第五十三話 安心して泣ける場所

喧騒が落ち着いた、その後。

私達はルサール伯爵に事情を説明した。マイケルがロビンに取って代わろうとしていたことを。

伯爵はロビンを母親ごと引き取って、警護するという。

アールは逃走した犯人は変装が巧みであることを告げ、マイケルと同じ背格好の人間は、男女問わず近付けないように提言した。


「そういえば、ホイストさんは?」


「ディアスなら、この後約束があると言って、一足先に帰った。

あんたの『体質』についても、一応説明はして、納得していたから安心していい」


アールは何も言わずに着ていたジャケットを私の肩に掛けた。


「……ありがとう」


彼の視線が、私の変化を捉える。


「それより、あんた……大丈夫か? 顔色が悪い。

そう……前に、幽霊屋敷の焼け跡で会った時もこんな感じだったな?

今日は休んだ方が良さそうだ。車で宿泊先まで送って行こう」


車の助手席で、私は何も喋ることができなかった。

シェアリアの魂が笑うのを見てから、胸のざわつきが止まらない。

何だろう……

あの時、私はグランデ人形館で、前世の義父と夫、夫の恋人を倒して過去のしがらみ、恐怖に打ち勝ったはず。

私を縛るモノは無くなったはずなのに……


無言の私に、アールも何も話しかけて来ない。

少し気まずい空気の中、自動車はホテルの正面玄関前に到着した。


「今日はありがとう」


何とかそれだけ言葉にすると、私はホテルの玄関に繋がる数段の階段を登ろうとした。


「待ってくれ。どこか近くでゆっくり話せる場所はないだろうか?」


「話?」


「ああ、あんたとは……

もっといろいろ話をしなくちゃいけない気がする」




***




私達は、ホテルの中庭にやってきた。

ここには綺麗に枝を揃えられた灌木といくつかのベンチ、そして地下水を汲み上げて循環している噴水があった。

泊まり客の大半が商人のこのホテルでは、あまり他の人が来ず、落ち着いて話ができる穴場だ。


私はベンチではなく噴水に歩み寄って、その縁に腰掛ける。

足元を見ながら水の音に耳を傾けていると、触れそうなくらいの距離で、隣に座るアール。




「あんたと、あのシェアリアって女の間に何があったんだ?」


「……私がスレア伯爵夫人だった頃、夫の愛人だったの」


そういえば私の身の上を、彼に詳しく話した事がなかった。

これまでアールからは、人と距離を置こうとする壁のようなものを感じていたから……

でも、今日は何かが違う。彼に向かって、すんなり言葉が出てきて、彼も受け取ってくれている。

そんな気がする。


私は、過去に旧スレア伯爵邸で受けた仕打ちと、彼女の犯罪の全てを話して聞かせた。


「それじゃ、兄貴が死ぬきっかけを作ったのも……」


無言で頷くと、アールは表情を曇らせる。


「すまない。本当だったらあんたは兄貴の葬儀に出席させるべきだった。

でも……」


「うん、呪いのことは聞いてる」


「そうか。

……あんたはいつも、そうやってあの化け物じみた女を追ってたのか? 一人で」


「一人じゃないわ。屋敷の皆がいるもの」


「その皆の中に、自分の弱みを見せられる相手はいるのか?」


「……でも、大事な家族みたいなものよ」


「その皆に、安心して泣き顔を見せられるか?

……あんた、いつも気を張っているだろう。

何でもかんでも、自分が何とかしなきゃ、みたいに」


「だって、私が一番強いのよ? それに、当主なのよ? 一代限りの子爵でしかないけれど。

マリーゼ邸にいる生きた人間は、私と、ずっと平民として暮らしていた女の人の二人しかいないのに。

私がしっかりしなくちゃ、屋敷の皆が行き場所を失くしてしまう。

皆を守りたいの。


……なんで、なんでそんな事、急に言い出すの……?」


自分でもよく分からないけれど、目頭が熱くなってくる。

今ここで、泣きたくなんかないのに、頬につうっと体温を感じて、膝の上に雫がぽとぽと落ち始める。


「済まない、責めるつもりじゃなかった」


アールが私の目元に手を伸ばし、人差し指で涙の粒をすくうようにした。


「俺があんたの味方になる。

身内喰いの呪いにかかった俺が、あんたとどうにかなろうとは思わない。


だが、あんたの力になりたいんだ。

誰の前でも泣けないあんたが、安心して涙を見せられるように」




すぐに返事が出てこない。


アールの言葉を聞き取って、彼が何を言っているのか、頭で理解するのに少し時間が掛かった。

言葉を理解し終えると、頑なに閉ざしていた感情の蓋が開いて、これまでのアールとの記憶が少しずつ甦ってくる。


ぶっきらぼうで、いつも人と一線を引いているのに……

困った時には助けてくれたり、私の手が行き届かないところをフォローしてくれたり。

でも、それに対して、見返りを求めたりもしなかった。


涙が、さっきよりも一層溢れてくる。

『泣きじゃくる』というのが、一番しっくりくるかもしれない。


「だ、大丈夫か?」


焦ったようなアールの胸を、拳で叩く。


「な、何よ! 『安心して泣け』って、言ったのは自分じゃない!」


そのまま、私はしばらくアールの胸を借りて、涙腺がすっからかんになるまで泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る