第三十六話 トラウマを克服しますか?

「えっ!? これが幽霊屋敷なんですか?

まだそんなに古くないし、きれいに掃除されてるし、すごく立派な建物なんですけど……


あっ、でもいる!」




マリーゼ邸に戻ってきた私達。

この屋敷を一目見たヘレンの第一声はこれだった。


レンの養母だったヘレン。

夫と離縁して家を出た彼女を、『幸せの幽霊屋敷ツアー』のガイド役にスカウトしてから約一カ月。

私が一緒に引率する研修期間の二週間を終えて、今日、彼女が初めてのガイド役を務めることになった。


ガイドといっても、役者のように台本を一字一句間違いなく覚える必要はない。

向かう部屋の順番さえ間違えなければ、あとは幽霊達の方で適当に演技してくれる。


私がガイドをする時は、カッチリしたブレザーに丸っこい帽子を被っているけれど、ポッチャリ系のヘレンには、あまり似合わなかった。

そこで、メイド長のような雰囲気のワンピースを仕立てて試着してもらうと、これがイメージピッタリ。

長年ここで働いている使用人らしい雰囲気が醸し出されていた。


「さて、今日から独り立ちよ、ヘレン。頑張ってね」


「は、はい……」


固くなっている彼女を笑顔で送り出し、私は最終地点でお客様が出てくるのを待つ。

きょうはリピーターの人ばかり。どんな反応が待っているだろうか……




小一時間後、目の前の扉がゆっくりと開き、ツアー客の皆様が、ぞろぞろ出てきた。


「あああ、天使様、ありがとうございます」

「……今日は一段と怖かったね」

「いつものガイドさんの、淀みなく安心感がある案内もイイ感じだが……

今日のメイドさんの素人っぽい語り口は、『事件の目撃者』みたいな雰囲気があって、妙な臨場感があったな」


……皆、一様に満足気な表情で、どうやら大好評だったようだ。

めでたし、めでたし。


「本日はお越しいただき、誠にありがとうございました。

天使様の加護を胸に、お気を付けてお帰り下さいませ」


お客様にご挨拶をして、後払いの料金を回収すると、笑顔で送り出す。

後片付けが始まる前に、私はヘレンに声を掛け、感想を尋ねてみた。


「どう? 初日の感想は」


「いや、すごく楽しかったです。

実は一回、次に行く部屋を忘れそうになったんですが、ピアニストの人がサッと横に来て教えてくれて……

おかげで困ることも無かったですわ」


素の笑顔で答えるヘレン。

一般人のお客さんには、ピアニストの姿や声は見えたり聞こえたりしないから平気だ。

屋敷の他の霊達とも上手くやってくれているし、やっぱり霊感のある人を迎えてよかったと、つくづく思う。


レンからの手紙も復活して、ジョンとヘレンにそれぞれ月に二通は届いている。


平穏に過ぎていく、マリーゼ邸の月日。

これでやっと私が屋敷を留守にしても、ツアーを定期的に行える目途がついた。

隣国だろうと、帝国だろうと、ゆっくり見て回ることができる。


……シェアリアの出身地かもしれない、帝国。

何かの手掛かりが見つかるかもしれない。

ツアーの翌日、私は家令のジェームスに、しばらく帝国に滞在できるように手配してもらおうと、彼の執務室の扉をノックした。




「ねえ、ジェームス。

私しばらく帝国に行きたいの。

そうね、1ヶ月くらいかな……

シェアリアがラバン商会に提出した身上書の出身地が、帝国になっていたのは前に話したでしょ?」


「確かに、その話は伺っております。

ただ、現時点ではシェアリアがどこにいるのか分からない状態です。

身上書については、現地の探偵等に依頼して調べさせても、結果に大差ないと思われます」


「でも、シェアリアは変装しているかもしれないのよ?

私自身が直接会って魂を見れば、すぐに見破れるけど、他の人ではそうはいかないわ」


「帝国の人口をご存知ですか? 首都は二百万人を越えているのですよ?

砂場で一粒の砂金を探すようなものです」


「じゃあ、私はどうしたらいいの……?」


「シェアリアを探しに行く前に、マリーゼ様にお伝えしたいことがあります」


そう言って、彼が棚から取り出したのは、隣国・イルソワールの住宅地図と、ファイルに閉じられた分厚い書類の束だった。


「こちらがかつてのグランデ人形館に関する資料です。

三百数十年経っているので、集めるのに苦労しました。

こちらが主に隣国騎士団の治安管理部に残っていた文献。

そしてこちらは二十年前に放火された時の新聞記事から要点を抜粋し、まとめたものです。

おそらく全てが書かれているわけではありませんが、概要は理解できます。


ジョンから聞きましたよ。

あなたがグランデ人形館の焼け跡で体調を崩し、襲ってくる霊がいたにも関わらず、戦闘不能に陥ったことを」


私は二の句を告げなかった。

あの時の私は、得体の知れない恐怖に縛られて、まともに身動きも取れずにいた。


「その時はスレイター氏が元凶を封じ込めて下さったようですが、完全に脅威が消滅したわけではありません。

あなたがそんな状態に陥ったのは、前世においてグランデ人形館で受けた仕打ちが原因でしょう。


シェアリアは狡猾な人間です。

その心の傷トラウマを解消して弱みを消し去らなければ……

どんなにあなたが強くとも、何かの拍子に隙を突かれることになるやもしれません。


一度その資料を読んで、過去の自分がどのような人生を送ったのか、知っておいた方がいいと思います。

暗い過去に向き合う辛さは私も承知しておりますから、無理にとは申しませんが……」


「……分かったわ、ジェームス。

目を通してみる。

それを私の部屋に運んでちょうだい」




忘れているのをいいことに、ずっと目を逸らしてきた、自分の過去三百年の歴史。そしてトラウマ。

こうして私は、それらと正面から対峙することになったのだ。

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