第二十四話 呪われた公爵家
川沿いの道を上流に向かって少し歩くと、木が生い茂った場所が見えてきた。
「こんな所に本当に、何かあるのか?」
疑わし気な表情のアールに、私は
「あるのよ」
とだけ答える。
わさわさとした茂みの陰になっていた木の根本に、少し大きめの赤い石が転がっているのを何とか見つけて、その辺りの枝を分け入ると、崖の岩肌に洞窟の入り口が現れた。
「あっ」
入り口を見て、アールが小さく呻く。
「どうしたの?」
「いや、奥に兄貴の気配がした。あと、何か古い魂も……こいつに害はないのか?」
「大丈夫。この川に古くから住んでいる、人の良さそうなお爺さんよ。他の霊は『川の主』と呼んでたわ」
「主か……」
私達は暗くて狭い通路を、両手で左右にある岩肌を確認しながら少し下っていった。
私は余裕で通り抜けられる広さだけれど、長身のアールには狭かったらしい。
途中で頭をぶつけたらしく「痛っ」という小さな声が、二回聞こえた。
数分ほど歩き進めると、いきなり目の前に薄明かりの空間が広がった。
「アール、来てくれたか。スレア夫人、弟を連れて来てくれて、ありがとうございます」
奥にいたハンター先生、いや、ラッシュ・スレイターさんは、腰掛けていた岩から立ち上がった。
洞窟の天井の岩の裂け目から僅かに差す太陽の光が、彼の体を通り抜けている。
彼の魂は、生前と全く変わらない姿だ。アールはお兄さんをじっと見つめている。
「アンタら、兄弟で積もる話もあるだろう。ゆっくり話すといい。ワシらはしばらくここから離れているよ。
さあ、奥さん一緒に行こうかね」
「あ、ハイ」
本当はもう少しだけ、元気な頃のハンター先生の姿を瞼に焼き付けておきたかったが、二人の邪魔はしたくない。
私は川の主に促されて、その場から立ち去り、一緒に滝がある出口の方へと向かう。
歩を進めるごとに滝の水音が響いて、スレイタ―兄弟の話し声は聞こえなくなっていった。
***
「アール、すまなかった。本来だったら公爵家を継ぐのは私の役目だったのに」
ラッシュは申し訳なさ気に目を伏せた。
「仕方ないさ。
やれ帝国の筆頭公爵家だなんだと言ったって、『呪われたスレイター家』だ。ありがたくもないだろう。
現に兄貴も逃げ出した途端、こんな事になっちまった訳だし」
……スレイター公爵家の呪い。
それは、当主だけは長寿で百歳前後まで元気に生きるが、それ以外の家族や近しい親族は、三十代から四十代までには事故や病気で命を落とすと言うものだ。弱い者は成人前に亡くなる場合すらある。縁を切って逃げても、呪いからは逃れられない。
そして、一人欠ける毎にスレイター家自体には幸運が舞い込む。
自領の農業がそれまでにない大豊作になったり、鉱山が見つかったり、副業の商売が大当たりしたり、戦争で信じられないような武勲を上げたり……
そのためスレイター家は『人柱の家系』と噂され、当主は『身内喰い』などと陰口を叩かれていた。
「…………」
しばらく黙っていた二人だったが、アールが逸らしていた視線を兄に合わせる。
「兄貴が家を出たのは、やっぱりメリッサのことが原因か?
あれは兄貴のせいだとは言い切れない。偶然かも……」
「いや、私のせいだ」
ラッシュは即答し、唇を噛み締めた。
メリッサは侯爵令嬢だ。互いの領地が近く、スレイター兄弟とは幼馴染として育ち、同い年のラッシュとは互いに思い合っていた。メリッサの父親の侯爵からは強く反対されていたのにも拘らず、メリッサ本人の意思で婚約してしまうほどに。
だが婚約が成立した途端、それまで元気だったメリッサが突然、床に伏せるようになった。
彼女はみるみる弱り、遂には十五歳の身空で夭折してしまう。
「……あれを機に、兄貴は医学にのめり込み、医者を志すようになったんだったな」
「そうだな。私が医者になっても、もうメリッサは救えない。そもそも呪いなら、足掻いても無駄だというのに。
だが、スレイターの家を継ぐ重圧にも耐えられなかった。
周りがバタバタ倒れて居なくなるのに、自分一人だけ、いつまでも生きていくなんて……
だが、アール。
お前は幼い頃から、とても霊感が強かった。そういう人間がこの家系に生まれてきたのは初めてだと聞く。
これも何かの思し召しなのかもしれない。
お前は家を嫌っていたが、もし抵抗がなければ、我が家の呪いがどこから来ているのか、調べ上げて欲しい。
そして、できるなら原因を取り除いてもらいたいんだ。
こんな身内の情に訴えた願いでお前を縛るなど、
だが……」
「狡くなんかないさ」
アールは兄の手を取った。すでに実体のない、兄の手。だが、触れた。
この世に未練があって、天国に旅立つことができなかった、哀れな者の手。
「むしろ、俺自身が向き合わずに逃げていた事だ。任せてくれ」
兄弟は家を出て以来、初めて真っ直ぐ視線を通わせた。
握った兄の手が、少しずつ色と形を失い、薄れていく。
「頼んだぞ……」
その一言と共に、ラッシュの姿は消えて、見えなくなった。
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