第三十五話 悪女は潜伏する(シェアリア視点)
「なあ、シェリー。上手く逃げおおせたら、一緒にどこかの街で店でもやらないか?」
朝一番、テーブルに地図を広げた私に向かって、正面に座る男が、鼻の下を伸ばして言った。
男は三十過ぎ。無精髭が伸びた、灰色の髪の平凡な顔立ちの男だ。スレア領にいた頃、私から酒場で声を掛けた。
遊び人だと思ったが、いつの間にこんな事を言い出すようになったのか。
「お店ね、素敵だわ。どんな店が良いかしら。お花屋さん? それとも酒場か宿屋かしら。
だけど私、できれば、もうひと稼ぎしてからにしたいの……
ねえ、いいでしょ?」
「へへっ、お前は本当に強欲だな」
「まっ!
そんなの最初から分かってたでしょ?
意地悪ね」
私がスレア領から逃亡し、イルソワールに潜伏して、もう半年以上が経つ。
人口が段違いに多い帝国にすぐ逃げ込むつもりでいたが、指名手配を受けたせいで、書類の偽造に時間がかかっていた。
でも、それももう少しで出来上がる。一度パスポートさえ作ってしまえば、あとの行き来は楽だ。
今隠れているアジトは、イルソワールと帝国の国境に近い山の中腹にある、木立ちに隠れた小さなロッジ。
誰も通りかかることはない。
「ねえ、そろそろ次の仕事に取りかかろうと思うの。
もう一つ、穴を掘って準備してもらえる?
この間のように、すぐに隠せるようにね。
ね、お願い」
「やれやれ、人使いが荒いな」
私が両手を胸元で組んで、甘えた調子で頼むと、男は仕方ないといった体でスコップを持ち、庭に出た。
「今度はもっと大物を狙うから、大きな穴にしてね。そうね、宝箱三つ分は欲しいわ」
「おうよ」
スレア家から逃げ出した時に持ち出した証券等は、直後に金に換えている。足が付きやすいから。
でも宝石や、換金した金貨の大半は宝箱に入れて、この男を使い、アジトの庭に埋めさせた。
昔から、大切なものはこうして、人目に付かない地中に隠している。
二時間ほど経って、男が掘った穴を見せようと、私を呼んだ。
「こんなもんで、いいか?」
「うん、それでイイわ。完璧よ、ありがとう!」
彼の足元には、長さ2メートル、幅70センチ、深さ80センチ程の穴が掘られていた。
私は満面の笑顔で庭に出て、男に駆け寄り、抱き付いた。
そしてスコップを放り出し、嬉しそうに抱き締め返そうとする男。
その首の後ろに腕を回すと、私は隠し持っていた注射の針を深く突き立て、プランジャを一気に押し込んだ。
「な……!?」
即座にガクンと膝をつき、倒れる男。私は微笑んだまま、彼に労いの言葉を掛ける。
「最期のお務め、御苦労様」
「シェリー、お……おま、え……」
信じられぬといった表情で目を見開き、苦しみ悶える男の目から生気が失われるのを、そのまま眺めながら待った。
しばらくして動かなくなった男の手首を握り、脈が無いのを確かめる。
「ふう、急に契約外のことを言い出すんだもの」
まあ、いずれにせよ『男と逃亡中』と指名手配されているんだから、一緒に行くつもりはなかったが。
私は男のポケットを探ると、渡してあった
死人には不要なものだ。
そのまま男をゴロッと横に転がして、今しがた本人が掘った穴に落とし、側にあった土を念入りに掛けて埋める。
もうこの土地で新たに大物を狙う気なんて、さらさら無かった。
ここでするのは、残務処理だけ。
普通は人が入る大きさの穴が空いたら警戒するものだけど、女にうつつを抜かす男は、おしなべて大したことが無い。
「手間が省けて、感謝するわ」
私は埋め跡に向かってカーテシーの真似事をすると、スコップを片付けた。
ついでに彼がいる辺りの土の上に、ミントの種を蒔いておく。
時をおかず、ここはミント畑になるだろう。
埋めた宝箱の方は、ロッジからきっちり測量しておいたから、見失うことはない。
「さて、そろそろ身支度をしなくちゃ」
私は大きく背伸びをすると、ロッジへと戻った。
***
普段寝泊まりしている部屋に戻った私は、古びたドレッサーに向かって座った。
手早く髪をキュッとまとめてネットを被ると、今しているメイクを全て落とす。
続けて顔から首元まで、地肌に近い色のファンデーションを塗って土台を仕上げると、鼻筋にコンシーラーで陰影を付けた。
鼻の上にそばかすを少し描いた後、唇にうっすらと紅を引いて、あらかた落とす。眉を真っ直ぐに太く描く。
化粧が化粧に見えない程度に、全体をガーゼで押さえた。
短髪のウィッグを被り、胸に晒しを強く巻く。
白いシャツを着て、細めのズボンを脚に通し、鷲のエンブレムが胸ポケットに付いているブレザーを羽織った。
立ち上がって、部屋の隅の姿見を見る。
鏡の中にいるのは十三、四歳の茶髪の少年だった。
貴族学校の新入生といったところか。
どこにでもいる顔立ち。今回はこれくらい普通な方がいい。
「背が低いし、低い声も出せないから、男はこれが限界ね」
すでにこの姿でパスポートを申請してある。
あとは受け取りに行ったその足で、関所を越えて帝国に入国するだけ。
私は男に隠れてこっそりまとめておいた一人分の荷物を、ベッドの下から取り出した。
ロッジのドアに鍵を掛け、外に繋いであった馬にまたがる。
馬の尻に軽く鞭を入れると、私はゆっくりと山道を下り始めた。
頭の中に、帝国に着いてからの行動を青写真にして、イメージトレーニングする。
……大丈夫。
「今度こそ、上手くやるわ。
絶対に最後まで辿り着く。
魂の果てを、きっと確かめてみせる」
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