さあ、鬼ごっこは、もう終わりよ。

その魂と身体、そっくり明け渡してもらうわ」


彼女がこちらへと、ゆっくり歩いてくる。


避雷針に誘き寄せないと……


……でも……おかしい。

頭が少しクラクラする。


「ああ、暴れたりしないように、痺れ薬を使わせてもらったから。

この高さから落ちたりしたら、大事な身体が使い物にならなくなっちゃうものね」


暗雲を背負い、こちら一歩ずつ近寄ってくる彼女の背中に巨大な魂の口元が微笑んでいる。


この姿は……

脳の奥深く、無意識のうちに思い出さないようにしてきた記憶が、せり上がるように浮かんでくる。

前世で、義父と、夫と、夫の愛人に押さえつけられた私の上に跨った、フードを被った闇医者。


首に、胸に、腹に、腰に、腕に、脚に

嬉々として防腐剤を打った……


あの医者の顔は見えないけれど、背後に浮かんでいた、丸くて大きな化け物。

あれは……これだ!!


間違いない、前世で私の命を直接奪ったのは、シェアリアだ!


だから……

初めて会った時から、この人に拭いきれない苦手意識があった。

言いなりになってた。

ハリーに言われたからじゃなく、本能が彼女を恐れていた。


軽い眩暈に、片膝をつく。

痺れ薬……


嫌だ、こんな女に負けたくない!

息を止めて、左手で思い切り屋根を打つ。


ふわりと重さを失う。

自分の魂が身体から抜け出して、自由になった。


「もう好き勝手にはさせないわ!」




屋根の洋瓦を一気に剥いで、シェアリアに向かって次々に当てる。

しかし背後にいた悪魔の魂が彼女の前に回り込んで、全てを薙ぎ払ってしまう。


上空の黒い雲が擦れ合って、小さな稲妻が発生しているのが見えた。

もう時間が無い。

私は大声で叫んだ。


「アール!!!!」


屋根裏部屋から上がってきたアールが、歪む魂に向かってガラス瓶を次々に投げつけた。

悪魔の魂がそれを払うも、薄いガラスが粉々に割れ、中の聖水が降りかかった。


アールが胸の前で十字を切り、聖なる言霊を唱え始めると、悪魔の魂の勢いが鈍り始める。

でも、魂そのものを祓馬での力は無いようだ。


「今だ!

マリーゼ! 頼む!」


アールの声に、私は叫んだ。


「シェアリア! 絶対にあなたを許さない。

皆の分も、ジェンナの分も、すべての報いを受けなさい!!」


そして屋根の上で吹き荒ぶ風を集めて渦を作り、悪魔ごとシェアリアを吹き飛ばした。

屋根から落ちそうになったシェアリアが、咄嗟に避雷針に手を伸ばし、しがみつく。




「残念だったわね、奥さん」




シェアリアが、余裕の微笑みで答えた…………その刹那。




空一面を真っ白に照らす閃光と、大きな岩が転がり、ぶつかり合うような轟音が同時に起こった。

シェアリアが抱きついていた避雷針に巨大な稲妻が落ちたのだ。


身体中を黒焦げにしたシェアリアが、避雷針に縋り付いた体勢のまま、静かに座り込んだ。

大きく開いた悪魔の魂の口から白い光の玉がいくつも出てきて、天に昇っていく。


「嘘……私は、まだ、これからも……」


ひねり出すように呟く彼女の足元から、黒い触手が現れた。

生気を失った目でそれを見つめるシェアリアは、抵抗せず屋根に引き摺り込まれていった。

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