第五十四話 主の語りごと

さんざん泣いて、泣いて、落ち着いてくると、アールの胸でわんわん泣いていた自分が、何だか恥ずかしくなってきた。

そっと離れて、彼のすぐ真横に座り直す。


「あ、あの……ごめんね。

その、なんて言うか……ありがと」


「うん、いいんだ」


しばらく無言でいると、いつの間にか背後の噴水の音が消えていたのに気が付いた。


「あれ? 水が止まってる……」


ここは地下水を利用するから、一日中、水が止まらないのが売りだと案内板に書いてあったのに。




「そろそろ、いいかの?」




「……えっ?」


この、どこかで聞いたトボケたお爺さんの声は、まさか。


「いや~、何かお取り込み中だったから、待ってたんじゃけど……」


やれやれと呆れた様子で、噴水からザバッと水飛沫を上げて現れたのは、吊り橋のある川の主だった。


「「ぬ、主!?」」


私とアールの声が被る。


「主様! 

お久しぶりです。どうして、ここに?」


「この噴水とウチの川とは地下水脈で繋がっているからのう、案外フレキシブルなんじゃよ」


「は、はあ……」


「お前さん方、分からない事があれば、いつでも聞きに来いと言ったじゃろ?

滝の裏でずっと待っておったのに、全然来やしないから、ワシの方から来てやったんじゃ。

マリーゼさんや、スレイター家の呪いの話は聞いたかの?」


「はい」


「だったら話は早いな。

実は、あの呪いにかかっている当主以外の人間でも、長生きする方法が一つだけある。

聞きたいかね?」


「教えてください!」

「ぜひ聞かせてくれ」


主様は、ゆるゆるとした顔を急に引き締めて、真剣なトーンで話し始めた。


「それは、寿命が尽きる前に、他人の魂を喰らって、その身体に乗り移ることじゃ。

喰われる呪いであり、喰う呪いでもある、えげつない呪いじゃよ」


主はブルリと身を震わせた。


「しかし、乗り移った先でも呪いそのものは消えないから、再び別の若い体に乗り移る必要がある。

中年期に差し掛かったら、別の若い体に乗り移る。

生への執着がある限り、これを何回でも、何十回でも、繰り返せば生きられるんじゃ。


そうは言っても、スレイター公爵家の身内の者は基本的に善良だから、普通はそんな事はせんのじゃが……

一人だけ、実行した者がおる」


背筋に冷たいものが走った。

そんなの、一人しか考えられない。


「それって、もしかして、シェアリア……?」


「今はそう名乗っておるのか。

もうかれこれ、六百二十年は生き続けておるのじゃな。

しかもその女が、スレイター家が呪われる原因を作った人間でもある」


絶句した。

生き続けて、六百二十年。

その間に、一体何人の魂を喰ったのだろう。

『諸悪の根源』……そんな言葉が自然に浮かんできた。


眉間に皺を深く寄せたアールが、声を低くして尋ねる。


「どうやったら、あの女を止められる?」


「お嬢さんは直情型だから、拳骨でぶっ飛ばしに行ったんじゃないかね?

あれを滅するのは、腕力では難しいぞ」


図星を指されて、私はちょっと恥ずかしくなったけれど、主はなおも言葉を続けた。


「そう、火で焼くか、雷を落とすか……

強力な『人ならざる者』は、そういったものでくしかない」


「雷だったら、私、使えます!」


私は自分の身体から二十メートル四方なら、天気を変えることができるし、いかずちを落とすことだってできる。

幽霊屋敷ツアーの演出にだって使っているくらいだ。

危険過ぎて、あれを人に向けることなんて、考えもしなかったけれど……


「ならば、あれを屋外に連れ出せ。

そして逃げられないよう、罠を張るんじゃ。


……ま、その後は、自分達で考えるんじゃな。

アレは狡猾だから、難しいぞ?


ふう……

ちょっと疲れたから、ワシは川に戻る。

二人とも、達者でな」




川の主は影のようにスーッと水面に引き込まれ、姿を消した。

止まっていた噴水が、再び水を噴き上げ始めた。

水音が沈黙をかき消していった。


私が噴水の縁から立つと、アールも続いて立ち上がった。


「……アール、私、絶対にシェアリアを倒したい」


「ああ。俺にできることなら何でもする。

何としてでもやり遂げよう」


私の顔を正面から見下ろすアール。

……この人は、こんな表情かおをする人だった?


思い出せない。

でも、心地良い。

彼の隣にいると、心から不安が消えていくような気がする。

できるなら、もっと、ずっと、傍にいたいと思う。

アールが差し出した手を取って、私達は一緒に中庭を立ち去る。




……これから成すべき事は、決して簡単じゃない。

恐怖が全て消え去ったわけでもない。


だけど、自分が何をすべきか、はっきり分かった。

自分一人で戦う訳じゃないのも、分かった。


今度こそ、きっとシェアリアの悪事をやめさせる。

そして、罪を償わせる。




***




アニーの故郷、グレア街を東西に流れる川。

その途中にある滝壺の裏の狭い洞窟で、この川の主は、岩の上に座り込み、一息ついていた。


「そろそろワシも、安心してこの世から離れられるかのう?


……まあ、あれだ。

ワシだって、子孫の幸福のためなら、これくらいのことはするさね」


スレイター公爵家当主として百年、亡霊として五百年。

長らくこの世に留まっていた老人の呟きは、滝から落ちる水の轟音でかき消えていった。

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